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『采女−佐々浪之伝』を語る

粟谷 明生
笠井 賢一

粟谷 この間は、粟谷能の会の『采女−佐々浪之伝』で大変お世話になり有り難うございました。公演を終えまして、振り返ってお話しを伺いたいと思います。

笠井 それは結構ですね。一つの仕事を終え、それを反省し整理しておくことは大事な作業だと思いますからね。

粟谷 今回の『采女−佐々浪之伝』再考にあたり、笠井さんに依頼したのは、前回の粟谷能の会・研究公演での試演「佐々浪之伝」では役者サイドだけの思考で作ってしまったような感じがして、これはどうだろうかなと思いまして・・・。平家物語による新作能 『月見』の稽古のとき、これからの自分には、もちろん師は大切で第一ですが、それ以外の方のアドバイスも受けられないかな・・・と感じました。とくに、ある年齢になって 新しいものをこしらえようとしたときには、演者サイドだけでなく、ちょっと違う立場の人にダメ出しをしてもらうとか、テーマからずれないようにしっかりとみてもらうということがあってもいいな・・・と。それで、今回の「佐々浪之伝」で、考証なども含めてどなたかにと思い、ここ十年ぐらいお世話になっている笠井さんの名前が浮かんだのです。

笠井 そうね。僕が演出家として名前を出す場合は、『不知火』や、これからの作品で『大津皇子』『利休』のようなケースだけれど、今回は、そういうものとは違って、演出上のアドバイザーという感じのものだったよね。演出については明生さんの考えもあったわけだから。

粟谷 そうですね。いろいろ相談に乗っていただくという・・・。それで構想を考えていくうちに、かなり詞章を省くことにしましたでしょ。それで笠井さんに、一度詞章を自分で文字打ちして台本を作成するといいよと言われましたね。やってみて、今回の作品の主張や、ワキとの問答の問題点などが浮かび上がってきて、なるほど「自分で打つ」と笠井さんがおっしゃった意味がわかりましたよ。

笠井 自分で手を動かしてやってみると違うと思うね。

粟谷 笠井さんから、前シテの出は、観世流の小書「美奈保之伝」のような呼びかけではなくて、実先生の「小波之伝」のアシラヒでやったらどうかという提案がありました。それでワキとの問答の問題も出てきました。あとは、後シテの一声の出方、装束や面の選択、謡の改善ということなどが言われました。今回、御覧になっていかがでしたか? 友枝師は、大分でき上がってきたから、自分でもやってみようかなとおっしゃってくださいました。ただ自分が勤めるときは序之舞はあの形でなく、もっと普通の形で考えるなあと・・・。

笠井 僕も課題は舞をどうするかということだと思うよ。

粟谷 小鼓の大倉源次郎さんも、最後の晴れやかになっているところ、盤渉のところなんか、もう少し長く舞ってもよかったのではないかって、『野宮』の合掌留めのように晴れやかに舞って急に下がる感じ、それが猿沢の池の藻を暗示するようなものがあってもいいのではないかと言っていた。今回は最初から下がっていて爆発がなかったのかな。

笠井 ちょっと舞に緩急がなかったというか、ひと色だった気がするね。盤渉になってもいま一つ変わり切れなかったですね。これは笛の問題もあると思うけれど。

粟谷 もう少しノーマルな序之舞にして、二段オロシがあって、その後にちょっとひねって盤渉があるというような変化ですね。

笠井 その方がいいよね。猿沢の池を見込むところがあるじゃない。そこがどうも妙に重く見えてしまった。猿沢の池を見込んだらそのまま合掌する、そして世界が変わったところで盤渉になってもよかったかなと思った。もう少し工夫しないと、序之舞の部分だけが何か肥大する感じがした。

粟谷 ウーン、難しいですね。言葉を絞りに絞って、言葉で言えない訴えかけを何でするのかとなったとき、舞で表現する…、それが序之舞だと思いたくて試みたのですが…。
あまり説明的なのは嫌だと思ったのですが、だからといって、ただ普通に舞っていては埒があかないと思いまして。今回の原形は『半蔀』の観世流の小書「立花供養」、合掌するというところから来ているのですが…。前場はどうでしたか?

笠井 前場、中入前はいいと思いましたけれど。

粟谷 アシラヒで出て、ワキを猿沢の池に案内するわけですが、出てきて立つ場所が問題かな・・・と。

笠井 ワキとの距離感ね。

粟谷 アシラヒで真ん中まで出てもおかしいし、かといってワキを誘うときに二、三歩しか動けないのでは距離感がでませんね。

笠井 あまり、気持ちが変わらないね。それは感じます。課題だね。言葉のやりようでもう少し何かあるかも。でもあれも位置どりで解決できるかなとも思いましたけど。本質的なことでない気もした。ところで、あの面はあなたにすごく似合っていたよ。

粟谷 そうですか。笠井さんがご推薦の宝増(ほうぞう)ですね。あれは昔から気になっていたのですが…。友枝さんに、ちょっと曇っていたから、解脱したくないという感じで舞っていたのかと言われましたけれど…、面の受けは難しいです。

笠井 舞台の上にいる人からは曇って見えたかもしれないけれど、見所からはそんなことはなかったよ。

粟谷 面を曇らせる意識はなかったのですが、でも力が入ってくるとそうなってしまうのかな…。面が曇ったら、あの面は良さが出なくなってしまう。解脱して嬉しいのだから、晴れやかでないと。照りの方がいいのですが。

笠井 僕が見所で見ている限りでは本当にきれいだったよ。僕は久しぶりにこんなにきれいな面を見たなって気がした。本当にきれいだった。装束との取り合わせもよかった。色合い、姿そのものも。

粟谷 では、あの面の選択は正解でしたね。笠井さんに感謝しますよ。出る前に、この面は曇ったら駄目だと思いまして、かなり注意しました…。

笠井 そんなに曇っているようには思わなかった。心の曇りはどこかになければならないし、演技上では、だんだん晴れやかになっていったということはあったしね。そういう意味では舞の中の変化も感じられたしね。

粟谷 あの面は林原美術館にある宝増の写しで、作者は中村光江さんです。

笠井 写しでもあれだけの力があるというのは・・・。あの面は写しでもいいからちゃんと持っていないとね。あれはいいと思ったよ、とびきりね。確かに写しは写しに過ぎないけれど、舞台であれだけの力を発揮すれば問題ないと思いますよ。

粟谷 銕之丞さんは、いいですけれど、本物を見ちゃうとそれはやはり違いがありますよ、なんておっしゃっていたけれど。

笠井 言い出せばきりがないけれど、あの面は今使い勝手のすごくいい面ではないかな。あなたによく似合っていたもの。適応範囲もあるし。

粟谷 それはありますね。

笠井 割りと作品に従う面だね。演者がそれなりにやってくれれば、それに添ってくれる面。面の中には面の顔が変わらないものもあるじゃない。この曲ならいいけれど、あと適応がないというの。

粟谷 ありますね。

笠井 あの面はそうではない。全然タイプの違うのでもいけるよ。かわいいのでもいけるし、執心のものでもいける。

粟谷 そうですね。『采女』は通常小面を使用しますので、かわいくなければいけないけれど、それを敢えて小面にしないことの意味、強い増ではいけませんし、あまりかわい過ぎる小面もまずいというときのね。能夫さんにすごく良い増女、たぶん甫閑の増だと思いますが…それがあるから拝借したらと言われましたけれど、何となく、今回の私のテーマに合わない気がしまして・・・ 。

笠井 それはそうですね…。だからあの面はよかったんですよ。何でもいけるタイプ。それにあなたの骨格にもあっていた。

粟谷 あの面、サイズが小さいんですよ。

笠井 それでもあまり違和感なかったよ。

粟谷 あの面、実は東京では、三面あるようですよ。野村四郎さんと浅見真州さん、そして銕之丞さんの。今回、銕仙会の面を拝借しましたけれど。あの面が、自分のレパートリーの面になるといいな・・・と思ったりしているのですが…生意気ですみません。

笠井 能役者は、触発される面と出会わないとダメですよ。流儀では小面だからといって、お仕着せでやっていたのでは絶対に駄目ですよ。それでは狭い世界で終わりかねない。能役者として名をなすには流儀の決まりを理解した上で、それ以外の流儀の方法、さらには作品そのものがどうやったらより生きるかという視点を持つ必要があります。

粟谷 そうですね。前場の装束はどうでしたか。

笠井 僕、あれはいいと思ったけれどね。

粟谷 あれ、古いものと思いますよ。実は本家のお弟子さんの所有でして、それを拝借したのです。能夫さんは最近、国立公演の『巴』を舞うときに使いまして。

笠井 小さいね。明治のもの、江戸?

粟谷 江戸だと思いますが、ちょっとわからない。

笠井 いやー、すごくいい装束だよ。なかなか水準高かった。くたびれた感じはしないし、非常に華やいでいたし。

粟谷 近くで見ると少し落ち着きすぎていないかな、なんて思うのですが。これが舞台に出ると違うのですね。

笠井 華やかに見えたよ。

粟谷 萌黄の色がすごくきれい。黒っぽく見えたのは落ち着いた紫です。能夫さんが『采女』の前場に使ってみたらと言ってくれまして。能夫さんは私より少し大きいので、着流しでは着れないのです。私はどうにか着れるので…。楽屋ではみんな見に来て、いいなって言っては触ったりして。

笠井 あれはいろいろなものに使えるね。幅がある。

粟谷 能夫さんが今度『楊貴妃』にも使えば、なんて言ってくれるので、そうしようと思っています。

笠井 『楊貴妃』だっていいよ。装束は前、後ともすごくよかった。

粟谷 後の長絹は新しいものですよ。

笠井 新しいけれど色合いでいけたもの。

粟谷 緋の大口袴、友枝さんはもう一つ脱色したものがあれば・・・とおっしゃっていました。

笠井 それがあればいいけれど。でもあの取り合わせはよかったよ。美しいなと思った。

粟谷 いろいろ悩みましたけれど、面・装束とも選択は成功しましたね。

笠井 あれは素直で、あなたの作意にもかなうでしょ。「一日曠れ」という。

粟谷 そうですね。晴れやかさを出すのは緋だと・・・、緋色にこだわりますよ。

笠井 いろいろ課題もあったけれど、あの美しさは文句なしだと、僕は思ったよ。

粟谷 後シテの出の謡はどうでしたか? 「あら有難の御弔やな」のところ。笠井さんに課題だとさんざん注意されたところですよ。

笠井 謡もずいぶんよくなったと思ったよ。苦労しているなっていうか・・・。

粟谷 何回も謡いましたよ。

笠井 でもまあ、ああいうところが課題なんですよ。そりゃ、すぐにはできないけれどね。

粟谷 やっていくうちに、笠井さんがおっしゃる素直にというのがだんだん分からなくなってくるんですよ。うちの父も素直にと言うんですけれどね。

笠井 それはなかなか分からないよ。若者の謡なんか聞いていると、喉を閉めて声を作ろうとするから、表現が窮屈になって、聞いていて不自由な感じがするのね。

粟谷 そういう気になりますね。

笠井 のびやかに、そこに行った方いいんだという・・・。

粟谷 のびやかにやるのが難しいのです。

笠井 のびやかは難しい。ある程度技術ができてきて、のびやかな中に内的なイメージもふつふつと湧いてこないと。

粟谷 ふつふつと・・・。訴えかけを強くしよう とすると妙に力が入ってしまう。思いはあるのですが…。あー(小さく)ではない、あー(強く)とすると声が閉まるし。

笠井 閉まることもあります。それは見所にどう届いたかということで。僕は演劇の人間だからそう思うのだけれど、役者は自分ではどうしてもわからないところがあると思うんだよ。自分の思い込みと伝わり方が違っていたりする。それをどこかで見てくれる人が必要。調教師が必要なんだと思う。

粟谷 必要ですね。

笠井 将来、調教をする人がいなくなることがあるわけ。ある年令を越えると真剣にダメを出す人はいなくなります。そうなったときにどうするかですよ。そこからダメになった人はいっぱいいますからね。

粟谷 そういう危惧はありますね。今、私は友枝さんに習っているし、能夫さんはアドバイスしてくれる、父もいます。それでも今回の「佐々浪之伝」などは、ある程度はお前が創ったものだから…俺はしらないということになる。こういう新しいものに取り組むときなど特に、違う視点でアドバイスしてくれる人、自分とは違うもう一人の人、私にネジを巻いてくれる人が必要だなという気がするのです。
 ところで詞章を大幅に削除したのはどうだったのでしょうか。『采女』という作品は二つの物語があるじゃないですか。春日縁起と采女の話。前の春日縁起のところは思いきって取り除きましたよね。そして我々はもう少しえぐっていきました。後場の、采女が安積山の歌を歌ったというクセや「月に啼け・・・」からの祝言の部分も省きました 。ここまで省くと、我々もう郡山にも行けない、奈良にも行けませんね(笑い)。

笠井 行けないよ(笑い)。

粟谷 前シテの出のところ、アシラヒ出で「吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の・・・」と帝の詠んでくれた歌を謡うことにしましたよね。あれ、観世流の片山慶次郎氏が雑誌『観世』の『采女』の記事で、小書「美奈保之伝」があって呼びかけの謡を作っているけれど無理なところもあって・・・と おっしゃっています。

笠井 あそこは完全に定着していないんだよ。

粟谷 だから「吾妹子が・・・」とアシラヒで出る演出があってもいいのではないかと書かれているんですね。

笠井 やっぱりね。

粟谷 芝居的な要素として、テーマを朗詠するのはおもしろいとある人も言っていました。

笠井 わかりやすいことはわかりやすいよね。だからあそこはあれでよかったと思うけれどね。

粟谷 それから、今の時代、藤原氏の賛美や宗教賛美が必要かということですよ。「国土安穏に、四海浪、静かなり」という祝言性、あれがどうも私はいただけないのです。だから序之舞の前の「月に啼け」は謡えないですよね。今の時代、信仰、宗教とは別に、『采女』はきれいだった、もう少し言えば、ああこんなお話があったのねと感じてもらう程度の作品でいいのではないかと思うのです。

笠井 そういうことはあるね。そういった意味では、この間のお能のきれいさは及第だったのではないかな。だから技術的なものはある意味完璧だったよ。悪くはなかった。だけどもう一つ何かが必要なんだ。それはね・・・ 。先代銕之亟さんの『采女』にはそれがあった。つまり、女の悲しさがあった。それが課題だね。

粟谷 今回の演出は女の悲しさはメッセージの中にいれませんでしたから。仏法讃歌でもなく、権力者のPRでもない。女の悲しさよりは成仏して嬉しい、よく祈ってちょうだい、弔ってよというメッセージ、そういうものに主体があって、なおかつ言葉では表現できないものを序之舞という舞を通して、観ていただきたいというねらいだった・・・。女の悲しさについては、また別に考え演出しなくてはいけませんね。采女が入水した後、帝は歌を詠んで弔ってくれた、そういう帝の気持ちも知らないで浅はかだったという、采女には恨み節は一かけらもないわけですが、感情的に身を投げてしまったという自分への後悔みたいなものはあって、それが悲しさになっていますから・・・。

笠井 それはあるね…。

粟谷 それから今回はあまり池とか水とか、そういうイメージにはこだわらないようにしました。

笠井 僕もそれは出さない方がいいと思うんだ。

粟谷 私は、池は采女が死んだ場所というイメージが強かったけれど、笠井さんに池は成仏した場所でもあると言われて、なるほどそこがあったから成仏できたのだと、イメージがふくらみましたよ。

笠井 そう、池には両方のイメージがないとね。前の出はあの形でよいとして、言葉の問題は今回である程度形になったと思う。言葉はいじる必要はないよ。序之舞はもう少し考え直してもいいかもしれない。あとはあなたが役者として深めていけばいい。あとは役者の世界ですよ。演出家の世界ではない。能はそうだもの。能は最後は役者が創っていく世界だもの。

粟谷 容易じゃないな。

笠井 それにしても、今回の『采女』はきれいだったよ。あのきれいさは、あと十年ぐらいは維持しないとね。

粟谷 そうですか。でも体の方はどんどん朽ちていきますからね。だからこそ、体だけではない何かを獲得していかないと・・・。 一曲一曲が大事です。そう同じ曲を何回もできるわけではないですから。もしかしたら今回がラストチャンスかもしれないと思って毎回勤めていますよ。

笠井 そういう気持ちが大事ですね。

粟谷 今回の『采女−佐々浪之伝』は多くの人に演じてもらって、ポピュラーな曲にしていきたい、『半蔀』みたいにだれでも気軽に出来る曲…これが私のねらいでもありまして。

笠井 定着させないとね。

粟谷 「『采女』、あの佐々浪之伝ね。OK,OK」なんて、みんなが気軽に親しんでくれるようになると嬉しい。でも一方で凝縮したしっかりした作品と認識していただいて、そうなれば私としては本望なのですが。

笠井 そういうことですね。

粟谷 本日は有難うございました。

平成15年10月15日 録音

写真 采女 撮影 東條 睦
写真 猿沢池と唐織 撮影 粟谷明生

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