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創作能『月見』に取り組む

粟谷 明生
笠井 賢一

 今年(平成14年)2月5日に創作能の録画撮りを行いました。学校の教材用として、DVD方式で録画しようという試みです。演出家の笠井賢一さんからお話があったのは昨年の9月頃。平家物語五巻の「月見」の段を能形式で表現しようというものです。私(粟谷明生)が座頭の役目を担い、配役の決定や、曲の節付、型付などを行いました。それぞれの役者、地謡、囃子方、そして演出を担当してくださった笠井さん、多くの方々に支えられ、創作することができました。私自身初めての試みで、得るところも多かったと思います。

 

配役は次の通り。

徳大寺実定 粟谷明生 待宵小侍従 狩野了一 蔵人 内田成信 大宮 佐々木多門
地謡 長島茂  金子敬一郎  粟谷充雄
笛  松田弘之   小鼓 大倉源次郎   大鼓 柿原弘和
演出 笠井賢一

明生 今回の創作能『月見』では、喜多流の若手と、私たちで責任を負わされ、それなりのものができて充実していたと思いますね。

笠井 こういう、能を新たに創作するということが、あなたにとって、能役者として一つ大きくなるためにもよかったのではないですか。これまであなたは、研究公演で演出を見直したり、いろいろなことを意欲的にやってきたわけだけれど、僕はあなたとつき合ってきて、そういう姿を見てきたから、まったくゼロのものから新しいものを創り上げると、また一つ違うのではないかという、その思いがあったものだから。まあ、今回の話は能夫さんとやるべきか迷ったけれど、この曲目は年齢的にいったら、あなたの役だと思ったからね。当初は直面でも考えていたし、それでまあ若手でやってもらいたかったわけ。結果的にはよかったと思うけど。全体の仕上がりを見てもね。でも、最初あなたはこの仕事を躊躇したよね。

明生 最初はお断わりしようと思っていたのに、いつの間にかやることになっていた・・・。笠井さんにこういうことを経験しておかないとと言われたのが気になりましてね。

笠井 経験するだけでなく、ちゃんとやらないとね。そうでなければ能夫さんのよきライバルにならないよと言ったんだ。能夫さんだって、こういう道を通ってきているんだからね。

明生 やるからにはしっかりとやらないとね。

笠井 今回のは、僕にとっても楽しい仕事でした。僕は平家物語をずっと読んできた。平家さえあればどんなつらいときだって生きていけると思うぐらい、他にも好きな古典はあるけれど、平家は特に自分を支えてくれる大事な作品で、僕のライフワークである「物語る演劇」の原点なんだ。どこを読み返しても新しい発見があるし、もっともっと読み込んでいきたい、考えなきゃならない、やることはたくさんあるんだよ。

明生 平家物語は能でも重要な種となっていて、私も平家の公達をシテにした能で好きなものはたくさんあります。

笠井 世阿弥が、平家物語から複式夢幻能という画期的な劇構造の修羅能を創り出したことがよくわかるよね。平家の言葉は、謡にしてもそうかけ離れたものではないし、能の創り方を書いた伝書の中でも「平家物語のままに書くべし」と言っています。

明生 他のものから比べたら遠くはないでしょうが、語り文学と謡の言葉はちょっと違うから、節付しにくいところはありましたけれど・・・。でも、こういう創作は勉強になりますね。

笠井 それはそうね。一度でもやっている人は強みですよ。ひとまわり大きくなります。

明生 しかも私はまとめ役という大役も仰せつかったのだから。自分より年上の人がいないところで創ったわけですよね。囃子方で笛の松田さんはちょっと年上ですが、まあ同じぐらい、小鼓の源次郎さんも、大鼓の柿原君も下ですし、役者も地謡もみんな仲間で、私より年下です。私がトップで責任を負わなければならない。いつもなら、何かアクシデントが起きたり、決断をしなければというときに、能夫さんがいれば、何となく頼ってしまう、そこが逃げ場になっているところがあるんですが、今回、そういうものがなくてプレッシャーもあるし、そこが面白いところでもあると・・・ 。

笠井 ほどよい期間で、よくまとめたと思うよ。

明生 そうですか。笠井さんからお話があってから、すぐ創り始めて、面白くなっていくんですけれど、みんなと稽古が始まってくると、段々、まわりのことが気になってきて、自分の役づくりがおろそかになるというのがありました。よく映画でも芝居でもあるでしょう。たとえば監督兼主役でやると、主演の方がいまひとつ冴えがなくなるという・・・。まわりが気になって、自分のところはどうにかなるだろうとやっているけれども、必ずそこに落とし穴があって・・・。

大宮に使用 小面 大和作

笠井 やはり、役者は役者一本でやっているときが一番密度が高いよね。

明生 そうですね。今回は演出家として笠井さんが入ってくださったから、助かりました。

笠井 まわりをまとめながら自分もやるというのが座頭の仕事だからね。それで両方で及第点がとれればすごいことだよね。

明生 たぶん世阿弥はそうだったんでしょうね。

実定に使用 中将 満志作

笠井 今回の『月見』。最終的にはDVDに編集したものを見てみないとわからないけれど、基本的には及第点になっていると思う。で、あれを一度、劇場用として、能舞台で公開でやってみると、若い能役者にとっても意味があると思うな。DVDと生とでは別の緊張ですからね。

明生 長島茂君は今度は蔵人をやりたいと言っていましたよ。

笠井 少し年をとり過ぎかな(笑い)。

明生 蔵人役の成信君。彼は能はただシカケ、ヒラキをやればいいだけではないというところに目覚め始めて。だから今回のことも非常に楽しみにしていて、「今までの世界とは違いますね。みんなの勉強の場になると思います」って言ってくれて・・・。これからずっと、彼らと能を作っていかなければならないときに、共有するものがあるというのはいいことだと思うんですよ。

 今回、ある部分を彼らに任せてみたのです。お囃子に合わせての動きをどうするか。全体を大まかにこんな感じでとは言いましたが、あとは君たち、好きなように動いてくれていい。そして朗詠のところも、自分の役の思いのたけを謡うためには、私の作った節よりもむしろ自分で創ってみた方がよい結果が出るのではと。また私と同じ苦しみを少しは味わってほしいと。最初は戸惑うかもしれないけれど、稽古を重ねるうちに面白くなってくるのではないかと思うのです。結果「みんな不思議と似てしまいますね。ワンパターンですね」と返事がかえってくる、一つのパターンに固まってくることを経験するんです。そこを打破して、自分なりの特別な節付が出来れば立派なものですが・・・。喜多流は、他流に比べ細かい節付があるわけでなく、非常にシンプル、だから難しい。そこのところを笠井さんが、思いのたけを出すのは節だけでなく謡だよ、謡いかけるということで出していかなければと言ってくださって、彼らには刺激になり、よかったですよ。

笠井 役者として、言葉そのものの訓練がされていないし、声技を使って表現することが何であるかということを深く考えていない。節が合っているか、声が出ているか、張りがあるかということだけで・・・。

小侍従に使用 増 堀安衛門作

明生 張りがあればいいと、それでごまかしちゃう・・・。 普通の役者と違って、能には謡があるから謡の中に逃げている面はありますね。でも張りがあればまだ良い方ですよ。張りがないことで悩んでいる人もいますから。
 私、笠井さんの注意事項をずっとメモしていたんですが、やはり目のつけ方が違うし、それを表現する言葉があるという感じがしますね。たとえば、一番最初の「六月十日、新都の日・・・」という大事な言葉の扱い方とか、それから装束の付け方では蔵人の装束で厚板の上に長絹を着るんですが、長絹の下の着付けの見える部分が少なくて、座ると全然見えなくなるんです。長絹ばかりで。それではダメだという指摘ね。座り方の問題もありました。DVDで映像として残るからという意識は我々にもあったけれど、それでも装束の付き方まで気持ちが行っていなかった。普段の演能では、終わってから、ちょっと首が出過ぎだったぞなどと言うことはあるけれど、それで終わりで、次に生かされないのです。それに後見の引廻しの降ろし方、あれが何だか幼稚なんですよ。それで後見の二人に私が何回か練習させたんです。引廻しの降ろし方がまずいからやり直しなんてことになったら、みんなプツンと切れてしまいますからね。

笠井 ギリギリ、本番は大丈夫だったね。

明生 後見が琵琶をとるところも、ここで抱いて帰るという意味があるからねと話をしました。

笠井 そういう、若い人たちの教育的指導というものは、だれがやるものなんだろう。

明生 ウーン。当然できていなければならないのですけれど。やっていて、最後には自分がまわりのことを気づかって、焦点がズレてくるんですね。それで企画の方からダメが出て・・・。考えてみたら、一つの曲目を創り上げていくという意識ではなくて、一つ一つの動きや謡ばかりに気をとられている、ある種の仕事人みたいになっていることに気づかされました。一月下旬の稽古のときだったかな、もう本番が間近なときです。この『月見』という曲目の根本は、お月見なんだと。十一月に新都・福原に移ることになっているが、徳大寺の左大将実定が古き都の月を恋い、旧都に戻って月をめでるというものですよね。そこにもう一度戻らないといけないと思ったのです。最初はこの曲趣は月見だと思ってやっていたはずなのに、まわりの人の動きなどに手を出し始めると、それを忘れてしまう、そして自分の謡に位がなくなってしまう。これはいけないと早めに気づいてよかったです。今回は影の演出家がいたからまだよかったけれど、現場の動きばかりに気をとられていると、この主題は何かというのが希薄になっていきますね。その場の処理をどうしたらいいかというところにばかり入り込んでいくんだなと気づきました。

笠井 それは必ずそうなるんだよ。それにそういうものも必要だね。だけどどこかで、ある程度細部ができ上がってきたところで、根本に戻る力技をやらなければいけない。

明生 根本に戻る力技ねえ。笠井さんは、どうしたら良いかというときの、相手を納得させる言葉を知っていますよね。

笠井 饒舌だからいいというものではないよ。ただ饒舌だけでは信用されません。そこに適切な言葉が必要なんだ。適切な言葉というのは決して難しい言葉ではない。

明生 そうですね。演技指導する人間が、その思いをちゃんと役者に伝えるということ。
 梅原猛さんが中学生にした仏教の授業を再現した『梅原猛の授業、仏教』という本があるのですが、これがとてもわかりやすく、大人が読んでもためになる。梅原さんは、中学生がわかるようにやさしい言葉で真実を教えるのは大変だと、もう一度勉強し直さなければいけないくらいだと言っています。

笠井 それはいえるね。僕は難しい言葉は言いませんよ。だからすごくわかりやすい。演技者のやることは、今ここに生きている、物語っている人間が、その物語っていることを引き寄せて、いかに表現するかなんだよね。妻子の別れがあり、親子の別れがある、みんなここで生き死にを決している、人間の修羅がある。それをどう見せるか。役者は実際には死なないのだから、そこでどう死を表現するか。

明生 そうそう。

笠井 役者は死なないんだから、ある意味では大ウソつきなんだよ。それを真実とまごうようなウソをつかなければならない。実際に刀で腹を切って死んで見せても人は何も感動しない。単なるスキャンダルになるだけですよ。役者ってもう一つ上をいかなければならない。人の生き死にはぎりぎりのところまで追いつめるとこういう風にしか見えない、語れないというところをもってきてくれたらいいんだよ。それが感動なんだ。そのためにはどうしたらいいかを、演出家は考え、それを引き出すためにいろいろな努力をする。言葉を使うこともある。だけど最後は役者に戻ってくるんだよ。

明生 喜多流では、曲を作るとき、つまり演能するとき、演出の仕方など役者(シテ)本人に委ねられていることが多い。三役の交渉もシテがやりますし。その曲をどうするかというとき、他からの目を入れることが全くできない状態になっている。今回のように、笠井さんに演出してもらうとか、他の人から助言をしてもらうとか、いろいろ交流があっていいと思う。年とともに、我々、段々教わる人がいなくなってきますからね。そうなったとき、自分の芸をもう一歩突き抜けるためにはどうするか。

笠井 課題だね。

明生 その意味で、今回の新作能は刺激的だったともいえますね。

笠井 これからもいろいろな試みをしていきたいですね。

明生 この度は有り難うございました。対談にもご協力いただきまして。

撮影 舞台写真 ハゴロモ企画
   面(三面)   粟谷明生

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