粟谷能の会
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粟谷能の会とは


粟谷家の能をさかのぼると、初代は粟谷新三郎にたどりつきます。新三郎は江戸時代に、広島浅野家のおかかえの能楽師だったといわれています。新三郎の孫の粟谷益二郎(1890〜1957)は、十四世喜多流宗家の喜多六平太に見出され、十二歳で上京し内弟子となります。謡の名手で、六平太宗家の名地頭としても活躍しました。


益二郎は四男一女の五人の子どもに恵まれ、四人の男の子をすべて能楽師に育て上げました。粟谷新太郎(1919〜1999)、菊生(1922〜2006)、辰三(1928〜)、幸雄(1932〜)です。粟谷菊生は平成8年人間国宝、平成15年には日本芸術院会員に認定されました。


「粟谷能の会」は「粟谷兄弟能」が前身です。粟谷兄弟能は粟谷新太郎と菊生の兄弟が、粟谷益二郎の追善能を催そうと立ち上げた会です。昭和33年、益二郎一周忌追善としてとり行われ、七回忌追善能(昭和37年)のころから兄弟能が定着し、二年後には辰三、幸雄も加わり、年一回の能の会が催されるようになりました。昭和37年の会を「粟谷兄弟能」の第一回とし、昭和45年からはほぼ年二回開催されました。


その後、新太郎の長男・能夫(1949〜)と菊生の長男・明生(1955〜)が加わるようになったことから、昭和56年3月の会から、「粟谷兄弟能」を改め「粟谷能の会」とし、年二回の会を、新太郎、菊生、能夫、明生で運営するようになりました。


現在は、新太郎、菊生が鬼籍に入ったことから、能夫、明生で運営し、定期公演を年二回、3月第1日曜日と10月第2日曜日に開催(於:国立能楽堂)しています。


また、粟谷能の会研究公演を不定期に開催しています。研究公演は能夫と明生が研鑽の場を持ちたいと、平成3年に立ち上げた会で、平成13年まで年一回(平成5年は年二回)の定例会を催してきました。その後は折りにふれ、テーマを決めて開催しています。


(粟谷家の家系図はこちらをご覧ください)


 
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