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研究公演つれづれ(その十)

研究公演第10回(平成11年11月27日)
明生の『清経』「音取」と能夫の『砧』

粟谷能夫
粟谷明生
笠井賢一

『清経』「音取」について

能夫 「音取」については、明生君が仙幸さんの笛で勤めたいという、かねてからの願望があったね。それから、史実にない詞章の再考という課題も…。

明生 そうですね。詞章の課題はシテの謡で「かやうに聞こえしかば、新中納言取りあえず」というところが気になりまして、少し工夫したいと思いました。

笠井 どう変えたの。

明生 新中納言というのは平知盛ですね。あの場面に知盛が出てくるのは歴史的にどうでしょうか、おかしいのでは・・・。それで、あそこは謡いたくないと思いまして。多分観世流にはないはずですよ。

笠井 ないですね。

能夫 だから、そこを削除し、史実にある程度従ったということだよね。

明生 そうですね。また喜多流では本来は「世の中のうさには神もなきものを…」をワキが謡うとなっていますが…。

能夫 清経が妻と向き合って話をする夢の場面なのに、ワキが残っていて、その詞章を謡うんですよ。天の声というか、神様のご神託のような感じで…。

笠井 神に憑依してしまうの。でもワキの役は同じでしょ。粟津三郎でしょ。

能夫 そうですよ。粟津三郎が夢の中に出てくるのだから、おかしいよ…。

笠井 それは変ですよ。夢の場面では消えていなければ。

明生 そうですよ。で…ワキが退場するとなると、ではその言葉をどうするか…と言う問題が起きます。だれが謡うかということになる。

能夫 今までは対応できていないわけですよ。だから地謡の一人が謡うとか、地謡全体で謡うとかしていた。

明生 昔はワキがそこに堂々といて謡っていたわけですよね。しかし「音取」のときは、笛方が舞台に入りますから、どうしてもワキの存在が問題となる、またそのように感じとれる写真がありますよ。

能夫 だから、そこを変えようということになったんだね。

明生 とにかくワキに退場していただくことにして・・・、これは他流にあるので可能性はあるわけですから。あとを、さてどうするか…。地謡が謡うというのは、仰々しくて私は好まないので、シテが謡うことに変えてみました。清経自身に神の声が聞こえたようにも、また平家一門を代表して謡うというようなイメージですかね。

笠井 何でワキが残って謡うようになっていたんだろうね。他の流儀にもそういうのはありますか?

能夫 下掛りはそうみたいですよ。

笠井 古い形なんですかね。

明生 でもあまりいい形ではないですよ。

能夫 それで、研究公演で明生君がそういう整理をして、その後はここに工夫がこらせるようになったよね。

明生 そうですね。だから一石を投じたかなという感じはします。その後、友枝さんは「もうちょっとうまく処理できないかな…」とおっしゃられていました。友枝さんならば、新しい言葉を導入することが可能でしょう…。最近はその挿入した言葉が定着しはじめた感じです。あの時の私の立場では原本にある詞章を変えることは難しかったですから、できるだけ原本を生かしながら変えていくという作業でした。

能夫 でも、今、明生君の目指したやり方が定型になってきていて、そういう意味では、先鞭をつけたということは言えるね。

笠井 それは大きな、いい仕事をしましたね。でも、そういうことは流儀全体の課題だよね。

能夫 そうですね。それともう一つの課題は仙幸さんのお相手で、「音取」をやりたかったということでしょ。

明生 能夫さんが早く手がけておいた方がいいぞって…。

笠井 一時期、仙幸さん、ちょっと体調を崩されたからね。

能夫 だから心配しましたよ。

明生 絶対に仙幸さんで勤めておきたいという気持ちがすごくありましたからね。仙幸さんのお相手は夢でしたし、憧れもありましたから、かなえられて大満足でした。

能夫 それはそう。そんなところだよな、『清経』での課題は。

明生 志したのはそうですね。あと、「音取」ですごく憧れていた写真があって。観世元正さんの音取の写真で、すごく憧れる一枚がありまして、部屋にずーっとかざっていましたが。肩上げの甲冑姿で、渋い赤茶の着付、萌黄の紋大口でしてね。「音取」をするときはこんな感じでやりたいなあーと憧れていた。

能夫 肩上げね。

明生 普通は長絹の肩脱ぎですね。研究公演でもあることだし、一回はやってみたいというので・・・。それで昭世さんに相談したら、「いいんじゃない、好きなようにやっていいよ。ただ、肩上げの甲冑姿は音取のときには利くけれど、その後の舞、クセがどうかな…」と、それが嫌だから自分はやらないんだ、と言ってくださって。

笠井 一長一短だね。

明生 それでも終わってから、明生君には肩上げの方が似合っていたかもしれないね、といわれまして、喜んでいたのですが、あれ……これはクセがしっかり舞えていなかったということなのかなと思ったりしまして(笑い)、半分喜び、半分がっかりしたのですが(笑い)。

笠井 僕の明生さんの「音取」のときの記憶というと、田中一次(笛)さんの音取のテープを渡したことかな。

明生 はい、頂きました。そうでした。

笠井 僕はあれを越える音取を聴いたことがないんだよ。それとあのとき、『鹿の遠音』というテープも渡したよね。

明生 雌雄の鹿が呼びかわす音をテーマにした、尺八二管による曲ですね。

笠井 『鹿の遠音』というのは、恋慕の情の深い動物とされる、鹿のつがいが互いに遠く離れて呼び交わす様を曲にしたものです。

能夫 僕もそれは聴いたね。

笠井 伝書の中にも「妻乞ノ鹿ノ心」というのが載っているということは、やっぱりどこかで通じているということなんでしょうね。やっぱりそういう思いなんだな。

能夫 そうですね。

笠井 そういう思い、なるほどそうかと思わせるようなことが伝書にはありますね。ただ秘伝の譜だけ、手組みだけ書いてあるのではなく。

能夫 そういうことがないと、「音取」の精神がわからないものね。なにかそういう比喩があるとわかりやすくなる。

明生 演能レポートでも書きましたが、『鹿の遠音』の尺八も聴き、森田流の伝書にある「音取ノ出様ハ妻乞ノ鹿ノ心」、やっぱりいい言葉ですよね、これでイメージができました。ただ笛が鳴っているところを歩むだけではない、それに呼応して、声には出さないけれど、何か・・・。

笠井 思いをね。

明生 思いを持って出ていくという気持ちですね。

笠井 寸法とか、間合いを合わせるだけでは何も伝わらないよ。それは役者の力にかかっている。能というのはすごく危ないところがあって、型にのっとってやっていけばできてしまうけれど、それは僕がよくいう高級カラオケであって、難易度の高いカラオケではあるけれど、カラオケはカラオケ。その型を一度限りの人生を生きて死んだ清経として、役者が切実に生き直すことがなければ、型が表現として生きてこない。

明生 そこが課題ですね

『砧』について

笠井 次は能夫さんの『砧』ですね。小書はついたの。

能夫 小書はつけませんが、最初のワキの名乗りを入れたり・・・。

笠井 少し変えたわけですね。

明生 それはやりました。プログラムにこう書いてありますよ。「流儀の『砧』は過去に絶えていたことも有り、色々な問題が残されていますが、三役の方々のご協力を得て、従来の削ぎ落とし過ぎたものに、少し手を加えて作品の見直しをしたいと考えております」と。

能夫 うちの流儀の『砧』では、最初にツレの夕霧が出て、芦屋の某殿のお使いで都よりやってきたと謡います。そして、この秋には帰ってこないと告げるなんて・・・、いかにも時間的な幅がないんですよ。

明生 観世流では最初にワキ(芦屋の某)の名乗りがあって、訴訟のために都に来て三年にもなる、あまりに古里のことが心もとなくなったから夕霧を使いにやろうと思う、この年の暮れには必ず帰ると伝えよというようなことを言うわけです。妻を思う男の心情がわかる設定になっています。そういうことがあって、でも殿はやっぱり来れないというのと、何もなく来ないとなるのでは受け止め方、印象がまるで違うと思うんですよ。

能夫 流儀は名乗りがないから、意地悪で、いびり殺しているような印象となる

明生 『砧』を観たお弟子さんたちの感想を聞いて感じた事は、観世流が描くような、愛する人のために砧を打つというものではないということ。恨みつらみで打つ、多分に『葵上』のようなイメージをもっているのです。そういうところを払拭したいということで、ちょっと手をいれよう・・・と。ことの発端は、ワキの宝生閑さんが「喜多流の相手ではワキが名乗るところがなくておかしい」とおっしゃられたことなのです。うちの流儀では、ワキの最初の名乗りがないため、ワキが登場するのは、シテが空しくなってから、法事をしようというので中入後やっと登場するのですから。実は私その前の年、練馬能で父の代演で『砧』を勤めていまして。そのときは急なことでできなかったのですが、いろいろ調べると、どうもおかしい、次の機会には何とかしなければと思っていて、それで能夫さんにここをどうにかしようと相談して、閑さんにお願いして…。

能夫 そうね。名乗りを入れる方法でやりたいって言ってね。

明生 快いお返事をいただきましたね。

能夫 そういうことだったね。

明生 そういう思いがあったので、誰か若い人にツレを頼むのではなく、これはどうしても自分でやらなければと思い、私が能夫さんのツレをしました。

能夫 そうね。だからあの研究公演では、明生君、一曲目『清経』をやったあと、僕のツレまでやって、大変だったよね。最初にワキの名乗りを入れて、ツレはワキにしたがって出るようにしたんだっけ。

明生 最初は座付きにしようと思ったのですが、『清経』と同じになってしまうからと、これはやめておこうということで・・・。

能夫 後座に座っていて、ワキに呼び出されて出ていくという形かな。観世流のスタイルにしたんだ。それで、流れを整えるために、アイも野村万之丞さんに少し変えてもらったね。

笠井 どこを変えたの。

明生 中入り後、出ながら、念仏を唱えるような感じだったと思う。

能夫 シテはそんなに変えていないよね。

明生 物着の位置を定型パターンではなく、少し変えたぐらいですね。

能夫 キリはもちろん白練坪折に色大口ですし。

笠井 着流しという演出はないの?

能夫 あります。というか本来が水衣の腰巻です。『隅田川』のお母さんのイメージですよ。亡霊が出てくるときも腰巻水衣。友枝先生の『砧』の写真に、腰巻水衣のものがありますよ。

笠井 旅だからということ?

能夫 旅なのかな。地獄道からよみがえって、旅をしてきたというような?

笠井 そうそう。「三瀬川沈み果てにし泡沫の…」と謡うでしょ。後シテは、だから三途の川を渡って戻ってきましたということだから。

能夫 でも、やっぱりそれは嫌!(笑い) うちの親父は、大口水衣でやっていたりしましたけれど・・・。昔はそういう選択が多かったね。

笠井 観世でも腰巻に白練を坪折にするというのがある。まあいろいろ考えられるね。

能夫 いろいろ考えられるけれど、やっぱり白練の坪折が格好いいよ。

笠井 坪折大口は僕らにとっては定型だから、タイトな感じになる腰巻坪折の方が新鮮な感じがして・・・。坪折大口はちょっとご立派になるね。ご立派になり過ぎるという気がして…。

能夫 浄衣というイメージなのかな。

明生 うちのは真っ白だから浄衣という感じがしますね。

能夫 それにしても、第十回の研究公演では、明生君も僕もいろいろ考えて新しい試みをしたわけだよね。そういうことができるようになってきたというのは幸せなことですよ。でも昔は・・・。

笠井 泣いたこともあったんだよね。あの寿夫さんだって泣いたことがあるそうですから。

能夫 そう、思うように行かなくてねえ。

笠井 『昭君』で改良を試みて、申し合わせまでやっていたけれど、結局そこまでやってはいけないと、クレームがあって、それで従来通りにしてね。寿夫さん、目を真っ赤にしてやった、というのを堂本さんが何かに書いているよ。

能夫 従来あったもののチャンネルを変えるために大変な思いをしているわけ。特に昔の人は。今はみんなやろうと思えばできるけれど、喜多流だって、実先生がおられたころは厳しかったから、そう簡単にはできなかったよ。

明生 なるほどね。何かを変えるのは大変なことですね。変える方だって意識的にならなければできませんしね。それで台本を読め、謡本を読め、読み込めという話になるわけです。それまではただ覚えればいい、間違えなければいいということだけど、だんだん謡本を読み込んで、そこで何を言っているのか、自分は何をするのかって考えるようになる。

能夫 当たり前のことだけれど。

明生 そして台本を読み込んでいくと、喜多流で今やっているこれ変だよと気づいてくる。

笠井 そういうことは、本当は流儀のトップがやらなければならないことだよ。先代の銕之亟さんは、若者に、稽古能の前には、「これを訳せ」と言って、詞章を訳すことを課していたらしいよ。みんなはそれがわかっていたから、予習をしていくわけですよ。

明生 それは大事かもしれませんね。謡っている意味がわからなければ・・・。

笠井 わからないで謡うのでは、謡にならないから。

能夫 わからないで謡うなんて、信じられないよ。

笠井 役者として、そんなことはありえないからね。

能夫 でも、謡の文章の中にはわからないことも出てくるけれどね。

笠井 そのわからないところを埋めていく力だよね。どう理解し埋めていくか。

能夫 そうね。そこはわからなくとも、その周り、外堀でわかるということもあるし。

笠井 そういうことの積み上げが表現の深まりになっていくのではないかな。それができない限り、どこまでいったってカラオケでしかなくて、ドラマにならないし表現にならないよ。それをすることが役者の仕事じゃない?

明生 一生の課題ですよね。

能夫 でもそういう理論がなかなか通じないんだ。コツコツ稽古すればいい、そういうことに力を使うな、頭を使うなという人もいる。

明生 考えることが悪だ、みたいな言い方、嫌ですね。鵜呑状態の繰り返しでは、あるところまではいいかもしれないけれど、そこから先へは絶対に行かないと思う。

笠井 それはいかないよ。

明生 そういうことは、自分で演じてみるとわかります。

笠井 十年、二十年、ずいぶん変わってきたよね。僕自身、能の世界に入って、二十年になります。そしてここ何年かは演出家としてやってきたことが、能の世界でもやれる関係になってきた。それというのは、ある時間を費やしたからだなという気がする。寿夫さんの影響で能を見始め、名人の最後を観てきて、学生のころからずっとつながってきて、ここに来ているなって感慨はすごくありますね。

能夫 僕だって、十代後半から観世会館や日仏会館なんかに行って昔の演能のフィルムをずいぶん観たもの。そういうことを興味をもってやってきたから良かったなと思うよ。金春流の誰だったかな、『葵上』のすばらしかったこと。

笠井 『葵上』で全曲残っているのは桜間弓川さん。

能夫 ワキが宝生新さんでワキツレが宝生弥一さん、これは映像でもすばらしかった。

笠井 昔は、よく映写会をやってたね。朝日ホールとかで。

能夫 日仏会館とかね。それを何回か昭世さんと一緒に行ったりしたね。

明生 今、それはビデオになっているのですか。

笠井 ビデオになっている。NHKの名人の面影というシリーズの中に入っているはず。いろいろな流儀のものを観て、幅をひろげることも大事だよ。自分の幅の中だけ、師匠に言われるままだけでは、小さくなる。そうでないと、天下に隠れない能役者にはなれないよ。

能夫 その段階は歩兵だね。

明生 歩も金になるというけれど。

能夫 敵地に入ったら金になる。

笠井 敵地に入らないと。安全地帯でやっているだけではダメですよ、ということだね。

能夫 寿夫さんの能をずっと観てきて、そして浅井君と出会って。流儀をこえて親しくさせてもらってね。

笠井 そういうつながりがあったよね。どの時代もそういうものがあって然るべし。僕らの価値観が全部通用するとは思わないけれど、それなら我々の世代に対して、ここが違うとちゃんと言ってもらいたいよ。根拠があって言えるだけの、ハッチャキになって言えるだけの根拠ね。

能夫 そういうことだね。こういう話し合いをする場があるのもいいことだね。また元気でやろうというパワーの源になるよ。頑張らなくちゃ。流されてはいけないよ。

明生 本当にそうですね。本日は有難うございました。
(15年 5月 割烹 千倉にて)

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