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対談 禅宗などから
能には命の高揚があるのですね

粟谷 明生
松下 宗柏

 臨済宗の機関紙『法光』で「能の楽しみについて」記事にしたいということで、私(粟谷明生)のお弟子さんでもあり、臨済宗の僧侶でいらっしゃる松下宗柏氏と対談を致しました。能は宗教がベースになっていることもあり、宗教的、哲学的な話は興味深く、松下氏の軽妙な語り口に乗せられ、話は縦横無尽、とどまるところを知らぬこととなりました。

第5回目

喜多流の謡

松下 私は特に喜多流には行者的なものがあると感じるのです。お腹から大きい声を出すというのは、流儀の発声法、特徴なのですか。

粟谷 どこの流儀でもお腹から、というより身体全体ですかね、声を出していると思いますよ。

松下 喜多の謡はゾクゾクときますね。

粟谷 以前は観世 ウキウキ、喜多きばり過ぎと言われていたようですが。

松下 喜多に出会った人は、他の流儀を聞くと物足りなくなると聞きますが。

粟谷 それは喜多でも観世でも、人によるところがあるのではないですか。自分に馴れたものが良いというのは、人誰でもでね。

松下 それはあるかもしれないね。でも私は喜多、粟谷の謡は宗教的というか、やはり行者的な感じがするのですよ。

粟谷 行者的ね、祖父・益二郎は謡がうまかった人ですから、そういう系統のものはうちの父が受け継ぎ、能夫が受け継いで…ということかな。

松下 ある意味では体を使う謡い方というのは。行という、体、身を挺していろいろな経験を積んでいくのですが、その家風だなと思う。最近少しずつ感じるのですよ。

お能には気を感じる

松下 お能には直感的にものを見るというか、感応の仕方に気をみるというのか、気を感じるところがありますね。私の知人は剣道家なのですが、気迫というか気を感じるというところがあった。それに似ています。

粟谷 仕舞でも謡でも、ある程度順序や謡い方を覚えたら、次に気をかけるということがある。といっても妙にハッハッと表面に出すのではなくて、非常に内向するもので、そのとき顔はむしろ柔和になるのです。顔を硬直させいかにも頑張っています、なんていう顔をしている演者はまだあまり高いところにいないと思っています。逆にこれに騙される程度では見る目がないということでしょうか。ちょっと言い過ぎたかな…。

松下 柔らかくですね。坐禅でも、私たちは悟りを見性(けんしょう)というのです。自分の本性(ほんしょう)を発見するという意味です。それが近づいた人間というのは、全体の輪郭が柔らかく見えるのです。そして動きは軽く、綿みたいにフワーッと見えるときがよい状態なのです。自分ではわからないのですが。自覚されるのは、やたらと体が軽い、やたらと嬉しいというのかな。指導者が一番嫌うのは、裃を着たように、いかにも自分はやっていますというようなものね。

粟谷 ときにありがちですね。気をつけます…。私、太極拳を 習っているのですが、気功もやらされてね。結構ためになり、楽しんでいますが…。先程屋内と屋外の話がでましたけれど、屋内の場合は楽なのですよ。自分の内にこめた機、気迫を発散するときに、屋内なら壁のような最終ラインがあって、そこまで届けば良いのだなと…。ある限界みたいなものが生まれます。能楽堂ならば最後列に届かせる意識ですか…。ところが厳島神社の海に浮かんでいる舞台や大阪城広場などで演ずる場合、とことん広いので。向こうに山が見えたりして…。そこで充実、発散するのは骨が折れますよ。

松下 お能というのはもともと屋外ですよね。能舞台というのは。

粟谷 そうです。昔は松も鏡板もなかった。観阿弥、世阿弥のころはね。そういうものができてくるのは式楽になるもう少し前ぐらいでしょ。世阿弥が舞っていたころは、後ろの鏡板がなくて、ただ四本の柱があって舞台があって、橋掛りがある、いや橋掛りが無い場合もあったと聞いていますが。

松下 それから私には二人のお師家(しけ)さん、指導者がいたのですよ。一人は現役のバリバリ、六十歳ぐらいの人で、もう一人はご隠居さん、八十歳ぐらいですか。そのご隠居さん曰く「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず、と言いますが…」、一回味噌臭くならないと臭いは抜けませんよ、と。だから、ある時期は臭くて臭くて、あるとき、それが抜ける人間と、いつまでもその臭さを引きずっていく人間が出てくるのです。まあでも一度徹底的に臭くならないと…。

粟谷 一度は臭くなる素材でないといけないわけですね。

松下 そうそう。発酵する人間でなければならないの。臭くなれっていうのですよ。集中してなり切れっ、らしくしろって。

『富士太鼓』にみる役者魂

松下 この間の『富士太鼓』。あれ、集中してなり切ったのですね。

粟谷 『富士太鼓』は現在物といいましてね。シテは死者ではないですよね。『安宅』の弁慶も『富士太鼓』妻にしても、シテは幽霊として出てくるわけではない、生きている人間を描いていますよね。そういうものを現在物というのですが、それはある程度、役者が役に乗り移るという作業をしなければならないのですよ。やり過ぎるといけないのですけれど。とくに直面物といって、面をかけない、顔自体が面であるというものは、顔にいろいろな表情を作ってはてはいけないのです。表情を作ってはいけない…、だけど全部抜けきると、あっ、「あれはまさに弁慶の顔だ」となるわけです。弁慶の顔をつくるわけではないけれども弁慶の顔に見えてくるという…。『富士太鼓』、現在物をするというのは、母親にならないといけないわけです。女というより母親になる。それでこの間は自分の子供が子方だったというのが助けになりました。彼に頑張ってもらわないとこの曲は成り立たないということを、彼もわかっているし、私自身も子方のときは子役がダメだったら台なしになると散々言われてきていますから、私がこうやってきたのだな、私が菊生で、尚生が明生だなと、四十年ぐらい前の世界が思い出せるのですね。最初の場面がやっぱり難しいですね。ある意味では生っぽくやらなければならないし、ある面ではお能の範囲に留まっていなければならない、そういうギリギリの結界みたいなところがある。よく14世六平太先生が言われたのは、芝居しちゃいけないけれど、芝居心がなければいけない、ということ。それと同じで、富士の妻でありながら、この子の母親であると同時に、自分は尚生の母親役を演じているという意識がありながら、また一方では意識しない心体の操作も同時に行っているということなのですが。

松下 『富士太鼓』では、先生、一皮も二皮もむけた感じがします。

粟谷 うまくむけた? 『富士太鼓』はよいタイミングだったし、責任持って自分の子供と勤めたという満足感はありました。それから挑み方というのかな。申合せのときに、尚生が戻ってきて「長いよ、足が痛いよ」というわけです。お稽古のときは、シテが楽(がく)という笛だけで舞う場面があるということは言っていない。ここでお父さんがドンドンと留拍子(とめびょうし)一曲の終わりを知らせる拍子のことですが、それがあったらお終まいだからと言ってあって、途中に二十分もの長い楽があるなどと教えないわけですよ。申合せのときはリハーサルですから当然やりますね。でそのときはたまたまビデオをまわしていたので見たら、彼は、そのところ微動だにしていないのです。普通、子供は全然動かないなんて無理ですし…。でも尚生は動いていない。

松下 辛抱強い子だね。

粟谷 あの子が動かないということが、私がへたなことはできないでしょということになり、精神的なバックとなりましたね。謡や型がある中で、あそこに居て、座った状態で微動だにしないというのは、一つの大事な通過点をクリアしたかなと。それはもう、修業みたいなもので、そちらと似ているところがあるのではないでしょうか。

松下 みんな、先生も、小さいときから修業していらっしゃるのですね。今日はよいお話をありがとうございました。

(平成14年3月 対談 記)

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