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『望月』はシテに台詞言葉しかなく、まったくの台詞劇です。シテは言葉の運び具合や調子にメリハリをつけ小沢刑部友房を演じます。地謡は縁の下の力持ちのように、喜多流独自の技法でこの戯曲を支えていると思います。
地謡の一番の聞かせどころは何といっても、子方とシテツレ(母)が謡うサシ「ここに河津の三郎が子に一萬箱王とて、兄弟の者のありけるが」に続く謡です。ここは、敵(かたき)である望月秋長(ワキ)の前で、子方とシテツレが盲御前(めくらごぜ)と偽って、出し物として曽我兄弟の敵討ちの話を始める場面です。サシ謡は子方の張ある高音の謡声を受けて、地謡が「五つか三つの頃かとよ・・・」と、特別の習の技法を用いて緩急をつけ、途中からノリ地に変化させて謡います。『望月』が謡でも大習の免状物と言われるのはここがあるからだと私は思います。

クセは曾我兄弟の十郎、五郎がまだ一萬と箱王といわれていた時、弟の箱王が持仏堂に入ってみると兄の一萬が仏に花を捧げている。その仏を見ると怖い形相で剣と縄を持ち自分を睨んでいる。箱王はその恐ろしい姿を親の敵、工藤祐経と間違え思わず斬りかかろうとするが、兄がこれは不動(ふどう)で親の敵は工藤(くどう)と諭します。それを知った箱王は不動明王の前で親の敵討ちの祈願成就を頼み、「許させ給え南無仏、敵を討たせ給え」と地謡が話を進めます。

地謡が激しく謡い上げると、それを遮るように、子方はもう我慢できないとばかりに「いざ討とう!」と大きな声で叫び一時騒然となります。「しばらく」と子方を制するシテの謡があり、この「うとう」というのは八撥を打つことだと機転を利かせその場を治めますが、この瞬間、ここが演者もまた見所も固唾を呑んで緊張する前半のクライマックスです。

ここの謡い方は謡本に詳細な記載はなく、私は父から口伝を受けたり、地謡の前列に座り、背中で聴きながら習得してきました。例えばクセの初めは、謡本では下音と記されていますが、「ここを下音で謡っているようではモグリだよ、正統に指導を受けていない証だ」と父はいいます。実際かなり高めの中音で謡い出すのが心得で、この高い調子が子方の一途な思いと場内の緊張を誘うよい着火剤となります。クセの上羽「いまいまし如何なる事ぞ仏をば」も子方とシテツレがテンションを張り上げて謡うからこそ、それに応えて、地謡も高揚して謡えるのです。

このように謡う心得や技法も、それを誘う謡があって引き出されるもので、よい地謡とはそれを囲むいろいろな役者がそれぞれに工夫された良い引きがねを引いてこそ成り立つことを忘れてはいけないのです。張りのないテンションの上がらない役者・演者の声・謡は地謡の熱を冷ましてしまうので、充分気をつけなければいけません。

先日の「谷大作の会」(平成17年6月25日)の『望月』では、シテ谷大作氏が好演され、シテと地謡のかけ引きがうまく成り立つ舞台になったと思います。私も地頭・粟谷菊生の謡を前列で聞きながら、その謡い方を改めて習得出来、大変貴重な経験をしたと喜んでいます。しかし、50歳を目前にして今だに前列でこれを勉強できる喜多流の体制が贅沢で良いものなのか、いや、前列はもっと若い人が座っていなければいけないのではと、すこし危機感なども持ったりして、考えさせられた一番でした。

(平成17年7月記)
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