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春の粟谷能の会を終えて(平成16年)

粟谷 能夫
粟谷 明生
笠井 賢一

明生 平成16年春の粟谷能の会は、初番が父の『月宮殿』、真ん中が能夫さんの『当麻』、そして最後が私の『鵺』でした。能夫さんの『当麻』は2時間25分、喜多流では最長記録になりました。

笠井 『当麻』はね、能夫さんの思いはちゃんと伝わってくるんですが、あの早舞はやっぱり、あの位の取り方は、僕はちょっと疑問に感じるな。

能夫 ちょっと重過ぎたでしょ。

笠井 重いね。

能夫 段ごとにもう少しノッテくればいいんでしょうが。

笠井 あの感じでは昇天していけないよ。前があれだけたっぷり演じたのだから、後の化身になったときには、もう少しスピードを運んで、白蓮を抱いて昇天してほしいと思うんですがね。

能夫 昇天もあるし、西方浄土の豊かさもある。甘さというか、すばらしさの表現もあるし。静夫(故観世銕之亟)さんも仰っていらしたけれど、あそこは機を織る心だと。こちらとしても、しっかり舞いたいという気持ちがあるからどうしてもしっかりと重くなってしまう。申合のときはもっとすごくて、がんじがらめになったようでしたね。

笠井 銕仙会では寿夫さんも含めて、『当麻』は割とよく演じていて、地謡も含めて大事にしている曲ですが、それでもあれほど重くれていないというか。

能夫 そうですよね。

笠井 緩急がなかったように思えるのですよ。クセは、銕仙会では脇能の域で謡うというようなこともあるけれど。

能夫 判りますよ。喜多流ではロンギが強吟なんで、途中から和吟(弱吟)になりますが、観世流のように最初から和吟だと世界が変わりやすいと思うのですが、

笠井 観世流のクセからロンギにかけてはうまく変わるけれど。でも喜多流ならば喜多流らしく、そこはシテがねじ伏せてでも世界を作っていかないとね。

能夫 それは、そうかもしれないですが現実はね。みんな百戦錬磨なのに僕だけが披きという状況ですから。結構きびしいですよ。

笠井 それはしょうがないけれど、次からは違うようにしなくてはね。

能夫 見ている方はどうかわからないけれど、勤めている方は楽しくてしょうがない曲ですよ。(笑い)こんなに楽しいと思わなかったもの。ただ座っているだけのように見えるでしょうけれど。

笠井 それはあなたの成熟だよ。あれが楽しいとはなかなか思わないよ。

能夫 辛気くさいし、賛美歌だし、宗教法人みたいな曲だと言われるけれど、そんなことないですよ。個が、役者冥利というか、能夫という個があるから表現できると思うし、粟谷能夫という役者の『当麻』を勤める、見るというところに意味があるのではないでしょうか。

笠井 それは、そう。でも次は・・・。

能夫 もうやらないよ(笑い)。あの装束つけての前場は相当疲れます。
すごく体力がいるんですよ。本当にバテちゃうんだなー。翌日ふくらはぎがけいれんを起こしてね、あんなの初めて。

明生 我々、年々筋力が衰えてきますからね。

笠井 前場が大変でした?

能夫 前場の床几ですね。あの姿勢が楽じゃない辛いですよ。クセの謡が自分の体の中を循環する意識で座っているわけですから。

明生 着流しの格好での床几は、他にはあまりないですからね。

笠井 ごまかしがきかないものね。

能夫 そう、ごまかしがきかない。ある人が、寿夫さんの前シテ、後シテの写真を見たら、あれ以上のものはない、あれで極まっているんだから、誰がどうやっても、もうダメと言うんですよ(笑い)。コンチクショウと思うけど、でもそれはそうかもしれませんね。後シテのたたずまいといい、完全、完璧にでき上がっている。写真だから音は聞こえてこないけれど。朝、家を出るときに、「こういう風になるんだゾ!」と言い聞かせて出てきたんですが(笑い)。

明生 イメージをすり込んだわけ。

能夫 前シテは「西吹く秋の風ならん」、よしこれだ! と。装束もこういう風にしてとイメージしたのですが、ダメですよね、どう頑張ってもダメなんですよ・・・。寿夫さんにはなれない。

笠井 まあ、そうおっしゃらずに、自分たちの流儀の中での作り方があるし、それを次の世代に繋げないとね。

能夫 そうしないといけないと思いますが。でも僕はあの写真で、もうイメージが全て、能を見なくても伝わってくるな。あれはすごい写真ですね。

笠井 すごいね。あれが寿夫さんのピークだったんだろうな。

明生 それは、寿夫さんがいくつぐらいだったの。

笠井 40代でしょ。

明生 40代でそういうことができるんだからすごいね。

笠井 だけどね、それは作品として負荷のかけ方だと思うよ。たとえば『定家』なら喜多流という流儀としての蓄積がある。だけど『当麻』には残念ながらそれがない。だからあなたの思いが空回りしてしまうんだ。『定家』の方があなたの思いと喜多流としての作品の作り方と重なり合う部分がある。喜多流の作品であって、しかも粟谷能夫が演っているという充実度が感じられる。ところが『当麻』は能夫さんの思いは伝わってくるが、それがちょっと空転しているというか、支える側との交流感がないように感じたんだ。

能夫 それはそうですね。

笠井 共有するものがあって、ここをこうしたいという主張じゃなかったよね。だから厚みが出ないんだ。

能夫 そう、流儀としての積み上げだね。

笠井 『鵺』にも言えるよ。明生さんはどういう計画をもっていらしたのかな?あの後の面はどうしたの?

明生 ちょっと遊び心なのですが。

笠井 遊びですか。鵺というものが単なる化け物では駄目だと思う。『鵺』というのは、頼政と鵺が重なっていないとね。先代の銕之亟さんも言っていたように頼政自身が鵺的な生き方をするわけですよ。平家全盛のときには従三位まで昇進して・・・。

能夫 源氏に行ったり平家に行ったり、コウモリだよね。

笠井 そして、70歳を越えて反乱を起こして、変な人なんですよ。頼政の中に鵺的なものがあると考えたときに、ただの化け物になっては表現にならない。

明生 面の善し悪しは、個人の見方により様々だと思うのですが…。ただ、笠井さんが今おっしゃったことは十分承知して演じたつもりでして…。それが私の面の選択と笠井さんのイメージとうまくマッチしないのかもしれませんが…、でも…何にせよ伝わらなければいけないのでしょうから…再考の余地はあると思います、仰る通りですから…。私は鵺自体が単に化生の物体とは思いません、土着の神というか、虐げられた反体制側の叫びだと思うのです。現銕之丞さんから聞いた話ですが、先代銕之亟先生は中入前の、振り返りながらグアーッと棹を身体に引きつけ、そして最後に捨てる…、あの喜多流の型がやりたくて、やりたくて、「自分にはできないけれど、喜多さんのあの型はやりたいなあ」とおっしゃっていたらしいのです。それもこのことに通じると思いますが、あの叫びは普通の動物とか単に化け物の叫びではない、中央政権から口をふさがれ、どんどん外に出されていった人間の叫びだと思うのです。最後には空舟に入れられ流されて、自分ではもう止めることができないという、そういういやおうなしに流されていく者を演じたいと思って演じたつもりですが・・・。そのとき面の選択肢として、大飛出、小飛出というのもあったのですが、私はもっと鈍重で野暮な形相というか、古代面のイメージのようなものはないかな…と探したわけです、すこし遊んだわけでして、すいませんお気に召さなくて……。

笠井 あれの彩色を変えればもうちょっとは・・・。

能夫 緑の色がねえ…。

明生 選択ミスと言われますが、私の気持ちはそうなんです、キリリとしたものじゃないという・・・。大飛出ではスケールが大き過ぎて綺麗にまとまりすぎ、小飛出では従来の化け物感覚から離れられない…。

笠井 なるほどね。あなたの課題は、内面的な負荷のかけ方が謡にしても運びにしても弱いように思えたな。特に前シテは、あの格好をしているわけだから、負荷のかけ方が勝負みたいなものでしょ。もっと陰影のある謡があって、負荷のかけ方があっていいと思うよ。つまり思いきりアクセル踏んでブレーキを踏んで、そこまでしかいけないという抵抗感。虐げられているというのもいいんだけれど、鬱屈というか屈折の強さみたいなものが劇場の舞台全部を包み込むような世界にならないと。それが、そこそこなんですよ。出てはいるけど、もっとすごいものがあっていいと思うな。

明生 はい、そうですね。最初の「悲しきかなや身は籠鳥」というところ、自分でちょっとそんなものを意識して謡ったら、反作用だったのか、父にすごく怒られましてね……。

笠井 どういう風に?

明生 「もっと大きい声で謡え! 作るな! 意識するな!」とね。自分では声を絞り込んで、内圧を強くと意識したつもりなんですが…、まあ、そこがしっかり、きちっとと出来ていなかったからだと思うのですが…、「そんな風に謡うんじゃない!」と、お灸を据えられました。「あんなんじゃ、お前の声は聞こえないじゃないか!」ってね。

笠井 そういう、親の世代のダメの出し方は当然あるわけですよ。

明生 その声が出ている声なのか、圧力がかかっている声なのか、それとも開放されっぱなしの声なのか。自分では判らないんですよ。どのようにしたら正解なのか……。例えば、すごく広い劇場での公演だと、この広さなら、どのくらいの声量でやらなければいけないか…と考えてしまう。その程度、度合いというか、その辺が難しいなあ、と正直まだ悩んでいるんですよ。ただバカ声を張り上げてもダメですしね・・・。

笠井 内的な圧力のかけ方が体の中にちゃんとイメージされていて、結果的に声が届いているというのが、自分でわかるようにならないとね。

能夫 それにしても、『鵺』というのは面白い曲だよね。キリ能でありながらスケールもあるし、大変な曲だと思いますね。

笠井 それはそう、大変な曲。役者がわかるもの。

明生 世阿弥が『井筒』を作ったあと、つまり晩年の作ということですが。構成も『井筒』と似ていますね。

能夫 いやあ、面白い曲だよ。組立がしっかりしているからね。

明生 先代銕之亟先生が「さて火をともし、よく見ればと言って覗いてみると、何だ俺じゃないか!」ということだ、と仰っていたらしいですが…。今回『鵺』を勤めて、頼政になったり、鵺になったりしているうちに、そこにもう一人、演者というものがいるという、トライアングルのようなものを感じたんですよ。以前はここからは頼政やります、ここからは鵺の気持ち、みたいにして区切りをつけ演じていたわけですよ。また、そのように教わってもきたわけですから。確かにそのようにやっているのはそうなんですが、いやちょっと違うなあ…、そこに演者粟谷明生という自分がいるじゃないか!そんな気がしたんですよ。変なこと言ってすいませんが……。

笠井 そのトライアングルが、単に整合性のある三角形ではなくて、ゆがんでいるというか、それをぎゅっと自分のところに引き寄せる力がないとね。

能夫 それが必要なんだろうね。

笠井 この間の菊生先生の『月宮殿』、舞になってからは一味違うなと思いましたよ。

明生 前々日あたりから、左足が、うまく出なくて辛い、痛いんだ・・・、身体が言うこと聞かないと悔やんでいたんですが、一応無事に勤められて皆、ほっとしています。父はもう来年から能を舞わないと言っています。

笠井 でも、楽(がく)は楽しそうに舞われているように見えましたよ。

能夫 現場はみんな心配しているんですよ、特に明生君はね…

笠井 あなた方はそう思うかもしれないけれど、僕は、あの楽を見ていると、やっぱりこの人のスケールというものはこういうものだなと、 そういうものが伝わってきましたからね 。

能夫 ある風があって、ちゃんとできるということは大事で、すばらしい事ですよね。

笠井 誰が見ても、そういう風を感じるよ。そういうものを獲得した人というのは、やっぱり違うなと思いますよ。今年で最後ということ?

能夫 16年10月の粟谷能の会『景清』を勤めて…。

明生 『景清』が最後になりますね。

能夫 まあ、その後どうなるかはわかりませんけれど。

明生 粟谷能の会の曲目を決める時に能夫さんが「菊おじちゃん、再来年は何を舞いますか?」って聞いたら、「それはもう無理だろう。いいよ、それより、お前達の地謡を謡ってあげないといけないからなあ…」という返事でした。

能夫 年が重なれば仕方がないことだけれど・・・。

笠井 そうね。

明生 次の世代の我々が頑張らねばいけないということですね。

笠井 そういうことだよ。お二人には頑張ってもらわないとね。

能夫 父と菊生叔父が、粟谷能の会を育ててくれてね。次はお前たちがちゃんとやる番だよと、そういう風にもってきてくれたわけですから。うまくつながっているという気はしますね。

笠井 いやあ、全くそうですよ。来年の粟谷能の会は?

能夫 父の七回忌の追善となりますので、春は僕が『卒都婆小町』で明生君が『小鍛冶「白頭」』、秋は僕が『実盛』で明生君が『松風』の予定です。また12月には久しぶりに粟谷能の会研究公演を復活させ、改めて地謡の勉強をしようかなと思い『木賊』を、シテは友枝昭世さんにお願いしまして、私と明生君で謡ってみたいと思って計画しています。

笠井 大曲が控えていますね。頑張ってください。期待しています。

(平成16年3月)

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