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蟻通神社

蟻通神社高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2007-11-29 11:36
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写真探訪 蟻通神社

JR阪和線・長滝駅は各駅停車しか止まらず、夜遅くには駅員もいなくなる小さな駅です。その長滝駅を下車して徒歩10分ほどに蟻通神社があります。
天王寺駅から50分程で長滝駅に着き、駅員さんに「蟻通神社はどちらですか?」と聞くと徒歩12,3分と答えてくれましたが、時間に余裕がなかったのでタクシーを呼ぶことにしました。見渡すと駅前にタクシー乗り場はなく、ご用命は泉陽タクシー(072−465−1451)の看板があるだけです。電話して待つこと5分、日根野駅からタクシーが来ました。運転手さんの話では特急も快速も停車する日根野駅でタクシーを利用した方が賢明だということでした。多分私は二度と行くことはないでしょうが、これからお尋ねになる方のために、日根野駅からタクシーのご利用をお薦めします。

能『蟻通』の物語は歌人・紀貫之が和歌の神を祭る玉津島神社へ参詣する途中、雨の夜に蟻通神社の前を神域と知らずに下馬せずに通り過ぎたため、蟻通明神の怒りにふれ馬は倒れ貫之は落馬します。そこに老人の宮守が現れ、社への無礼を警告し、貫之に和歌を詠じて神慮を慰めるように薦めます。貫之は「雨雲の立ち重なれる夜半なれば、ありとほしとも、思うべきかは」と詠むと倒れた馬は再び立ち上がり、宮守は和歌の六義や和歌の心について語ります。貫之は宮守に祝詞を所望し共に祈ります。
神代以来の歌道を讃たえ舞歌を奏上すると、遂に宮守は自ら蟻通明神と名乗り鳥居に近づいたかと思うと、消えてしまいます。貫之は神の出現を喜び夜が明けると再び旅立つのでした。

では写真をご覧下さい。


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『満仲』ゆかりの地

『満仲』ゆかりの地高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2007-11-19 0:16
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謡曲『満仲』ゆかりの謡蹟めぐりをしてきました。
能『満仲』の物語を簡単に紹介します。
源氏の祖、多田満仲は仏心篤く、我が子美女丸を僧侶にすべく中山寺に預けますが、武門の血筋を引く美女丸は僧侶になることを嫌い、ひたすら武芸に明け暮れています。父満仲は怒り、重臣藤原仲光に美女丸を手討にするように命じます。しかし若君に刃を向けることが出来ない仲光は我が子の幸寿丸を身代わりに殺し美女丸を叡山に逃がします。
仲光は偽りの美女丸の最期を満仲に伝え、自らは暇を願い出ます。そこに比叡山の恵心僧都が美女丸を連れて満仲に面会に来ます。満仲は幸寿丸を殺しながら、生き永らえている美女丸を強く叱り自ら手討にしようとしますが、恵心に諭され美女丸を許し、仲光もまた主君に仕えることになります。喜びの酒宴となり、仲光は舞を舞い、美女丸の仏道修行を励まし見送りますが、仲光の心の中には幸寿丸への思いが深く残るのでした・・・。

満仲公から義家公までが多田神社に祭られていますので、ここで御祭神の御事蹟を紹介しておきます。
源 満仲公(人皇56代清和天皇の御曾孫多田満仲は24歳で源姓を賜り源満仲と名乗る。86歳没)
源 頼光公(満仲長子。土蜘蛛退治、大江山、伊吹山鬼賊退治で武勲を立てる)
源 頼信公(満仲四男)
源 頼義公(頼信長子 前九年の役に武勲を立てる)
源 義家公(頼義長子 前九年の役、後三年の役に武勲を立てる)
美女丸は出家して源賢となりますが、満仲の五男ともまた四男という説もあります。

では、写真をご覧になりながら探訪をお楽しみ下さい。
(撮影  平成19年11月10日 粟谷明生)
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あさば能舞台

あさば能舞台高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 21:06
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先日5/9、修善寺芸術紀行と題して、友枝昭世氏の『八島』が演じられました。
地謡は地頭、粟谷能夫・粟谷明生・谷大作・粟谷充雄・友枝雄人・粟谷浩之の6名でした。
天候も良く、ロケーションも最高のこの日の修善寺、あさば旅館の能舞台「月宮殿」を写真にてご紹介いたします。詳しくはこちらをクリック


厳島神社

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投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 21:05
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厳島神社御神能詳しくはこちらをクリック


善光寺に纏わる能

善光寺に纏わる能高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 21:05
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先日の阪大喜多会戸隠での夏期合宿の帰路、長野に寄る時間がありましたので、善光寺へお参りがてら写真探訪してきました。

善光寺にゆかりのある能は、『土車』、『柏崎』、『山姥』、『道明寺』などがありますが、私が今までに勤めたことのあるものは、『柏崎』、『山姥』です。

『山姥』は善光寺へお参りにゆく百魔山姥(ひゃくまやまんば)という京の遊女が境川から上路超え(あげろごえ)の道を進むと真の山姥が現れるというお話で直接善光寺が関係してくるものではありません。

『柏崎』は、主人の死と息子の出家の知らせを受け、悲しみに打ちひしがれたシテが阿弥陀如来の慈悲を願い善光寺の如来堂を尋ねます。内陣に入ろうとすると住僧が「女人禁制」と制止するのを「仏が本当にそう仰っしゃるのか、ここは全ての人の往生極楽の門である」と逆に論破してしまう教養高い未亡人の善光寺信仰の話です。詳しくはこちらをクリック


新城 富永神社能舞台

新城 富永神社能舞台高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 21:03
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愛知県新城市(しんしろし)には富永神社所有の能舞台があります。
新城市本町にお住まいの方々を中心に新城能楽社を結成し、毎年10月の第二金曜日を祭礼能として、長い伝統を引き継ぐ演能奉納をしてこられました。
私は月に一度稽古に伺っていますが、写真のように舞台が拝見できるのは、祭礼能の季節だけですので、今回の写真撮影と共に新城と粟谷家の繋がりをご紹介したいと思います。詳しくはこちらをクリック


能『女郎花』ゆかりの地を訪ねて

能『女郎花』ゆかりの地を訪ねて高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 21:02
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平成13年11月8日、『女郎花』ゆかりの地、八幡市の石清水八幡宮、松花堂庭園を訪ねてみました。
京阪電車、八幡市駅下車、目の前に男山山上行きのケーブルがあります。
本来は40分程度徒歩にて、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と参拝しながらが登るところに御利益もあるのでしょうが、今回は時間の都合上、登りはケーブル、下りは徒歩としました。詳しくはこちらをクリック


熊野紀行

熊野紀行高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 21:01
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平成14年5月1日から3日まで、明生会会員有志の皆様と熊野を探訪いたしました。
南紀白浜空港よりジャンボタクシーを調達、三日間貸切で走り回りました。初日は中辺路(なかへじ)より熊野大社本宮を経て新宮まで、二日目は新宮より那智の滝、阿弥陀寺などを廻り那智勝浦に宿泊、三日目は串本や白浜などの海岸線を走り南紀白浜空港へ戻るという行程でした。楽しく、実りある紀行を写真を添えご案内いたします。
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竹生島参詣

竹生島参詣高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-29 20:57
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平成14年9月、広島花の会で『竹生島』を舞うにあたって、滋賀県近江の竹生島に参詣に行ってきました。
竹生島は能『竹生島』『経政』にゆかりある地で、この二曲を軸に探訪してきました。

能『竹生島』は醍醐天皇の臣下(ワキ)が四の宮、逢坂の関を越えて琵琶湖湖畔、志賀の里に着き、漁翁(シテ)の釣船に便船を願います。
ここで笑い話を一つ、『竹生島』の次第は「竹(たけ)に生まるる鶯の、竹に生まるる鶯の、竹生島(ちくぶしま)詣で急がん」ですが、ある人が最初に竹(たけ)を(ちく)と読んでしまった、聞いていた先生は怒りたかったが、まー返し(二回目)には気が付くだろうと黙っていた、しかしこの人、返しも(ちく)と謡ったから、さあーたいへん! 先生、怒り出し、怒鳴って「こらー、たけだーっ」と…するとこの人、竹生島(たけぶしま)詣で急がんと平気で謡ったとか…。
能『竹生島』に話を戻します。シテ(漁翁、実は龍神)とツレ(女人、実は弁財天)は釣船を浮かべ、浮き世の業を悲しみながらも、春の長閑な景色を眺め、湖畔から声の掛かるのに気付いて舟を寄せます。
ここのところを謡曲では
「真野の入り江の船呼ばひ、いざ漕ぎ寄せて言問わん」とありますので、志賀の里、真野あたりで乗船させたことになります。「所は湖の上…」からの謡では左に比良叡山を眺め、満開の桜の花であたかも雪が降っているようだといいますから、春爛漫長閑の極みで能『竹生島』の一番の聞かせ所です。
しかし、謡の言葉通り櫓で漕ぐ舟では志賀から竹生島は余りに遠く、現実には無理です。フェリーの船長さんにお話をお聞きしたところ、昔、竹生島北側の半島から櫓を漕ぐ舟で、一時間もあれば着くことが可能な航路があり、当時は風を利用して行き来していたということです。
このフェリー会社も実はそこが起こりと仰ってましたので、航路としてはこちらが本当らしいですが、今は謡ならではの航路と思われます。
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『隅田川』ゆかりの地を訪ねて

『隅田川』ゆかりの地を訪ねて高ヒット
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平成15年1月26日、「日立能と狂言の会」にて、能『隅田川』を勤めるにあたり、『隅田川』ゆかりの地を訪ねて来ました。現在の隅田川は能が発生した室町時代とは、その流れが大きくかわり、現在の位置とは必ずしも一致するものではありませんが、謡跡を訪ねる旅として、雑誌「観世」や「謡跡めぐり」(青木実著)などの資料をもとに、春日部の古隅田川と梅若塚、墨田区の木母寺にある梅若塚などを訪ねてきましたので、写真探訪にてご紹介いたします。
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