粟谷能の会
粟谷能の会  »  研究公演つれづれ(その5) Welcome to 粟谷能の会. [Login] [Register]

トップ  >  ロンギの部屋  >  研究公演つれづれ(その5)

研究公演つれづれ(その五)

第5回,研究公演(平成6年6月25日)
『天鼓』シテ・粟谷明生 ,『白是界』シテ・粟谷能夫

粟谷 能夫
粟谷 明生
笠井 賢一

明生 研究公演の第5回は、能夫さんが『白是界』、私が『天鼓』に取り組みました。舞台は目黒の喜多能楽堂で催すことにしました。

能夫 そうだね。研究公演は最初、二番立で銕仙会の舞台で催していたけれど、お客様から桟敷席での二番は身体がきついと言われて・・・。

明生 第4回は『蝉丸』一番なので銕仙会能楽研修所、その前の第3回『求塚』(シテは友枝昭世氏、我々は地謡)は友枝昭世氏の客演でしたので喜多能楽堂で催しました。3回4回と計画し実行に移しながら、やはりそれぞれのお能をしなくてはということで、第5回は又元に戻し、それぞれ一番ずつに、そして見る側の事も考え、喜多能楽堂で催すことにしたわけです。

笠井 それで研究公演は充実してきたのではないですか。お二人の思いもあって・・・。

明生 この回までは、私の曲目選定は能夫さんのアドバイスを多分に受けて決めていました。第8回から、私自身でこの曲を試みたいと言えるようになったと思えるのですが。それまでは『松風』等の大曲は何となくもう少し先にしようという気持ちはありましたが、計画はそろそろかな・・・などと。つまりそれまではどの曲を勤めるかと自分で選ばなかった、というより、選ぶ技倆がなかったのでしょう・・・。研究公演だけでなく、宮島の桃花祭の 御神能での『通小町』、秋田のまほろば公演での『鬼界島』など、他の舞台も知らず知らずのうちに能夫さんにこれとこれは勤めておいたほうが良いというレールを敷かれ、それにしっかり乗せられていた感じです。5回目の研究公演のときも、研究公演だからこそできる、また今ぐらいに一度やらなくてはと、能夫さんが『天鼓』を選んでくれたのです。『天鼓』は少し年を経てからでなくてはいけないのではと私は思っていたんですが・・・。それで研究公演で勤めるなら一つの試みとして盤渉(ばんしき)の太鼓入りという今までの喜多流にはなかった形を経験してみたかったんですよ。

笠井 普通はやらないでしょ。

明生 喜多流は通常『天鼓』の楽は大小楽の黄渉なのですが、まず楽は盤渉でやりたくて、それは勉強の為、経験しておきたいということもありまして。その盤渉も 大小鼓の盤渉にするか、太鼓入りの盤渉にするか。
以前に盤渉楽についてお囃子方から喜多流の大小楽での盤渉は打ちにくい、盤渉に太鼓が入らないのは喜多流だけということを聞いていましたので、自分の時はどうにか手をつけてみたいと思っていまして、お相手の国川純さんや観世元伯さん(当時元則)松田弘之さん、亀井俊一さんにご相談して、研究公演ですので試しに太鼓を入れてみたい旨お願いして、元伯君は元信先生に相談されて一応問題なしという許可を得て出来たわけです。

笠井 観世流の小書「弄鼓の舞」のような感じになるのですか?

能夫 「弄鼓」は盤渉になって太鼓が入るのですね。

笠井 「弄鼓」は華やかなと言うか、音楽の精霊の戯れといった感じ、全体の重さはあるけれどスピードアップする感じですね。それでうまくいきましたか?

明生 自分としてはうまくいったと思っています。元伯君は喜んでくれましたよ。彼に言わせるといつも打っているところを、じーと、ずーと聞いているのは結構辛く悲しいって、他流では打てて、囃して曲に参加出来るのに、ちっとも面白くないと言うのです。あのときは打ちあげのところの手をどう変えようかと考えてくれて、兎に角結果は「やっぱりこちらの方が良いですよ」と気持良く打ってくれた感じでした。

笠井 喜多流で『天鼓』の盤渉に太鼓を入れるなんてことは、かなり大胆なことでしょう。

能夫 そうでしょ。普通、喜多流では大小楽ですから。

笠井 それを研究公演だからといって通せたわけ?

能夫 試みたいという意思表示をして・・・。

明生 今回は特別でということで・・・。

笠井 それは、誰に了承してもらうの?

明生 まず友枝昭世師と父と、自分の師匠筋です。それから仲間うち、あとはお相手してくださる囃子方とその関連、ここをちゃんとしておかないといけないですから。あとで問題になるのはいやだから、一応皆様に納得して頂いてその成果を見ようということです。

能夫 やはりこういうことは、いろいろ相談してOKをとらないとできませんよ。

笠井 作り物の位置はどこに?

明生 喜多流はワキ正面の前に太鼓、そして一畳台もありますよ。

笠井 金春流と同じだね。観世流は正先に置く。

明生 『富士太鼓』のときと同じでしょう。

能夫 真ん中に置くといいでしょう。うちのでは後シテは舞いにくいのよ。後シテでは場所が違うのだから(前場は宮中で鼓を打つ場面、後場は天鼓の霊を弔う管絃講の場)代えてもいいかな。

明生 一畳台があるので舞いにくいことは確かです。風情としては良いのですが。鼓を打った撥をどこに置くか、懐中するか、打った後の処理の方法が未解決です。未だに良い形は見つかっていません、問題ありですよ。

笠井 「波を穿ち袖を返すや」のところはどういう風にするの?

明生 観世さんはあそこ、速くて派手な型で舞われますよね。両手で仰ぐような型、喜多流は右手でサシ左袖を前に返すだけ、あまり早くならずに舞い謡うが心得ですが。宝生流はもっとしっかりじゃないかな、前に金井章先生がうちは兎に角早くならないんだとおっしゃていましたから。


前シテと後シテの持続と切り離し

明生 ところで、あの『天鼓』のとき、笠井さんから「前シテが中入りするときに、どういう気持ちで帰っていくの?」という質問を受けたことを覚えています。つまり、子供を失った悲しみの老人(前シテの老父)と、後シテの天鼓という少年との関係をどう考え、どう演じ分けるかということだったと思うのですが、あのとき私、「考えていませんよ」とあっさり言って、笠井さんも「あっ、そう」で話が切れてしまったのだけれど、あの場面でどういう風にしなければならなかったか、今日は笠井さんからその答えを聞きたいと思いまして。

笠井 前シテと後シテと違う人間を演ずるときに、自分の中でどういう仕掛けを作るのかということを聞きたかったんですよ。

明生 そうですね、ウーン、特別な意識はないと思うのですが。装束を着替えながら、自然と気持ちが変わっていくということでしょうか。あとは出ていけば自ずと次の役になるという風に、意識せずともなりきれるまで稽古してしまうとか、子供の頃からの慣れが演じ手をしっかり支えているように思えるのですが。

笠井 だけど、親の老人の嘆きが体に残っているとすると、その同じ体で、少年の舞を舞うときに、思いをどんな風に表現出来るかって思うよ。そこにはやっぱり、役者の気持ちが問われるという感じがしますね。役者の持続と切り離し方というか・・・。

能夫 心情の起伏もあるし・・・。

笠井 老人の思いと、死んだ方の天鼓の思いだね。若者をどう演じるか。音楽性と舞い事をどう対比させるか、これらは課題だと思う。この曲で役者はすごく鍛えられるという感じがします。

能夫 そういうことですね。

笠井 普通の新劇とか現代劇なら、たとえばマクベスで、マクベス夫人が夫をそそのかして主人を殺すという陰謀を実行する。弱気になる夫に対して、私が一度決意したら、自分の乳房を吸っている赤ん坊から乳首を無理矢理引き離し、脳味噌をつぶすことだってできると迫るセリフがあるんです。それほど気性の激しい女性として描かれていながら、後半になると、狂気になって「老人にこんなに血があるとは思わなかった」といって、夢遊病者のように手を何度も洗うシーンが出てくる。弱い人間として描かれているんです。

能夫 罪の深さということですね。

笠井 このように芝居は、最初強い人間でも弱い人間になっていくということはある、それでも一人の人格としてつながっているわけでしょ。だから演じる側も、途中に性格的な転換があっても、同じ人間のつながりの中で、ある想像力を働かせれば演じられなくもないと思うのです。犯罪を犯すときは強気でも最後はしおれてしまう、というのはそれなりのリアリティがあるんじゃないですか。

能夫 ありますね。

笠井 その人物の人格を続けていくしかないわけ。ハムレットはハムレットを続け、マクベスはマクベスを続けていくしかない。いきなり別な人物を演じることはないわけですよ。

明生 ウーン。私たち能楽師は、平気で別な人物を演じていますね。

笠井 そういう台本があって、演出があって、与えられているからやっているけれど、それが平気だというのは、かなり普通じゃないわけですよ。

能夫・明生 そうだね(笑い)。

明生 西洋の演劇などでは、こういうことはそれほど難しいことなのですか。

笠井 普通はないでしょ。『船弁慶』で前シテでは静御前を舞い、後シテで知盛になるというのは、別の人物になる方法論、働きがあって、それはそれで作ってしまうわけだけれど、それも後でできた話だからね。世阿弥のころの能はそういうものはそれほどなかったし、古能ではもちろんなかったわけです。

能夫 前シテ後シテを違う役者が演じていた可能性もあるしね。

笠井 お能では全然違う人間になるからね。もともとは前シテ、後シテを別人が演じていたと考えられている『昭君』だって、前シテの昭君の父の白桃(はくどう)と、後シテの単于(ぜんう)の亡霊を一人のシテが演じるスタイルに変えてしまった。それがちゃんとできるような構造になっているし、技術的にもまわりで支えている。できるように稽古しているしね。それでも前後の飛躍と持続をどうするかは、技術的にも、大事な問いだと思う。ある種つながっているけれど、どこかで切れている、全く同じではない・・・というものがね。

能夫 『天鼓』というのは、シカケ、ヒラキだけでなくて、シテの心を表現しなければならない曲だと思いますね。謡とか姿で表現していたものから、もう少し深くお能に入っていかなければならないと思う。本当のことを言ったら、あの前シテの老人の悲しさを若い人間が演じられるようなものではないでしょう。でも修業過程の中で、どんどん若い人にもやらせている。みんなシカケ、ヒラキでやっているけれど、やっぱり違う。能の深層にふれていかないといけない・・・。

明生 『高砂』などの脇能の尉とは違うわけですから、そこをどう表現するかですね。それから中入り前、それまで鳴らなかった鼓を老人が打ったら音が出たというので、帝も哀れに思われて老人に褒美を与え、老人も「あら、ありがたや」と言い帰っていくというのが嫌でねえ。

能夫 あそこを省略する演出もあるよね。小書「弄鼓之舞」では、恩賞をあげると言われて「あらありがたや、さらばまかり候べし」という言葉をなくし、すぐにアイがシテを呼んで老人を私宅へ送るという演出にしている。

笠井 恩賞をなくして、ただ管絃講という供養だけにするという演出もありますね。

明生 でも、あの研究公演ではそこまではできなかったですね。言葉をなくすところまでは・・・。帝が哀れと思し召して、「竜眼(両眼)に御涙を浮かめ給ふぞ有難き」と、合掌して有り難がるのは、演者側からの意識ではなんだか情けない爺さんだな、今までの嘆きや、音が出た喜びはどこにいってしますの、おかしいじゃないの焦点がずれるよと思うのです。我が子を呂水の江に沈めて殺し、形見の鼓を内裏に没収して、いままたこの老いた父に鳴らぬ鼓を打てという非情な帝ですからね。

能夫 恩賞を与えられて有り難がるのでは、下々のものは、どんなことをされても権力者を崇拝していますという感じになるよね。

明生 観客が見ているのは、我が子を失って悲しみに沈んでいる父親ですよ。前シテのおじいさんが、今度は自分が呼び出されて、殺されるかもしれないという恐怖の中で鼓を打つ、そういう思いに対して、ちょっと落としどころが違うという気がするんですよね。天子様、君子様と崇めるのはちょっと無理があるように思えるのですが。ただ単純に鼓が鳴ってよかったという風になればいいと思うのですが・・・。

能夫 あの場面は情景描写というか、設定を示しただけで、本筋ではないでしょうね。

明生 「竜眼に御涙・・・」などと地謡を謡っているときは 平気だったのに、自分でシテを舞うことになって、少し深く読み込んでみると、「何、これ」になるんですよ。

能夫 その伝で言えば、『西行桜』の「待て暫し・・・」と いうシテの謡もそうですよ。シテが「夢を醒ますなよ、まだまだ寝ていろよ」という意味を込めて、春を惜しみながら「待て暫し」というわけでしょ。本来はワキのセリフだと思うけれど・・・。

笠井 本来はワキだろうと思うけれどね。

明生 その辺は曖昧でもよいのでしょうね。

笠井 過去にワキでやったこともありますよ。でも、何だか折り合いが悪かった。難しいものだね。そこをどうするかでしょう。ワキと共有しながら稽古していかないと難しい。すぐに答えが出ないところですね。

明生 「待て暫し」はシテが謡うところでのほうが説得力が出ていいと思いますけれどね。

能夫 自分に言い聞かせている風情が出るからね。

笠井 その場の情景が豊かになるんですよ。理屈だけで、ここは本来ワキのセリフだろうとやっちゃうとつまらなくなる。

明生 新しいものを作るとき、理屈だけで押して行くとつまらなくなるというのは、そういうことですね。

笠井 説明になってしまうからね。そうではなくて、そこにもっと陰影をつけないと・・・。

能夫 『天鼓』という曲はいろいろなことを考えさせられるね。能楽師としては大事な演じどころです。

笠井 鳴ってよかったと、見る人は感じていると思うけれど。「弄鼓」の考え方でいくと、銕之丞さんは「恩讐の彼方」と言う言い方をされていたけれど、恩とか仇とかは忘れて、ただ音楽の戯れの中にいるという感覚で舞うということ。もうそれぞれ十分苦しんだから、ただ舞おう・・・と。恨み論 でいえば、もう少し恨みを出したくなるところだろうけれど、芸能の本質からすると、舞いながら和解していくというか・・・。

明生 やはり『天鼓』の楽は、高揚して戯れとして舞わないといけませんよね。ノリも浮き浮きしたものがないと、楽しめないとね。

能夫 舞っていると恨みとかは忘れてしまうもの。そういうところがあるでしょう。

笠井 のびやかさみたいなものは、ある意味では楽の一つの特性でもあると思うよ。

明生 演者としてはまず楽をしっかり舞うという基盤があってその上に『天鼓』らしい楽を舞うという段階に入る事が肝要で、楽が舞えたから楽物すべてが出来るなどと錯覚してはいけないですよ。それぞれの曲での楽の立場みたいなものを認識しないと、これは若い修業時代には先生はおっしゃらなかったけれど、自分で発見するものかな。

笠井 悪尉系の楽もまた別ですからね。

能夫 明生 そうですね。

明生 私としてはこの時期あたりから、いろいろな試み冒険が出来始めた、一つの転換期ではありました。そう、曲の内容の読み込みの大切さを教えられはじめられたから。ね、笠井さん!

先人の偉大さを思う『白是界』

笠井 さて、能夫さんは『白是界』をどうして演じようと思ったの。

明生 これは伝書の問題があって、能夫さんが是非やってみたいということだったと思います。今までやっている『白是界』でないようなものを作りたいということで・・・。

能夫 『白是界』は十四世喜多六平太先生が熱海の温泉で何泊かこもって作ったと言われているんだけれど、原本があるんですよ。

明生 渋谷(しぶたに)流の原本がありますね。

能夫 渋谷流というのは、江戸時代京都に手申楽という素人申楽の渋谷道修という人がいて、その一族の流派です。その一族の高村家の何代目かが、喜多流に養子に入り八代喜多宗家になっています。渋谷道修は江戸の中期の人じゃないですか。『経政』の「烏手」とか『枕慈童』の「クセ」なども渋谷流なんです。『白是界』という小書は、喜多流と養子縁組するときに渋谷家からもってきたものと伝えられています。その確実な証拠というか、渋谷の「付け」というものがあります。

明生 高林さんのところにありますね。

能夫 高林さんのところにもあるし、金子匡一さんのところにもあるはずです。そこには『白是界』のことといって、渋谷流の型付が載っています。僕はそういうものを若いころから目にしていたから・・・。六平太先生のお作りになったものともそう違わないけれども、でもやはり、あの研究公演という場で、原本ゼロでスタートするわけにはいかないでしょう。原本からでないと何事も起こせないと思うのです。

笠井 それはそうですよ。原本ではこうだった、その上に自分の発想をこうつけましたということでないとね。

能夫 前シテもツレも、寿夫さんがやったように面をかけてやりたかったけれど、そこまでの位になかったな・・・、僕は。あのときは直面でやったよね。

明生 ツレは私が勤めたんですが、あのとき直面というのがすごく困った。『天鼓』を舞ったばかりでしょう。汗はひかないし、顔に当て物の跡がついているみたいで。このツレは6回ほど勤めてますが、太郎坊はシテの是界坊に対比するような力強さがないといけないと教えられていますよ。あとで是界坊の陰謀を密告するおかしな者なんですが。

能夫 それであの時は、クセは省略したね。

明生 そう、クセはやりませんでした。

能夫 あのクセはいいところではあるけれど、仏敵、法敵となるのが悲しいとか.それでもその迷いで仏に帰依するわけにもいかないとかウジウジ言っているわけでしょ。そんなことは百も承知で出て行くエネルギーがあっていいのではないかということで、クセは謡わないことにしたんですね。

明生 さあ仏法を妨げよう、さあやろうと直ぐにロンギに入るということでした。

能夫 さあ戦おう! とね。前シテではそんなことを考えていたのです。

笠井 後シテの身体的なものは?

能夫 身体的なものは、うまくいかなかった。「これを不動と名付けたり、」と言って、パワフルでエネルギッシュになるところ、先人の壁と言うか、そういうものを感じましたよ。

笠井 先人の上手は、見ているだけで世界ができるというところがある。

能夫 自分のは世界ができあがらないんですよ。そういう感じがしました。

笠井 運びの問題?

能夫 この曲は緩急がないのですよ。いつもノッシリ、ノッシリなんだ。働きもノッシリ。

笠井 それで存在感が出てこない・・・。

能夫 ゆっくりだけでは、メリハリがつかないんです。謡いの気運は上がっていくんだけれど。自分でもここはこうしなければと考えているけれども、耐え切れなくなるし、運びも弱くなるし・・・反省しました。やはり先人のすごさと いおうか、ただ見ていただけでその境地に行くというのはやはりすごい。

明生 『白是界』は鹿背杖を使わず羽団扇(はうちわ)で通すでしょ。あれでエネルギッシュに見せるというのはすごく難しいのです。当然赤頭とは違う凄まじさが現れないといけないし、羽団扇を持ちながら音をたてずに雲間の拍子を踏むだけでも大変なエネルギーが必要ですよね。

能夫 後シテはベシミ悪尉という面をかけるのだけれど・・・。

明生 面、装束という兜と鎧が何とかしてくれるという頼る気持に・・・。

能夫 それが空虚だったりするんですよ。

笠井 先人たちは何でああいう風に存在感があるのかね。

能夫 すごいと思うよ。

笠井 古い映像で身体的にはボロボロになっていても、悪くないものね。

明生 今の梅若六郎さんが鞍馬天狗の子方をやられている、梅若実氏のビデオ、肉体的に弱られていても凄いよ、しっかり大天狗像が浮かび上がってくるから、驚きですよ。

笠井 まぎれもなく。

明生 ある種の、技法を体得しないといけないのかなと思います。『鞍馬天狗』でもなんでも「赤頭」の方はそれなりにできるが、「白頭」は難しい。白の方が格好はいいし、位も高いというので二回目の演能になると我々は白頭を目指しますが、そこにしっかりした軸というか芯というか、固いものがないと、「変だね」、「下手だね」と言われてしまう。軸や芯みたいなものに、何を付け加えるかが問題と偉そうに思うのですが。特に『白是界』は「白頭」より重い扱いで、曲名まで『是界』でなく『白是界』に変わっているわけですから。

能夫 先人の偉大さだよね。でもそれもやってみないとわからないよ。『白是界』という大きな壁にぶつかってみないと、この曲のすごさというものがわからないと思うよ。

明生 技法と意識の両立というのかな。特別な技法、充実の持続の仕方

能夫 先人のものには何か格闘しているものがあるんですよ。

明生 確かに。

能夫 あのときは、喜多流が大事に背負っている『白是界』というものに挑戦してみたかったんだ。できると思ったのに・・・。挫折の一番だったということです。

笠井 そんな感想?

能夫 パワフルなのよ。覚悟してやったんだけれど・・・。 でもやらないと何もわからないから。やってどうなのということだから・・・。

明生 でもやってみてわかったんだからいいじゃないですか。この話を聞くまではそんなにダメージを受けているとは知らなかった・・・。

能夫 ダメージを受けていますよ。先人のすごさといおうか。できると思ったらとんでもない。

笠井 先人たちは、こういうきつい曲をいい年になってもやっているんですよね。でも我々もこういう話ができるというのがいいことじゃないですか。こういう「ロンギ」続けたいね。

写真 天鼓 粟谷明生 撮影 吉越立雄
白是界 粟谷能夫 撮影 あびこ

プリンタ用画面
友達に伝える
前
研究公演つれづれ(その四)
カテゴリートップ
ロンギの部屋
次
研究公演つれづれ(その6)