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『木賊』について -親子の愛情と反発-

17年最後の締めくくりとして、粟谷能の会・研究公演(平成17年12月22日)にて、友枝昭世氏に『木賊』を舞っていただき私たち(地頭・粟谷能夫、副地頭粟谷明生、中村邦生、長島 茂、狩野了一、金子敬一郎、内田成信、粟谷充雄)は地謡を勤めました。普通はこのような大曲、殊に『木賊』のような老いをテーマにしたものは熟年の経験者、今ならさしずめ父菊生が地頭を勤めるのが当然ですが、能夫と私は地謡の重要性を責任ある立場で挑みたいと思い、研究公演を4年ぶりに再開しました。大先輩について謡うときにはありえない数回の地謡だけの稽古、その中での微細な節扱いの確認、声の張り方までの検討という作業は喜多流では珍しいものでした。

また私はこの曲を理解するために資料にも目を通すうちに、謡本の解題やその他の本の概要に書かれていることが作品の主旨と幾分違うのではと感じ、この曲を理解するには少し説明を加えたほうがいいのではないかと思いました。何か大事なものがどこかに隠れているように思えたからです。地謡に取り組む中で、私なりの読み込み・解釈が出来上がってきたのでここに個人的な見解として書き留めることにしました。


まずは老人(シテ)とその愛児(子方)松若の人物像を考えるところから始めたいと思います。
松若の父は老いた父親として登場します。従者を連れての木賊刈りの場面からも、それ相当の大家で、大地主のような、階級も上のクラスの人物だと思われます。木賊という植物は砥草(とくさ)の意で物を砥ぎ磨くのに用いられる常緑シダ植物で、今でも庭に観賞用として植えられる生命の強い草です。園原は木賊刈りの名所ですが、老人にとってのそれは生活のためではなく、気ままな暮らしの中での趣味的なものとして理解したほうがいいと思います。『鵜飼』や『烏頭』のシテのような切実な生業の労働とは異なります。

では突如消息を絶つ松若とはどのような人物であったでしょうか。
能では実際は大人であっても幼い少年を子方として採用し、おセンチな涙を誘う効果をもたらすことがあります。しかし、私は松若は資産家の跡継ぎという有望な将来を捨ててまで、あえて仏道を志すほどの人物だったと推測します。ですから、ある程度成長し自立心のある立派な息子のイメージです。父親はきっと仏門に入ることを許さないであろう、ならば無言で家を出るしかない、と覚悟を決めてしまうほど意志の強さを持った人物だと思います。一説に、松若は恋をして父親がその恋路を許さなかったので家を飛び出したのだとする、面白い説もありますが、私は恵まれた環境の中で日々送っていたがある日、一念発起して出家を志したと考える方がよいと思いますが・・・、そこは観客の皆様の自由です。

まずここがこの曲の主軸に大きく関連しているところです。老いた父はわが子が誘拐されたと主張し、子ども側からは自ら望んで出家したという、このねじれた構想が能『木賊』の根本であると理解しないとこの作品のよさはわからないのではないでしょうか。解説にある内容は「都の僧が弟子とした少年を伴って、その郷里である信濃の国、園原へ赴いたところ、たまたまトクサを刈る老人に会う。・・・・・愛児を連れ去られた父は愛慕と狂乱の舞を舞うのであった」(喜多流謡本)であり、「人に誘われて故郷信濃の国を出た松若が父に今一度会いたいと思い、都の僧に伴われて、信濃の国園原に下り、里人とともに木賊を刈る老翁に会った。・・・・・子を失った悲しさを物語り、わが子の常にもてあそんだ小歌曲舞などを謡い舞った」(『謡曲大観』佐成謙太郎著)で、あくまでも父親側からの心の動き、視点でとらえていて、松若側からの視点は隠されています。演者や観客はこの解説を元に舞台での展開を観賞することになりますが、この親子のねじれこそが重要で、それを踏まえての型と地謡が必要であると思いました。
では今回の舞台経過を振り返り書いてみます。

出家した松若は故郷信濃の国の父親の顔をもう一度見たいと思い、師である都の僧に相談します。ここにも息子の意志が働いています。師は松若を伴い郷里の伏せ屋の里に向かい到着します。そこへ木賊を肩に背負う老人と従者が現れます。シテとツレ三人が橋掛りに並び、一声で秋の園原山一帯の情景を謡い、続いて地謡が木賊を刈る風情を謡います。一曲にロンギが二度ある曲は『高砂』『弓八幡』など珍しくはありませんが、前場の前半に設定されているのは珍しいものです。このはじめのロンギの場面は卑しい身を嘆くかのような詞章もあり、このシテが身分の低い者と錯覚しがちですが、これは老人の卑下と考えるべきで、「人として心を磨かなければいけない、わが心のために心を磨く木賊を刈り取ろう」と木賊を刈る真似をする型所は前半の見どころ、聞かせどころです。この名場面を鎌で扱うときと中啓で処理する場合がありますが、今回、友枝氏は所作が難しいとされる鎌で演じられていました。

ロンギが済むと、僧は老人に「見申せば由ありげなる御事なるが其の身にも応ぜぬ業と見えて云々(わけありの姿ですが似合わぬ作業をしていますね)」と不審に問いかけます。老人は木賊がここの名草なので家裏(いえづと=おみやげ)にすると答えますが、この言葉から木賊刈りが老人の生業でないことがはっきりします。僧は老人に伏せ屋の里の箒木について問い「園原や伏せ屋に生ふる箒木のありとは見えて逢わぬ君かな」の和歌を引き出します。箒木は遠くからは見えるが近くに寄ると見えなくなる、それを実証しましょう、と老人は僧の手を引き案内します。この歌は恋の歌ですが、親子の心情にも当てはまり、この曲の根幹をなしていると思います。そして後半の曲舞、序の舞へとうまく絡む構成のうまさがひかります。

老人は旦過を立てているからと我が家へ僧を招きます。旦過とは旅僧を無償で泊めてもてなす習慣です。旦の字は元旦の旦、水平線より日が上がると僧は出発します。
僧は松若と共に泊まることになります。すると従者の一人が老人は時折おかしなことを言うかもしれないからその心積もりで相手してください、と注意を促し退場します。通常、主ツレといわれる従者は舞台にそのまま残りますが、今回は終曲場面にワキだけが残る形にしたいために退場することになりました。

このあと子方松若の重大な告白があります。師の僧にあの老人が自分の父だと告白しますが、僧のよろこびの言葉を聞きながらも、ひとまず名乗り出ることを固辞する応対をします。ここが『木賊』の最大の要、隠し味で松若と作品の主張が凝縮されているところです。

今までは、この思わせぶりな言葉の真意を無視し、能独特の演出であるとか、そうしなければメインの曲舞や老人の舞が見せられない、能ではこのようなパターンで場面展開の処理をするものだと聞かされ信じてきました。しかし今回この解釈ではあまりに不自然で説得力に欠ける、あの世阿弥であれば、きっと意図的なものがあるはずと考えました。松若ははじめ元気な親の顔さえ見られればそれでよい、名乗らなくてもいい、と思っていたのではないでしょうか。再会しても、どうにもならない後戻りできない現実があるのを充分知っていたに違いないのです。それでもせめて一度、遠くからでもいい元気な姿を見れば自分は納得出来るという気持ちがあったのではないでしょうか。

そうとは知らず老人は酒を持参し、僧をもてなします。飲酒は仏の戒めだと断る僧に老人を慰めようとする気持ちならば仏法の真清水だと思って飲め、と酒を薦める老人です。早くもなんとなく一癖ありそうな予感をあたえながら老人も飲みはじめ、酔狂の始まりとなります。わが子への追憶は曲(クセ)から序之舞へと展開します。このクセの部分の謡は普通に淡々と謡うだけでは成り立ちません。父は独特の謡い方でここを表現します。父の口癖は「おれの謡を浪花節というが、ナニワ節で結構、それが悪いか、といいたいね」そのニュアンスはわかるのですが、どのようにすれば酔狂ながらほろっとさせるクセが謡えるか、それも課題でした。演能後の宴席で「僕の浪花節?? 違うぞ、情感だよ!!」という父のフェイント的な答えに居合わせた者が思わず「あー、やられた!」と大笑い。その情感を込めて謡えたか、そこは観ていただいた方に是非お聞きしたいところです。

序の舞から酔いも思いも最高潮となり、親が物に狂うならば子供は囃すものだ、どうして今我が子はいないのかと嘆くところの大ノリ地の謡は最大の難所。このように劇的に展開する場面、酔狂の父を見続けた松若であるからこそ、ついにいたたまれなくなり自ら名乗り出てしまいます。
ここの場面を観世流のロンギの詞章が「何か包まん、これこそは、別れし御子松若よ」と僧が紹介するように謡うのに対して、喜多流や他流は「何か包まん我こそは」と松若自身が名乗る形となっています。こちらの方が説得力があり、リアリティーがあると思います。ですからここは、当然子方の心ですから軽い位で謡うことにしました。

では一体この曲は何がいいたいのでしょうか? もちろん父の子への愛の深さですが、通常の能の親子は母と幼子です。それをわざわざ男同士、それも父親を老人に設定したところに奥深い味わいが隠されています。結末に親子の再会があり祝言で終曲していますが、もちろんそこが芯ではありません。男親と子供の再会には『歌占』『弱法師』『花月』などもありますが、この『木賊』のように父親が老人となるのはこの一曲だけです。老女物に匹敵する男の老人物、しかも老人の狂いです。この曲は老人の頑な想いが主題ではないでしょうか。それを酔狂という表現方法で曲舞や序の舞へと展開するところに演者側の技の秘め事があり、大曲と言われる所以でもあります。が、今までは妙に重々しく考えるだけに落ち着いてしまっていたのではないかというのが私の素直な感想でした。

あまり若者は使わない「酔狂」という言葉。酒に酔い常軌を逸すること、また好奇心から変わった物事を好む意、と辞書にありますが、父は「酔狂なんて言葉、近頃の者にはわからんだろうなあ」といいます。この曲での酔狂とはただ酒癖が悪いというのではなく、思い込みの強さ、それを譲らない頑な心です。後半への繋ぎとなる物着も当初は僧を接待するために労働着から着替える程度の意味で肩上げした水衣の袖を下ろすだけというものでしたが、時代を経て愛児松若の愛用した装束を着て舞う形式となりました。喜多流にはこの曲専用の「おもちゃ尽くしの掛素襖」があります。父や先人たちは皆それを着用してきました。今回もその素襖を考えていましたが、寸法が大き過ぎるという問題が生じ諦めることになり、子方用の長絹の使用となりました。しかしこの曲に似合う長絹は流儀にはなかなかなく、最終的には大槻文蔵氏より拝借することとなりました。このような経緯でしたが、いくら父に現況を説明しても理解してくれず最後まで、「おもちゃ尽くしがいいのにねーー」を連呼するまさに「頑な」な有様でした。酔狂という言葉は確かにあまり実感しにくい言葉ですが、『木賊』を何度も謡ううちに不思議と馴染み理解出来るようになりました。父には悪いのですが、まさに木賊のシテと父が重なりかぶるからです。父がヒントとなり、時にはそのものずばりという存在が、この作品を理解する助けとなりました。


今回、この大曲に取り組んでくださった友枝昭世氏の『木賊』への意気込みは並々ならぬもので、シテとしての技量、品位の充実は舞台への参加者を圧倒しました。子方、地謡にも綿密な要望を出し、装束の選択や、たとえば舞い扇は子方用の中啓を使いシテ用は腰に挿すとか、緊張の緩む物着時間をうまく処理する仕方、終曲の演出など従来の詰めの甘さを払拭するような演能が出来たことは喜ばしい限りです。そしてその担い手の一員となれたことが誇りであり、よい勉強になったと感じています。

親の老いと子の成長、この自然摂理は同時進行しながらも、次第に相反し遊離するように見えます。あるとき子は自分の人生を求めて親から離れていきます。親は頑なに子供の行動を見ようせず、子を愛しながらもそれを勝手な行動として認めない。子は子で親を愛しながらも頑なに己の規範でしか物事を見ない親に反発し離れていく。現代にも通じます。所詮時間が過ぎれば、子は親の立場になり、その子は自分がしてきたことと同じようにまた行動する、その繰り返しなのですが・・・。観阿弥の作風を伝承しながらも独自の幽玄の世界を確立した世阿弥。その子、元雅は父と異なる作風を切り拓き、次男元能は出家の道を選びます。観阿弥、世阿弥、その子供たちにも同じような親子関係がありました。『木賊』の能はそんな普遍の親子関係を教えてくれているみたいです。箒木の和歌は、『木賊』の中では恋の歌ではなく、近くでは実感しない親子の心情、生き様を歌ったように私には聞こえたのです。

写真 
『木賊』シテ友枝昭世  撮影 神田佳明
小結烏帽子  撮影 粟谷明生
装束 おもちゃ尽掛素襖  撮影  粟谷明生
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