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「天橋立と成相寺の旅」

「天橋立と成相寺の旅」高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-9-13 22:42
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「天橋立と成相寺の旅」
平成18年7月29日、30日(一泊二日)に明生会有志会員9名と日本三景の一つ「天橋立」や京都の謡蹟めぐりなど、観光して来ました。
初日は生憎のお天気で、曇り空から雨になり傘をさしての拝観となりました。
二日目は快晴、京都では30度を越える猛暑となり、飛び入りで誠心院・誓願寺の謡蹟を尋ねることにして、午後からは予定通り国立博物館の「美のかけはし」展と三十三間堂を拝観してこの旅を無事終えました。

では行程の詳細から。
東京明生会組5人は東京駅から「のぞみ305号」にて、途中名古屋から新城明生会会員4人が合流し、今回の世話役、A・Iさんの待つ京都に向かいます。
京都で全員集合したところで「特急はしだて3号」にて福知山経由で近畿丹後鉄道天橋立駅まで行きます。なんと2時間もかかる行程です。
天橋立駅に到着すると昼食の予約をいれている老舗の宿「対橋楼」の送迎バスがお出迎え。歩いても行ける距離でしたが利用させてもらい、そこで昼食をとって、いよいよ観光開始となりました。

「対橋楼」の前には天橋立運河があり、本土にかかる橋として、全長3,6キロメートル幅20?170メートルの砂州で出来た天橋立があります。この橋は船を通すために橋が回転するので「廻旋橋」と呼ばれています。この辺りは観世流にしかない能『九世戸(くせのと)』の舞台となります。
「対橋楼」の目の前には山門があり、奥には日本三大文殊の一つに数えられる古刹、天橋立知恩寺(橋立文殊)があります。
三大文殊のあとの二つは山形県高畠町の亀岡文殊堂と以前探訪した奈良県桜井市の安部文殊院です。
拝観を終え、すぐ近くの汽船乗り場から遊覧船に乗り、天橋立の全貌を眺めながら、一宮  に渡ります。
船上からの景色を眺めるあたりから急に激しい雨が降り出しましたが、景色は何とか見ることができました。一宮港に着いて、手荷物を本日宿泊する「新風楼」に置かせてもらい、徒歩3分ほどの「元伊勢籠神社」に参拝し、ケーブルカーで「股くぐり」で有名な見晴らし台に登ります。
幸い、この一瞬だけ雨がやみ、記念切手やポスターで見られる絶景が眼下に広がりました。
『盛久』ゆかりの寺、成相寺まではバスで3、4分で急坂を登り到着します。
私は来年予定されている自主公演『盛久』の無事演能を祈願して、会員と記念撮影をしました。その後下山して本日の宿「新風楼」へ。


二日目は
京都に昼までに到着するには天橋立駅9時発の「特急はしだて4号」に乗車しなくてはいけないので、逆算すると、朝一番、7時半発の連絡船に乗らなければなりません。朝早く宿を立ち、船で渡り、橋立あたりを再度ゆっくり散策して時間をつぶし、京都には予定通り12時に到着しました。予約済の錦市場「かね松」の長寿ランチという野菜のみのお昼御飯を戴きました。
食後、謡蹟保存会の立て看板があるところに行きたいという希望があり、相談の結果急遽錦市場近くにある和泉式部の墓として有名な「誠心院」と「誓願寺」に向かい、謡蹟めぐりとなりました。
国立博物館で「美のかけはし」を拝観し、最後は隣の三十三間堂にお参りしてこの旅行を終えました。


それでは写真でご紹介します。
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千寿と湯谷(熊野)ゆかりの地

千寿と湯谷(熊野)ゆかりの地高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-7-14 21:05
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平成18年6月30日、能『千寿』や『湯谷』のゆかりの地、磐田市の謡蹟めぐりをして参りました。

コースは磐田駅から千寿禅寺、傾城塚、朝顔の墓、行興寺の湯谷の墓、磐田伝統芸能館
の能舞台、最後は舘山寺九重ホテルまでと、およそタクシーで2時間の旅行となりました。

今回、千寿の墓の場所が判らなく、磐田市観光案内所に尋ねたところ、担当の坪井さんが
ご親切にたくさんの資料やパンフレットを郵送して下さいまして、それが役に立ちました。
ご親切感謝します。

謡蹟めぐりは辺鄙なところが多いため、今回もまたタクシーの貸切で効率良くまわることにしました。磐田駅で女性のタクシー運転手さんと1時間・¥5300で交渉成立。
早速「千寿禅寺、傾城塚、朝顔の墓に行って下さい!」とお願いしたところ、思った通り「あの??? 地図かなんかありますかね??」と少々頼りないお返事。観光案内所から頂いた地図を見せると、すぐに了解されて舘山寺までスムーズに二時間で回ることが出来ました。

それでは写真をご覧下さい。
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中国、西安と北京の旅

中国、西安と北京の旅高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2006-3-15 20:23
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平成14年7月9日より三泊四日、喜多流の、出雲康雅氏、粟谷能夫氏、長島茂氏と私の4名で中国、西安と北京に行ってきました。目的は兵馬傭坑と万里の長城の見学です。天気にも恵まれ、広大な中国の大地とスケールの大きさを痛感し、歴史ある史跡に感動してきました。
行程は初日が移動のみとなり、成田より北京経由にて西安に入りました。二日目、西安では華清宮、秦の始皇帝の兵馬傭、空海ゆかりの青龍寺(しょうりゅうじ)、阿倍仲麻呂記念碑、文字の博物館碑林、最後に大雁塔に登り、途中、強制的におみやげセンターに寄り道させられ、行程、おみやげ共にぎっしり詰まった旅でした。
三日目は朝6時起きで、北京空港に向かい、到着後直ぐに、明十三陵を見学して昼食をとり、万里の長城、八達嶺(はったつれい)から全員目標の見晴台まで無事に行ってきました。夕方には天安門広場を散策して、北京ダックのおいしい老舗、北京全聚徳飯店にて夕食をとり、夜は屋台の街を徘徊し試食してもいいかなと思いましたが、おなかを壊しそうな雰囲気でしたのでホテルに帰り、部屋で宴席としました。
帰国日は朝、天壇公園に寄り、故宮博物館を尋ね散策して帰国しました
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美濃赤坂から湖北観音めぐり

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投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2005-12-15 22:57
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写真探訪  美濃赤坂から湖北観音めぐり

平成17年11月10日から二泊三日で、美濃赤坂からの謡蹟めぐり、そして翌日は琵琶湖湖北の十一面観音見物に行って来ました。
11月10日
JR大垣駅で下車し、まず今回の行程で一箇所だけ離れている「養老の滝」までタクシーで向かいました。片道30分ほどです。本来、参道を使い徒歩で滝壺まで行くべきでしょうが、時間の都合上、山頂まで一気に車で上り、タクシーを待機させて、逆に下りながら滝壷と、養老神社のお社を見学してきました。神社には能『養老』にまつわる「菊水泉」がありましたので試飲しました。春は桜の名所として大混雑だそうです。養老神社のすこし上から山頂まで濃尾平野を一望できるリフトがあったので、それに乗り、タクシーを待たせている山頂駐車場まで戻りました。
『熊坂』や『烏帽子折』で謡われる「赤坂の宿」を通り、子安の森の子安神社を経て、本日のメイン、朝長の墓にお参りしました。朝長の墓の道は二通りありますが、今回は裏道の朝長ルートで徒歩10分で到着しました。途中、足場は整理されていますが、マムシに注意の看板がいたるところにあるのは不気味でした。
昼食を時間節約のため、お墓をお参りしたあと刀置きの石近くでとり、下山して『熊坂』で謡われる「青野ヶ原」や「青墓の宿」を通り、「熊坂の物見松」に向いました。それから「垂井の宿」を通り、「野上の宿」で班女が化粧をしたといわれる池がある岩田千年氏(90歳)宅へお邪魔してお話を伺い、班女観音堂にもお参りして、最後は「関が原古戦場」を見て彦根のホテルへ帰りました。

11月11日
朝8時半にホテルを出発、多賀大社に行きました。荘厳で綺麗な社は貫禄があり伊勢大社の親とも言われています。社の右となりには現在はあまり利用していない能舞台がありました。二日目のメインは渡岸寺(どうがんじ=向源寺)の十一面観音像です。湖北は古いお寺が沢山あり、十一面観音の宝庫といわれています。
その後、石道寺から遊歩道を歩いて己高閣に向かいましたが、途中猿の大群が畑を荒らしているのに遭遇しました。さすがにあれほど多いとすこし怖くなります。己高閣の宝物館に石田三成の母の墓があったので謂れを聞くと、母の出身地だったようです。ですから関が原合戦に負けた三成は母の故郷の古橋村に落ち延びたのです。
説明を受けるうちに雨が降ってきたので、二日目の行程をここで終了することにして、京都のホテルを目指しました。夕食は八坂神社近くのととや魚長さんで今回の同行者4人で大宴会となり楽しい旅を終えました。
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湖西線の旅

湖西線の旅高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2005-9-25 12:19
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今年度(17年)の阪大喜多会の夏合宿は9月2日より3泊4日で、滋賀県安曇川(あどがわ)の丸三旅館で行われました。
折角、湖西近郊へ行く機会を得たのでいつもの謡蹟めぐりをと思いたち、湖西線近郊の謡蹟を尋ねてから、阪大の合宿に参加することにしました。

京都駅から湖西線に乗り換えて唐崎駅で下車し、『三井寺』で謡われる唐崎神社の「唐崎の一つ松」を訪ねることから始めました。
湖西線は昭和50年に開通したまだ新しい路線だと、後日、丸三旅館のご主人からお聞きしましたが、交通の利便性とは裏腹に、昔から営業していた沿線のもろもろのお店が次第に店をたたまざるをえない状況になったということでした。安曇川も以前は旅館がいくつかありましたが、今は一、二軒になったらしいです。

話を戻します。
唐崎駅前からタクシーを利用するつもりが、驚いたことに乗り場に一台も待機していません。地元の人に聞くと「呼ぶと西大津から来るから時間はかかるねえ」と言われ、仕方なく徒歩でいく覚悟を決めたちょうどそのとき、一台駅前に入ってきたので、もうすぐに両手を挙げて呼び止め、飛び乗りました。乗車して判りましたが、徒歩では少々時間がかかりすぎる距離でした。唐崎の一つ松のあとに坂本の日吉大社まで運んでもらうように交渉して、タクシーを待機させて松をゆっくり見物することにしました。

唐崎神社の一つ松はとても立派です。『三井寺』の謡に、「志賀唐崎の一つ松、緑子の類ならば松風にこと問わん」とあるように、狂女となった緑子の母は、遠くから見るこの一つ松が、わが子緑子と重なって映って見えたのでしょう。

琵琶湖に面したこの南部の場所は、近江八景の一つで「唐崎の夜雨」として有名です。因みに八景とは「比良の暮雪」「矢橋の帰帆」「石山の秋月」「瀬田の夕照」「三井の晩鐘」「堅田の落雁」「粟津の晴嵐」の八つをいい、中国の瀟湘八景に擬したものです。
最近はこの時期になると、藻の発生で湖水が濁り悪臭を放つようになってしまいました。のどかに写真撮影と思っていましたが、時折鼻をふさぎたくなるような臭いは、私を早々と坂本へ移動させてしまいました。

日吉大社の敷地は広大で大規模ですが、もとは唐松神社の方が古く、その後、分社として日吉大社が出来たといわれています。
日吉大社は全国3000余社の山王さんの総本宮で、入り口を入るとすぐに大宮川に掛かる石の橋があり、これは日本最古の石橋です。それより上り坂を上がると鳥居が見えてきます。中に入ると東本宮、西本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮の七社の神が祭られている社殿があります。鳥居の近くに神輿庫があり七社の御神輿があります。平安時代、叡山の僧兵達がこの神輿を担ぎ、京の都に入り朝廷や平家に異議申し立てをしたのは有名な話ですが、よく京の都まで運んだものだと感心させられます。

この付近は『大江山』のシテ・酒呑童子が昔住んでいたところです。比叡山を開いたのは最澄ですが、能では土着民族を仏力で追いやる体制側に対して反対側からの視点で、追われる者の嘆きや敗北を演じます。

日吉大社の横には比叡山山頂へと続く山道があります。昔は信仰のため時間をかけて歩いて登っていたようですが、今はケーブルで山頂まで10分程で気軽に行けます。山頂に着くとさすがに涼しく、夜は温度もだいぶ下がるとのこと、さぞ冬の叡山は厳しいものがあると思われます。

比叡山に「延暦寺」という単一のお堂はありません。広大な比叡山そのものが延暦寺と呼ばれている聖域です。
『安宅』で「もとより弁慶は三塔の遊僧」とありますが、三塔とは東塔、西塔、横川のことで、弁慶は西塔に住んだと言われています。比叡山は現在三塔、十六谷七十三院百九坊の旧観を回復しました。
私は今まで根本中堂しか見たことがなかったので、今回は是非、武蔵坊弁慶に関わる西塔、『浮舟』にまつわる横川中堂と三塔すべてをまわるのが目標となりました。

坂本までお世話になったタクシーに山頂まで来てもらい西塔、横川とまわり、奥比叡ドライブウエイを堅田で降りて浮御堂を見学し、『竹生島』で「真野の入り江の船呼ばい」と謡われる真野海岸、そして脇能の稀曲『白鬚』の白鬚神社に参拝し、丸三旅館に夕方着きました。
では写真でご紹介します。
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桜井の庄

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投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2005-8-24 1:12
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 能『鉢木』は佐野源左衛門常世が所領を一族に横領され、上野国佐野に零落して生活しているところに、雪の降る一夜を、諸国廻国の僧(実は北条時頼)に宿を貸し、寒さを凌ぐために秘蔵の盆栽桜、松、梅を伐って火にくべて暖をふるまいます。また常世は僧が時頼とも知らず、「いざというときは馳せ参じる」と鎌倉幕府への忠誠心を語ります。後日、その事実を確かめるために時頼は鎌倉への参集のふれを出し、語った通り痩せ馬に乗って駆けつけた忠誠心あふれる常世に本領の返還と盆栽の木にちなんで梅田、桜井、松井田の三箇の庄を与えたという話です。
ワキの語りに「いで其の時の鉢木は、梅桜松にてありしよな、其の返報に加賀に梅田、越中に桜井、上野に松枝、合わせて三箇の庄、子々孫々に至るまで、相違あらざる自筆の状」とあります。越中の桜井は現在の黒部市三日市です。富山地方鉄道、東三日駅を下車すると、目の前に黒部市民会館があり、その横に「佐野源左衛門常世之遺跡」と書かれた大きな石碑がありました。
今回は黒部市国際文化センター・コラーレの開館10周年記念として「黒部 夏の能・狂言の会」が喜多流と和泉流にて公演されました。コラーレ会館に隣接して能舞台があったのには驚きました。
では写真でご紹介いたします。
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 曽我兄弟2

 曽我兄弟2高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2005-8-24 0:58
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お正月の箱根駅伝で有名な国道1号線の最高地点(海抜874メートル)の近くにある曾我兄弟と多田満仲の墓を探訪してきました。
元箱根から湯本へ下る1号線の右側に曾我兄弟の墓と虎御前の墓があります。
富士の裾野で父の敵、工藤祐経を夜討ちにして仇討ちを成し遂げた二人(能『夜討曽我』)ですが、兄の十郎祐成は新田四郎に討たれ、五郎時致は生け捕られ鎌倉幕府に送られ遂に斬首されてしまいます。兄弟の墓はここ富士の裾野の箱根に寄り添うように置かれていますが、兄の墓の隣には、生前愛した虎御前の墓もありました。この三つの墓を拝んでいると、ひとり大人になりきれなかった五郎の姿が目に浮かんで来て、哀れを誘います。

兄弟の墓から離れ、道路の下のトンネルをくぐると反対側には石仏石塔群がありました。
そしてそれよりすこし下ると、立派な多田満仲のお墓があります。
多田満仲は源氏の祖といわれ、能『満仲』(観世流は『仲光』)に登場します。
能『満仲』は家来の藤原仲光が主君満仲より美女丸を刺殺するように命を受け、苦渋の末わが子を代わりに手にかけてしまうという、現代では考えられない忠誠心の話です。家来という立場での悲しい状況を題材にした現在物で、父菊生の十八番でもありました。私もいつか演じたいと思っています。
では写真でご紹介していきます。
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多賀城周辺と塩釜、松島の旅

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 平成17年5月5日、前日の仙台みちのく明生会の稽古の翌日は仙台近郊の謡蹟めぐりに行ってきました。
仙石線、あおば通り駅より多賀城駅下車、『烏頭』に謡われる、「末の松山」「沖の石」を探訪し、午後に予定されていた松島の島巡りまで時間の余裕があったので、「多賀城政庁址」まで足を伸ばしてみました。
 多賀城駅に一度戻り、再度仙石線に乗車、松島海岸駅にて下車し、「雄島」を散策し塩釜港行きの遊覧連絡船を利用して、点在する島々を眺めながら「塩釜神社」を目指しました。
 塩釜神社は丁度、特別天然記念樹「塩釜桜」が満開で絶好の時期で、最後に御釜神社に参拝して、管理人の御婆様に実際に御釜を見せて頂き、説明していただきました。午後2時に一応予定されたものはすべて廻れたので、いよいよメインイベント待望の塩釜といえば寿司のとおり、寿司屋を一軒決めて打ち上げの一杯となりました。
 今回の同行者はみちのく明生会の小島 誠氏と泉田成美氏(この方は男性)と男ばかり3人という色気のない旅でしたが、男性のお弟子さんと和気あいあいと旅するのも、またそれなりにいいもので、楽しく勉強になる謡蹟めぐりとなりました。お二人のご協力には感謝しております。
では写真でご紹介いたします。
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奈良・飛鳥の旅

奈良・飛鳥の旅高ヒット
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平成17年4月29日から5月1日まで、奈良大和路の飛鳥を中心に謡蹟めぐりの旅に出かけました。
能の作品は奈良地方を題材にしているものが多く、謡蹟の宝庫です。
飛鳥(明日香)まで足を伸ばすとさすがに時代が古く、なかなか謡蹟はありませんが、今回は謡と無縁な所も写真にてご紹介します。
まずコースからご案内します。

■初日のコース■
★奈良駅より法隆寺・中宮寺〜龍田神社

JR法隆寺駅を下車、駅前より小型バスにて法隆寺門まで7,8分。法隆寺境内は広いので空身で参拝したく、門前で一時荷物預りを捜しましたが、残念ながらありませんでした。昼食をとったお店にお願いして荷物を置かしていただき助かりました。境内は撮影禁止が多くここでご紹介できませんが、南大門、五重塔、金堂を廻りました。やはりこの日の目的の第一は大宝蔵院です。玉虫厨子などが有名ですが、なんといっても「百済観音」です。あの長身でしなやかな身体のラインは魅力的でおもわず触りたくなります。

西院伽藍から東院伽藍に移動しますと、夢殿があります。能『夢殿』は故喜多実先生のお作りになられた新作能であり、以前、現喜多六平太宗家が実物の夢殿を背景に舞われたことがあります。今回はちょうど、秘仏「救世観音像」が見られる幸運な時期でした。夢殿の奥に中宮寺があり、本尊「如意輪観世音菩薩半跏思惟像」は神秘的なほほ笑みをたたえていて、これも私のお気に入りの仏像です。
法隆寺の近くに『龍田』ゆかりの龍田神社があります。聖徳太子が宮を造る地をさがしているときに斑鳩の地を御告げになったのがこの明神と言われています。またここは坂戸座申楽の発祥の地でもあります。   

■二日目のコース■
★在原神社〜結崎の面塚〜補厳寺〜石舞台〜昼食〜酒舟石〜飛鳥寺〜橘寺〜長谷寺(湯本、井谷屋宿泊)

二日目は貸切りタクシーにて、マニアックな謡蹟めぐりから始まりました。
まず『井筒』ゆかりの在原神社です。「西名阪国道バイパス開通のため、その場所を少し移動させられた」と神社の広場にてゲートボールを楽しむ地元の爺様婆様達が教えてくれました。
次に結崎座(観世流)発祥の地と面塚に向かいました。場所は川西町の寺川の横に結崎公園として綺麗に整地され、観世流の意気込みが感じられます。次に田原本町味間の世阿弥夫妻が出家した補厳寺(ほがんじ)を訪れ、石碑を見るだけとなりましたが、貴重な資料が門のところに置いてありましたので頂いてきました。
(読みたい方は添付ファイルからご覧下さい)

補巌寺をあとに、飛鳥の石舞台に向かいました。昼食を済ませ酒舟石を見学、飛鳥寺に着くと、丁度飛鳥時代の蹴鞠の再現をしていました。服装やルールなど面白く見られましたが、蹴鞠の技術はまだまだ未熟で、保存会の方々も「練習不足やー」と照れておられました。時間に余裕があったので橘寺にもまわり、いよいよ初瀬の長谷寺に向かうときに飛鳥川を見るのを失念していたことに気づき、運転手さんにお願いしましたが、時間がギリギリですからとの返答で諦めました。

長谷寺は今回で3回目ですが、お気に入りのお寺の一つです。丁度牡丹まつりで満開の牡丹を堪能できました。そのため大混雑で急に疲れてしまいましたが・・・。下山途中の東道に『玉葛』の「二本の杉」があり、私以外の参加者全員で『玉葛』の一節を、人が来ないかびくびくしながらも無事謡い終えました。直ぐ隣には定家と俊成の墓もあり合掌して参りました。

■三日目のコース■
★長谷寺〜奈良国立博物館(館内にて昼食)〜白毫寺〜新薬師寺〜海竜王寺〜不退寺〜東大寺戒壇院〜奈良

朝早く目が覚めてしまい、尾上の鐘や真言宗の読経が聞きたくなって、ひとり急いで長谷寺に登ることにしました。五時半はさすがに人が少なく、鐘の音や読経が聞けて気持ちの良い一日の始まりとなりました。本堂前にてお経を聞いていると、二名の参加者も早く起きたからとお参りにやってきました。
その後、全員宿を出て、近鉄奈良駅に移動し、奈良国立博物館の常設展「仏教の美術の名品」を拝観しました。またも運良く唐招提寺の「木心乾漆薬師如来立像」が特別出陳されていました。お昼に昨日のタクシーにまたお願いして「白毫寺」に登り、閻魔様にご挨拶して、「新薬師寺」に行きました。

ここの十二神将は有名でみな国宝ですが、一体のみ昭和の作であるため、それだけが国宝ではないのだとか。十二神将は十二支それぞれの守り神です。では昭和の作は何年でしょうか?

答えは 辰です。

海竜王寺を拝観し不退寺に伺うと、住職さんが親切丁寧に説明して下さいました。その説明の一部をご紹介します。
「不退寺は業平寺とも呼ばれ、在原業平が住まわれたところです。どうぞどんどん前へ出られて構いません。見て下さい。丁度業平画像がございます。ゆっくりもっと近くで見て下さい。えー男でしょ、56歳ですわ。本堂は右に春日大明神、中央に聖観世音菩薩立像、左に阿保親王座像と神仏混合ですわ。奈良ではそうめずらしいことではないのですわ」
「一つお聞きしていいですか?釈迦涅槃の時に何かがいなかったですね? なにでしたっけ?」
「猫ですわ。理由? いろいろありますが、絵師が中国人で中国に猫がいなかったとか……、ほな涅槃図説明しましょう!(中略)で……お母様の摩耶夫人が天からお釈迦さまにお薬を投げられたんですわ。でも沙羅双樹にひっかかってしもうて……それでお薬出すこと投薬いいますねん」
参加者皆「へぇ………………」
そして最後は東大寺戒壇院の四天王をお参りして旅は終わりました。

私は今年、50歳になります。いつかはじめてみようと思っていた朱印帖。
初めのページが法隆寺というのもいいかな……と今回決断しました。
「年寄り臭い、お金がかかる」と言われそうですが、最近ついこの間のことなのに、どこへ誰と行ったか、思い出せないことが多くなりました。まずい、危険信号です。自分の軌跡確認のためにも写真探訪をまとめていますが、そこに朱印帖も仲間入りさせては……ということです。

奈良のお寺の朱印は¥300,拝観料は¥300が普通です。
ところが最近東大寺や白毫寺は値上げして¥500です。それでも京都に比べたら、まだいいのですが、お寺参り、仏像鑑賞となると意外に物入りです。気づくのが少し遅いのかもしれません。 

では写真でご紹介いたします。
一部写真でご案内出来ないところもありますが、ご覧下さい。
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能『藤戸』ゆかりの地を訪ねる

能『藤戸』ゆかりの地を訪ねる高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   カテゴリー写真探訪    前回更新2005-5-26 9:06
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平成17年4月15日、厳島神社御神能の前日に時間が出来て、お天気もよく桜もまだ咲いている様子でしたので、岡山県倉敷市へ謡蹟巡りに出かけました。
広島駅から新幹線で新倉敷駅にて下車、タクシー乗り場に行き運転手さんに、
「藤戸町に行って下さい、藤戸の渡り、乗りだし岩などが見たいので」というと、
「それなんですか?」と先行き不安なそっけないお返事。それでも、とりあえず乗車しました。
「『藤戸』という能の曲がありましてねえ。それに関連したところに行きたいのです。かなりマニアックなところですが、よろしく」
「??…??…まあ…藤戸町まで行ってみますね。そこら辺で聞けば判るでしょう…」
「大丈夫かな……」と内心思っていると、
「お客さんねぇ…、普通はここからは行かんですよ。倉敷からの方が近いけね…」と。
どうも新倉敷駅から藤戸町までのタクシー利用は珍しいらしい。今度はお財布が心配になり「料金は幾らぐらいかかるの?…」と聞くと、
「行くだけで4000円越えるよ!」の答え。
もうしょうがない、あきらめて「いいですよ、地図に書いてあるところ全部廻るから、よろしく! これがその地図です…」
「はあ…見てもわからんけに……」
以上が車中の会話でした。
「謡蹟巡り西日本編・青木実著」を頼りに、まず「藤戸の渡り」があったと言われる、倉敷市有城小瀬戸に向かいました。
地図の記載がおおまかで詳細な所在が判らないので地元の人に聞いてみることに。タクシーの運転手さんがガソリンスタンドに入り若者に尋ねてくれました。
「有城1348下電バス小瀬戸はどこ?」
「え…、そんなん知らんな…」
「お客さん、知らんっていいますが…」
「乗り出し岩というところなんだけどなあ……」と私。
すると突然、「あっ、そこや!」と直ぐ近く指さすではありませんか。乗り出し岩はまさしく目と鼻の先の街道に面している所にありました。その後も考えていた順番通りにはことは運ばず、あっちに行き過ぎ、こっちへ戻りと捜し廻る、まさに謡蹟をめぐる旅となりました。
ではここから、どうやら見つけることができた能『藤戸』ゆかりの地、「乗りだし岩」「経ヶ島」「藤戸寺」「浮き州岩」「先陣庵」を写真でご紹介します。
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