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> 野村四郎氏と『卒都婆小町』を語る(H17/4/3掲載)
野村四郎
粟谷能夫
粟谷明生
今年の春の粟谷能の会(平成17年3月6日)に、粟谷能夫が『卒都婆小町』を披くことになったことから、新春早々、野村四郎氏に『卒都婆小町』についてご教授願おうと、粟谷明生も加わってお話を伺いました。暖かくも激しい芸談が展開され、熱い時間となりました。(3月の粟谷能の会は終了していますが、『卒都婆小町』を披く前の語らいを、ここに掲載いたします)。
能夫 今年私、『卒都婆小町』を披くことになりましたので、そのお話をひとつ・・・。
野村 『卒都婆小町』ねえ・・・。
能夫 おいくつの時、なさったのですか。
野村 いくつか忘れちゃった。いくつだろう。『卒都婆小町』でタバコをやめたんだ。(笑い)
能夫 『卒都婆小町』で僕、ダイエットしているんです。(笑い)
野村 『安宅』でタバコをやめて・・・、酒はなぜかやめるという意識はなかったね。『安宅』が終わって、またすぐにタバコを吸ったの。その後タバコをやめたのが『卒都婆小町』でした。『卒都婆小町』というのは、人生の中で何かあるんだよ。
明生 観世流は、一般的には『卒都婆小町』の披きは40〜50代ですか…。喜多流は遅くて還暦を過ぎてからなどといいますが、これでは遅すぎませんでしょうか?
野村 喜多流のことは分かりませんが・・・。観世流は今、『卒都婆小町』を軽んじているように感じます。昔は『卒都婆小町』が最高曲でした。『鸚鵡小町』は稀にしか演じられなく、よほどの方でないと『姨捨』までは・・・。ですから『卒都婆小町』は老女物の披きの最高曲です。
能夫 うちもそうでした。
野村 そうでしょ。僕の体験からすると、あんまり年を経てから老女物をやるのではなく、若いうちに披き、二度、三度と勤めるうちにより良いものにすればいいのではないかと思うのですが、どうでしょうか?
能夫 本当にそうですね。
野村 足腰が駄目になってから挑むような老女物はダメ、勉強にならないよね。やっぱりまだ足腰がきっちりしている間に老いの虚構を演じるんだよ。
明生 なるほど。
野村 そうでしょ。爺さんになってそのまんまでは、演じることにはならないもの。
能夫 演じることにはつながらないですよね。
野村 その人のそれまでの能に対する考え方、意識というのが、そこに現れるものでなければ・・・。藤山寛美ならうまくやると思う、僕は藤山寛美というのは一番の役者だと思っています。でも、僕たちは役者は役者でも能役者だからね。能がついていると、乞食の役でもシルクを着ているんだよ。だからそこに私憤を絶やさないことじゃないかな。結局お能って、小町を演じるとき、まず一番に色気がないと駄目なんだよ。僕は「これは出羽の郡司小野の良実が娘、小野の小町が成れる果てにてさむらふなり」、この謡に艶がないといけないと思っています。そして「影恥ずかしき、わが身かな」で、笠で顔を隠すんですが・・・。喜多さんもなさる?
明生 観世さんのように、笠ですっぽり隠れるようにはいたしませんが・・・。
能夫 手でそっと。そのとき笠を持っていませんので・・・。下に座ったときに笠は置いてしまいます。
野村 なるほど。「影恥ずかしき」というのは何かというと、過去に対する恥ずかしさとかではなくて、僕は『姨捨』のような気持ちなのです。月に照らされて、皺も見え、老醜があらわになる。隠すというのが艶なの・・・。隠すというのを、僕は月を見てやるんです。月がすべてをあらわにするという・・・、汚くも見せれば美しくも見せる。
能夫 まさにそうですね。
野村 そして、年月を重ねてきたことを月に見られているという気持ちがある。すべてが見透かされているような。深草の少将との恋のことから、歌詠みで誇らしげであった気持ちまで、すべてが見透かされている。あーあ、今は老残の身、それが恥ずかしい・・・。つまり「これは出羽の郡司・・・・・・成れる果てにてさむらふなり」と謡って、ワキに「痛はしやな小町は・・・」と言われているうちに、だんだん恥ずかしくなってくるんですよ。これまでの名人は、寿夫先生もそうでしたが、「これは出羽の郡司・・・」はお婆さんで謡っておられないですね。違和感がなく昔を回顧するような、昔に引き戻されるような感じで、「さむらふなり」と謡ってワキへ向きます。そのときうちは笠を持っていますから、その笠が何か隠れ蓑みたいなものになって、控え目さみたいなものが出てくる・・・。
能夫 笠が防波堤のような。
野村 笠を持っているというのは、重心が下に着くからやりやすいんですよ。それで上が多少突っ張っていてもね。能夫さんは『卒都婆小町』披くにあたって、突っ張ってやってもいいけれど、いつまでも突っ張らかってではなくて、菊生先生のように自然体に。
能夫 菊生叔父の境地には中々なれないですよ。
野村 そう、直ぐには無理ですが。とにかく「これは出羽の・・・」、あそこの謡が勝負だよ。あそこでもって、小町のある部分が出なかったら、何もない。
明生 うあー、だって!(笑い)
能夫 わかります。
野村 それから習ノ次第で出るときには休息があるでしょ。そのときの型が本家と分家では違うのです。本家は伏せて体を杖に預けるようにしますが、分家は背伸びをします。
能夫 リラックスするんですかね。
野村 リラックスというか、杖をつきつき出てきて、ちょっと休み、あーあ、疲れたという感じ。本家と分家ではこんなに違います。
明生 父が、観世さんのどなたかが、後ろにのけ反るように背伸びしたと言っていましたが・・・。
野村 それです。分家の方はそうするんです。僕は両方やります。まず面を伏せ、それから少し体を伸ばします。体を伸ばしてからは元に戻るまで動きません。あの休息とは、そういう時間だろうと解釈しています。
能夫 どちらかでなくて。
野村 そう。それも両方を取り入れてやるというのではなくて、老女の自然の成り行きとしてと考えたいですね。
明生 その方が自然ですね。
野村 ねえ、老女には両方あるじゃない。僕は型付というのはある意味で羅針盤みたいな、方向指示器みたいなものだと思います。最近の型付はたくさん書いてあります。何で昔の型付はあまり書いていないか・・・。昔の型付ほど自由な余白がありますね。
能夫 書いてないから、自分で発想しなさいということでしょうか?
野村 そうだと思います。それで、次に書く人は自由に発想して自分のために書きます。人のためじゃない、それが型付の起こりです。それを今度は人にも伝え教えるようになって、伝書というものになった。花伝書も世阿弥が息子のために書いたものでしょ。それもたくさんの息子に教えるのではなくて一子相伝。
先程『卒都婆小町』は若いうちに勤めたほうがいいと言いましたが、それはあのワキとワキツレとの問答を経験してもらいたいからなんです。僧に卒都婆に腰掛けたのをとがめられるところからのいわゆる「卒都婆問答」。禅問答ではないけれど、あの会話を習得しようと思わないと・・・。シテは最初は受けから始まりますよね。それが次第に変化しながら、最後には逆転していく。それもなべをひっくりかえしたような大逆転。いきなりひっくり返るのではなくて、徐々に、最後にはどうだとばかり、僧が頭を垂れるところまでもっていく、そこのドラマでしょ。能のドラマというものを観客に伝えるのは大変なことだと思う。『卒都婆小町』は観阿弥の作品でしょう?
明生 世阿弥が改作していますが、もともとは観阿弥だと思いますが。
野村 観阿弥だから、憑き物の芸能というところがある。あの問答にも憑き物的なものがありますよね。ですからどんどん憑いて来て・・・。あれはね、考えてしゃべっているんじゃないんですよ。
能夫 そうですね。そういうイメージです。
野村 ワキの僧は一生懸命考えて言っているのですが、シテの小町は自然にポーン、ポーンとね。最初は間というものが大事だと思うけれど、徐々に時間が経つうちに逆転して、ついには「げに本来一物なき時は、仏も衆生も隔てなし」となる。あそこの場面、何か型をやりますか?
能夫 友枝昭世さんがやっていらした気がします。
明生 「隔てなし・・・」と強く杖をつかれていました。
野村 僕いろいろなことをやりますが。その前の「台(うてな)になし」でついてしまうのもありますが、それでは、シテのエネルギーが切れてしまいます。エネルギーを持続させるためには・・・。
能夫 最後に止めをさすような感じにするには。
野村 そう。あとでやったほうが気持ちが固まるね。ワキの高野山の僧侶なんか・・・ってね。
能夫 相手じゃないわ、って。おもしろくできていますよね。
野村 すごくドラマチックなんだ。
明生 あの問答の謡いかた…、考えてちゃ駄目なんでしょうが、何かコツみたいなものがありますか。最初から力んで一生懸命謡っているようでは、そこにたどりつかないというか・・・。
野村 でも最初は一生懸命謡わないと成り立たないよ。
能夫 そうですね。だから2度、3度やりたい曲ですね。
野村 ところで、四ツ地の謡はあるの。
能夫 昔は『卒都婆小町』にも、四ツ地の謡があったらしいですが。
野村 節を大きく謡うでしょ。だから2拍休んだりしますよ。
能夫 九拍子ですか。
野村 そういうのもあるわけ。今はみんな八拍子で打つけれども、僕は地拍子では謡いたくないんだよ。(笑い)
能夫 自由に謡わせてほしいときありますよね。地拍子にこだわり過ぎると窮屈になりますから。それからロンギのあとですが、観世さんは早く立たれるんですか。
野村 早く立つのが普通ですが、橋岡久太郎先生が書き残している型付けを見ると、すぐに立たないようです。
能夫 最後のところ、「破れ蓑・・・」のあたりですか?
野村 もうちょっと早いね。普通は「頚にかけたる」で立っていくのですが、橋岡久太郎先生がやっているのは「粟豆のかれいを・・・・・・くにの垢づける」で立って、「袂も袖も・・・」で左を向いて右手を左側にもってきて杖をつくんですよ。僕も近頃そうしています。
明生 ああ、そういう写真がありますね。
野村 喜多さんはないの。
能夫 ありますけれど、あれほど強烈なポジションではないような気がします。
野村 そして右足を引いておいて、色っぽく面遣いして、あー恥ずかしい、となる。ここに色気が必要なんですよ。「袂も袖も」、あとからゆっくり見るから利くんだね。動き出したら同じですから、型と所作の違いということになるね。
明生 なるほど。勉強になります。
野村 現在物は所作でないとだめということです、型を超えないと…。
明生 現在物の難しさはそこですか。なるほど型だけでこなしていても手に負えないと思っていました。そうか実感します。
野村 所作でなくてはね。それでも逆に型になっていくんですよ。
明生 確かに。現在物と夢幻能との違いはどういうことかを、そういう言葉で教えていただくと、あー、すっきりします。型と所作か…。覚えておこう。
野村 ロンギの後の問答で、「のう、物賜べのう、お僧のう」というのがあるでしょ。昔の文献を見ると、「のう、物賜べのう」のあとの「のう」を高く謡うようです。これは本家にはありません。この「賜べ」というのは「何かめぐんでくれ」という意味でしょ。お僧も二人いるんだから。真ん中の「のう」を高く張って謡うことで、相手に強く訴えかけるのです。平坦に「のう、お僧」と言っても力がない。僕はそうしていますが、そちらはどう?
能夫 同じです。
野村 「今は路頭にさすらひ、行き来のひとに物を乞う」と言って目付の方に行って。「乞ひえぬ時は悪心、また狂乱の心つきて、声変はり、けしからず」とダラダラと下がるんですよ。そして「のう物賜べのう」。どちらが正しいかわからないけれど、芸能の言葉だからね。
先代の橋岡久太郎先生が書き留められていた型付でいいなと思ったのは、深草の少将が「榻(しじ)の端書き、百夜までと」のところ。これは通った回数だよね、車の榻に書き付けたんだから。橋岡久太郎先生はこの「榻の端書き、百夜までと」で、右向いて拍子を踏んでいるの。そうすると一つ、二つ、三つと百夜通いの端書を榻に書き付けている感じがする。普通は左右に回るだけですが…。
能夫 書き付けている感じで拍子を踏んだというわけですね。
野村 ただ舞を舞っているというのではなく、その表現こそが『卒都婆小町』そのものなんだと思うよ…。右だの左右だのという状況を越えてしまってよ、能夫ちゃん!
能夫 なるほど…。それからそのあと、「あら苦し目まひや」のあたり、いろいろやりかたがあると思うのですが…。「その怨念がつき添いて」のあたりですね。
野村 あれはいろいろな型があって。うちの方ではね、「その怨念・・・」と言って四つ拍子踏むの。それでタジタジとなって座ります。華雪先生の伝書だと「かやうに物には狂はするぞや」で、敢えて下からなめるように見上げるという教えね。
能夫 すごくリアリティがあって、わかります。
野村 こう、顔を縦に遣い、胸を張ってね。少将は悲しいんだ! 苦しいんだ! という表現があって、それがだんだん緩んでくる。
能夫 浄化されていくみたいな・・・ですか?
野村 いや、浄化されるというよりは緩むんだな…体が緩んで…ふっと抜けて…立って…仏に手向ける・・・。
能夫 そして合掌する。そうか体が緩むのか…。そこが極端に変われないでいたのです。あー、ありがたいお言葉でした。何かそこで変わらなければいけないのかと思っていましたから…。
野村 そういう内的なものの演技なんじゃないかな。
能夫 そうですね。
野村 表面的なことはいろいろあるけれど。面を上げながらワキを見る、しかし単にワキを見るんじゃないよね、自分の気持ちの中に入っていくんですよ。それをワキが見ている形になる。書きつけにある、「狂はするぞや」でワキを見る、と…そんな型だけの世界じゃいけないんじゃないの。
能夫 はい、そう思います。
野村 自分の体の中そのものですね。それから最後、「悟りの道に入らうよ」で合掌するとなっているけど、現在能で合掌するのはある? 一曲の最後に合掌するのは修羅物とか夢幻能しかないよね?
明生 あの最後の部分は……すみません、あー終わったと思ってまして…何も思考していませんでした・・・。
能夫 僕も最後まで思考していないな…。
野村 それではダメだよね。ちょっと感じてほしいなあ。僕はね、世阿弥、観阿弥の時代にさかのぼってみると、小町という人物がどれだけ一般の人に認識されていたかということ、かなり有名な人だったと思いますよ。深草の少将をあんなに悩ました、悪行三昧の女だから。そうなると具合がいいんですよ。なぜ具合がいいかというと、つまり道に入ろうよといいますね、ワキの僧がいるわけだよ、一人芝居じゃないのだから、高野山から出てきた僧と相対したことで、一般に見ている観客も一緒に救っていくという、何か民衆性みたいなものが合掌という型を生かしているんじゃない?
明生 『卒都婆小町』という作品を、喜多流ではあまり重く扱いすぎて、私の体の近くにありませんでした。『鸚鵡小町』を謡う経験をして、あれ『卒都婆小町』と何か違うなと思ったことがありましたが、それが何であろうか? 正直判りませんでしたし、追及しようとも思いませんでした。『卒都婆小町』の民衆性や土臭さというもので、今少し分かりました。観阿弥が創ったということが…。
野村 泥臭くしているんだよ。
明生 泥臭いですよね。
野村 要するに作能のパターンというのがあるかもしれないね。三番目物のパターンがあって、修羅物のパターンがあって、だいたいそれですべて語れるようなところがあるけれども、観阿弥の作品は、あとで手を加えられているとしても、『松風』だって世阿弥が手をつけているからね、そうであっても、もっとも芸能的なんですよ。芸能的ということは、見る人と共感するということが大事であるわけです。高尚でもなんでもないんだね。たとえば『鵜飼』を見て、殺生を生業にしている人は、地獄に行った者が、日蓮上人さんのおかげで極楽まで行けた、ならば私も救われるだろうと思う、それがいいんじゃない?
明生 殺生しないと食べていけない人もあるわけで、そこで人が救われる、それでいいなと思いますね。
野村 そうですよ。僕はその感覚がものすごく強いよ。
能夫 その視点が大事ですね。
野村 世阿弥のころは、将軍など上つ方に気に入られるようにと、どんどん趣向を変えていったでしょ。作品論をいろいろな人が言っていますが、僕は世阿弥のあとに続くものはいないのではと思っています…。
明生 金春禅竹もダメですか。
野村 まあ、禅竹だけ。娘婿だけ。あとは作品の趣向から言ってみんな観阿弥に戻っている。『松風』にしたって『卒都婆小町』にしたって、みんな現実性がある。その後の作品は幽玄無常なんていう世界ではなくなっていますから。だからもっと能は演劇的でいいと思うよ。その演劇性そのものが規範になって、人間的なものを演じられるということにならなければいけないよね。それには役者の技量がいる。だから世阿弥に戻るよりは観阿弥に戻れ! といいたいね。精神はもっと劇的なんですよ。
明生 『卒都婆小町』というのは、民衆の心をつかまないと成立しない、という作風なのですね。
野村 観阿弥の創り方の不思議さをもうちょっと認識しながら、なんでもかんでも世阿弥論にもっていくのではなく、観阿弥という人の思考を再生することで、もっと演劇的になっていいのではないですか? 演劇的という言葉が嫌いだったら劇的といってもいい。もっと表現が前向きであってほしいと思いますよ。こうでなければお能ではないという決まりみたいなものはありますか。少し乱暴な言い方かもしれませんが、僕はその枠を取っ払ってもよいのではと思いますね。皆さん方も、不肖私も含めてね。そんなもの取っ払ってもちゃんとお能になっていますから、いいんですよ、大丈夫。もちろん目茶苦茶やっていいというのではないけれど、思いのたけをしっかり持って、ぶつけて下さいよ。
能夫ちゃんは『卒都婆小町』をどんな気持ちでやるの?
能夫 なかなか。プレッシャーを肩に感じるばかりで・・・。
野村 『卒都婆小町』の中には一つの技術を習得する過程があるよね。『野宮』を勤め、『定家』に挑戦して、そういう一つの道があったとするでしょ。観世寿夫流だと、まず体を広げて、姿勢はそのまま、「それが定家!」と教わるわけですよ。気を吐け、そして気持ちを身体の中に閉じ込めろ、まず一番最初にもとありきなんだよね。寿夫流のポジション・メソッドというのかな、方法論、演劇といってもいい、必ず先にきちっとした体があって、それがどう変わるかということにしなければいけないと仰っていましたよ。僕、若かったから素直に聞けたよ。だけどそれをやっているとね…、華雪先生に怒られたよ。(笑い)
能夫 世の常ですね。世代的なギャップというか。写実があれば、無機的なものを求めたり、そういうバイオリズムみたいなものがある気がします。
野村 それで最初に言ったクリの謡に戻るけれど…、観世寿夫師のあのクリは、「これはーー、出―羽―の」というのが、まさしく老女物なんですよ!(笑い) わかるかなあー、わかる?
明生 乞食の婆さんが急にすーと浮かび上がってくるみたいな・・・。
野村 そして「・・・小町が成れる果て」というところ、成れるの「な」の字を引くんですよ。今僕だけやっています。寿夫師がやられた時、つっと、身体が細っそりしているでしょ、それで「さむらふなり」とワキを向いたときに小町になっているんですね。これは憎らしいぐらいにね。(笑い)
能夫ちゃんは、面は何を使うの?
能夫 今、銕之丞さんに拝借させていただくよう、お願いしているのですが・・・。
野村 何を?
能夫 「檜垣女」ではと言われていますが、まだ、何になるかわかりません。
野村 地頭はどなた?
能夫 菊生叔父です。
野村 今、菊生先生という人を遊ばせておいてはいけませんよ。地謡というのは大事ですよ。観世寿夫先生も仰っていました。先生は若くして亡くなられたけれど、将来は地謡で生きるんだという意識を強く持たれていましたよ。
能夫 そうですか。すごいなあ。
野村 菊生先生も同じですね。喜多流で地頭をこなせる人は、菊生先生以外にそういないですよ。大きな曲を披いたりするときにはもう菊生先生ですよ。生きているときにしか聞けないからね。どんどん一緒に舞台を経験するの、そうするとそこが違うとかいろいろ言って下さるから、どんどんやって下さいよ。これはどうですか?とか、大いに聞くといいですよ。
能夫・明生 そうですね、そうします。
能夫 今日はありがとうございました。また、ご報告の会もしたいと思います。
(平成17年1月 記)
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第5話 橋掛り(はしがかり)
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