粟谷能の会
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厳島神社

厳島神社高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-9-29 21:05
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能楽協会アーツプラン愛媛公演内子座から

能楽協会アーツプラン愛媛公演内子座から高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2003-4-19 9:00
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平成15年2月25日から三日間、能楽協会アーツプラン愛媛公演がありました。演目は三日間とも『景清』で、初日は八幡浜市にてシテ・粟谷菊生、二日目は内子町にてシテ・塩津哲生、三日目は丹原町にてシテ・香川靖嗣で公演いたしました。
中でも二日目の会場となった内子座(うちこざ)は大正天皇ご即位を祝って創建され、歌舞伎も文楽も公演可能な木造劇場です。一時老朽化により取り壊しになるところを町民の熱意により復元し、昭和60年10月に再出発しました。現在は年間7万人もの人々が訪れています。
今回のように、内子座での能の公演は大変珍しく、貴重な体験となりましたので写真でご紹介いたします。
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曽我兄弟と鎌倉武将ゆかりの地

曽我兄弟と鎌倉武将ゆかりの地高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2005-1-11 9:00
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平成17年1月2日、3日は曽我兄弟と鎌倉武将の土肥実平や梶原景時などのゆかりの地を写真探訪してきました。富士の山には雲一つなく、すばらしい姿を見せ、私たちを迎えてくれているようで気持ちよい旅となりました。
初日は御殿場線の下曽我駅にて下車し、曽我兄弟が信仰していた力不動尊のある瑞雲寺、兄弟の墓のある城前寺へと徒歩にてまわり、一度国府津駅に戻り東海道線に乗り換え、湯河原駅にて、駅前ロータリーにある土肥実平館址、実平の像を記念撮影し、駅裏にある土肥実平、遠平親子の眠る城願寺を訪れました。
次に小田原駅まで戻り、小田急線にて箱根湯本駅近くの曽我堂を尋ね、最後は箱根湯本の湯を満喫して横浜に宿をとりました。二日目は横浜能楽堂近くにある御所五郎丸の墓を捜し、梶原景時ゆかりの地、鮫洲の海晏寺、西馬込万福寺をお参りし、写真は記載していませんが東京の大倉集古館、泉屋博古館分館にて大倉、住友の能コレクション(平成1/2から3/13公開)を楽しんできました。
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善光寺に纏わる能

善光寺に纏わる能高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-9-29 21:05
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先日の阪大喜多会戸隠での夏期合宿の帰路、長野に寄る時間がありましたので、善光寺へお参りがてら写真探訪してきました。

善光寺にゆかりのある能は、『土車』、『柏崎』、『山姥』、『道明寺』などがありますが、私が今までに勤めたことのあるものは、『柏崎』、『山姥』です。

『山姥』は善光寺へお参りにゆく百魔山姥(ひゃくまやまんば)という京の遊女が境川から上路超え(あげろごえ)の道を進むと真の山姥が現れるというお話で直接善光寺が関係してくるものではありません。

『柏崎』は、主人の死と息子の出家の知らせを受け、悲しみに打ちひしがれたシテが阿弥陀如来の慈悲を願い善光寺の如来堂を尋ねます。内陣に入ろうとすると住僧が「女人禁制」と制止するのを「仏が本当にそう仰っしゃるのか、ここは全ての人の往生極楽の門である」と逆に論破してしまう教養高い未亡人の善光寺信仰の話です。詳しくはこちらをクリック


千秋公園の蓮と、中世の館「唐松城」能楽殿

千秋公園の蓮と、中世の館「唐松城」能楽殿高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2001-9-24 9:00
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2001年9月2日に秋田県協和町まほろば唐松城能楽殿にて、喜多流の公演がありました。番組は能『枕慈童』(シテは友枝昭世氏)、能『葵上』(シテは粟谷能夫氏)、狂言『萩大名』(大名は野村万作氏)です。
私は前日の夕刻に秋田入りし。ホテルに向かう途中、千秋公園の綺麗な蓮の群れが目に止まり、思わずシャッターを押しました。しかし暗くて思うような撮影が出来ず、翌朝改めて撮影に出かけました。
能と蓮の関係で思い起こされるのが『羽衣』です。喜多流では『羽衣』に小書きが付くと、牡丹の花を頭につけますが、これは多分伝承の間違いで、本来は蓮だと思われます。他流に蓮をいただくところもありますし、宗教的な意味合いからも蓮の方が似合うような気がします。最近、私は意識して白蓮をつけていますが、平成5年のまほろば公演の『羽衣』舞込(菊生の代演)では、従来の牡丹をつけて勤めています。(次の写真)。それから『当麻』『誓願寺』なども蓮が似合う曲目だと思います。
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新城 富永神社能舞台

新城 富永神社能舞台高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-9-29 21:03
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愛知県新城市(しんしろし)には富永神社所有の能舞台があります。
新城市本町にお住まいの方々を中心に新城能楽社を結成し、毎年10月の第二金曜日を祭礼能として、長い伝統を引き継ぐ演能奉納をしてこられました。
私は月に一度稽古に伺っていますが、写真のように舞台が拝見できるのは、祭礼能の季節だけですので、今回の写真撮影と共に新城と粟谷家の繋がりをご紹介したいと思います。詳しくはこちらをクリック


能『女郎花』ゆかりの地を訪ねて

能『女郎花』ゆかりの地を訪ねて高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-9-29 21:02
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平成13年11月8日、『女郎花』ゆかりの地、八幡市の石清水八幡宮、松花堂庭園を訪ねてみました。
京阪電車、八幡市駅下車、目の前に男山山上行きのケーブルがあります。
本来は40分程度徒歩にて、一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居と参拝しながらが登るところに御利益もあるのでしょうが、今回は時間の都合上、登りはケーブル、下りは徒歩としました。詳しくはこちらをクリック


熊野紀行

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投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-9-29 21:01
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平成14年5月1日から3日まで、明生会会員有志の皆様と熊野を探訪いたしました。
南紀白浜空港よりジャンボタクシーを調達、三日間貸切で走り回りました。初日は中辺路(なかへじ)より熊野大社本宮を経て新宮まで、二日目は新宮より那智の滝、阿弥陀寺などを廻り那智勝浦に宿泊、三日目は串本や白浜などの海岸線を走り南紀白浜空港へ戻るという行程でした。楽しく、実りある紀行を写真を添えご案内いたします。
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竹生島参詣

竹生島参詣高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-9-29 20:57
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平成14年9月、広島花の会で『竹生島』を舞うにあたって、滋賀県近江の竹生島に参詣に行ってきました。
竹生島は能『竹生島』『経政』にゆかりある地で、この二曲を軸に探訪してきました。

能『竹生島』は醍醐天皇の臣下(ワキ)が四の宮、逢坂の関を越えて琵琶湖湖畔、志賀の里に着き、漁翁(シテ)の釣船に便船を願います。
ここで笑い話を一つ、『竹生島』の次第は「竹(たけ)に生まるる鶯の、竹に生まるる鶯の、竹生島(ちくぶしま)詣で急がん」ですが、ある人が最初に竹(たけ)を(ちく)と読んでしまった、聞いていた先生は怒りたかったが、まー返し(二回目)には気が付くだろうと黙っていた、しかしこの人、返しも(ちく)と謡ったから、さあーたいへん! 先生、怒り出し、怒鳴って「こらー、たけだーっ」と…するとこの人、竹生島(たけぶしま)詣で急がんと平気で謡ったとか…。
能『竹生島』に話を戻します。シテ(漁翁、実は龍神)とツレ(女人、実は弁財天)は釣船を浮かべ、浮き世の業を悲しみながらも、春の長閑な景色を眺め、湖畔から声の掛かるのに気付いて舟を寄せます。
ここのところを謡曲では
「真野の入り江の船呼ばひ、いざ漕ぎ寄せて言問わん」とありますので、志賀の里、真野あたりで乗船させたことになります。「所は湖の上…」からの謡では左に比良叡山を眺め、満開の桜の花であたかも雪が降っているようだといいますから、春爛漫長閑の極みで能『竹生島』の一番の聞かせ所です。
しかし、謡の言葉通り櫓で漕ぐ舟では志賀から竹生島は余りに遠く、現実には無理です。フェリーの船長さんにお話をお聞きしたところ、昔、竹生島北側の半島から櫓を漕ぐ舟で、一時間もあれば着くことが可能な航路があり、当時は風を利用して行き来していたということです。
このフェリー会社も実はそこが起こりと仰ってましたので、航路としてはこちらが本当らしいですが、今は謡ならではの航路と思われます。
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中国、西安と北京の旅

中国、西安と北京の旅高ヒット
投稿者akio_dakio_d さんの画像をもっと!   前回更新2006-3-15 20:23
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平成14年7月9日より三泊四日、喜多流の、出雲康雅氏、粟谷能夫氏、長島茂氏と私の4名で中国、西安と北京に行ってきました。目的は兵馬傭坑と万里の長城の見学です。天気にも恵まれ、広大な中国の大地とスケールの大きさを痛感し、歴史ある史跡に感動してきました。
行程は初日が移動のみとなり、成田より北京経由にて西安に入りました。二日目、西安では華清宮、秦の始皇帝の兵馬傭、空海ゆかりの青龍寺(しょうりゅうじ)、阿倍仲麻呂記念碑、文字の博物館碑林、最後に大雁塔に登り、途中、強制的におみやげセンターに寄り道させられ、行程、おみやげ共にぎっしり詰まった旅でした。
三日目は朝6時起きで、北京空港に向かい、到着後直ぐに、明十三陵を見学して昼食をとり、万里の長城、八達嶺(はったつれい)から全員目標の見晴台まで無事に行ってきました。夕方には天安門広場を散策して、北京ダックのおいしい老舗、北京全聚徳飯店にて夕食をとり、夜は屋台の街を徘徊し試食してもいいかなと思いましたが、おなかを壊しそうな雰囲気でしたのでホテルに帰り、部屋で宴席としました。
帰国日は朝、天壇公園に寄り、故宮博物館を尋ね散策して帰国しました
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