粟谷益二郎略年譜
明治23年11月11日広島に生まれる。
明治31年(8才)「花月」にて初舞台。
明治33年頃広島喜多催能の際故喜多六平太師と初対面、仕舞「経政」を見てもらう。
明治35年(12才)内弟子第一期生として六平太師の門に入る。
明治36年(13才)初シテ「舎利」を勤める。
大正4年(25才)小鷹狩スエと結婚。9月「望月」12月「二人乱」を披く。
大正5年(26才)1月「翁」5月「道成寺」を披く。
大正6年(27才)独立。
大正8年(29才)長男新太郎誕生。
大正10年(31才)7月「石橋連獅子」を披く。
大正11年(32才)次男菊生誕生。
昭和3年(38才)三男辰三誕生。
昭和7年(42才)四男幸雄誕生。
昭和16年(51才)闘病生活の為舞台から退く。
昭和21年頃全快祝賀能を催し「羽衣」にて再起。
昭和23年(58才)粟谷新三郎50回忌追善会を催し「隅田川」を舞う。この日新太郎・菊生「二人乱」を披く。
昭和25年(60才)9月還暦記念能に四息男を従え「安宅」を勤める。
昭和32年(67才)9月18日囃子科協議会能における「烏頭」後シテの出で倒れ、逝去。法名順徳院益山玄道居士。坂元雪鳥をして「謡はよし姿は美くし、型は練れているしこれだけ条件を備えた人は少し内功すればどんな味でも出せる。」と言わせしめ、六平太師の名地頭としても活躍、喜多流の発展に尽くすこと大で、死後宗家より免許皆伝を許された。