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今年の粟谷能の会は、故粟谷新太郎の七回忌にあたり追善能となります。春は『卒都婆小町』を粟谷能夫が、『小鍛冶』白頭を私が勤め、秋は粟谷能夫の『実盛』と私の『松風』を予定しております。それぞれが大曲を選曲して故人への手向けとしたいと思っています。『卒都婆小町』などの老女物は流儀では還暦過ぎてからと言われていますが、今回父菊生は、兄の七回忌の手向けには、兄・新太郎の息子である能夫に『卒都婆小町』を披かせ、その地頭を自分自身が勤めたいとの願いがありました。それが実現できたことはなによりも嬉しいことで、きっと向こうの新太郎伯父が一番喜んでいることと思います。

今回私は『卒都婆小町』の地謡、そして『小鍛冶』のシテと二曲に携わることになりました。シテを演じる前に地謡を勤めることは、体力や集中力のことを思うと少々心配です。しかし、以前(第十四回粟谷兄弟能)、父が伯父新太郎の『小原御幸』の地頭を謡い、そのあと直ぐに『通小町』のシテを勤めたことがあり、咽の調子があまり良くない時分だっただけに、シテを勤める曲を大事に考えたほうがよいという廻りの意見があるなか「自分の家の会じゃないか、楽しければ疲れや咽の痛みなんか感じない」と話していた父のことを思い出しました。

私にとって『卒都婆小町』を地頭の隣で謡うことは名誉であり喜びです。正直『小鍛冶』を演じる以上のものが心中にありました。自分もいつかは…と思い、『卒都婆小町』という作品に出来るかぎり自分を近づけておきたかったのです。実際現場では謡い方から間の取り方などいろいろなことを体験・習得することが出来ました。近日中に「ロンギの部屋・野村四郎氏との対談」を更新しますが、そこでの対談もよい刺激となり、『卒都婆小町』の面白さを教えて頂いたと思っています。父は「能役者はなんでもいいから多くの体験・経験をしろ。それを能という戯曲に還元しろ」と言います。今回「明生を菊生叔父の隣に座らせて…」との能夫の配慮と父の夢が合わさり、貴重な体験が出来たことを喜んでいます。そして流儀の方々のご協力とご理解にも感謝しています。

では『小鍛冶』について
私の『小鍛冶』は昭和47年の青年喜多会が初演です。小書「白頭」の披きは昭和56年の粟谷能の会で今回が6回目となりました。能『小鍛冶』は稲荷明神の神助を得て宗近が名刀「小狐丸」を打った伝説から作られています。
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(三条宗近邸跡)
はじめに登場し勅命を告げるワキツレは橘道成卿、大曲『道成寺』の乱拍子の和歌に謡われている人物です。ワキは三条小鍛冶宗近、本名信濃守粟田藤四郎というのはあまり知られていないと思います。京都、仏光寺近くに三条宗近邸跡がありますが、奈良の東大寺の裏に現在も三条小鍛冶宗近本店の看板を掲げて鍛冶、刀剣を扱っているお店があります。その表札に小鍛冶英一と書かれていたのには驚きました。詳細はホームページ写真探訪「奈良の旅」をご覧下さい。http://awaya-noh.com/awaya_static_html/photo/nara/photo/index.htm

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(面、童子 出目半蔵打 粟谷家蔵)
『小鍛冶』白頭については、以前の演能レポート「野田神社の能舞台で歴史を感じつつ『小鍛冶』を演じて」に記載してありますのでご参照下さい。重複しますが、少し記しておきます。白頭の場合の前場の仕舞いどころ、日本武尊(やまとたけるのみこと)が武勲を立てた草薙の剣(くさなぎのつるぎ)の起こりや武勇伝を語る場面は、我が家の伝書にはその位(スピード)についての詳細が書かれていません。現在、速くかかって舞う場合としっかりとゆっくり舞う場合の二通りがありますが、本来は後者のようでした。しかし近年技が利く十四世六平太先生がキビキビした速い動き(位)で舞われたことから速い位もできたようです。六平太先生に習った方々は速い方を好み、実先生の教えを受けた方々はゆっくりした方を好まれているように思われます。今回は私の好みで速い位で勤めました。

中入り前、白頭の場合はワキにアシラ匕「その時我を待ち給わば」と正面にすっと素早く向く型があり、これも白頭ならではの型とされています。狐の本性を見せる演出とも思われますが、実はこれについても伝書に記載はなく、おそらく六平太先生の工夫ではないだろうかというのが私の推測です。

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後シテ 粟谷明生 撮影 東條 睦

 後場は全身白装束で白頭に白色の狐を戴き、喜多流独自の狐足といわれる、踵をつけずつま先だけで狐のように細かく足を動かす運びとなります。これが見た目ではお判りにならないと思いますがきつく、とくに国立能楽堂などの長い橋掛りではなかなか前に進まないので苦労するのです。腰をしっかり入れ固定し、頭が揺れないようにと稽古します。動くたびに頭がピョコピョコと揺れていては白頭失格です。このように俊敏性とスピード感を表現するために体力の消耗も激しいです。
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(面 泥小飛出 粟谷家蔵)
面は「泥小飛出」を使用します。観世流には「狐蛇」という面があり、「黒頭」の小書では面そのものが狐になるため狐の冠はつけないようです。この狐の冠が実は俊敏に動く際にバランスをとりにくくする厄介物なのです。以前は少しも感じなかったこの狐の存在、十四世六平太先生が晩年に「面が重い…」と仰っしゃられたそうですが、残念ながら少し気持ちが判るようになってしまいました。

『小鍛冶』は小品ながらも気楽に素直に見て楽しんでいただける曲です。東山稲荷明神の狐の神様の縁起、稲荷神道の宣伝曲です。修羅物や三番目、四番目物のように、作品の登場人物がどのように生き、また死後どのようになったか…というような深く重いメッセージはありません。そのため『小鍛冶』は何回か演じていくと物足りなさを感じるところは否めないのです。

今回の番組が二時間近い『卒都婆小町』と狂言の大曲『武悪』となれば、『小鍛冶』は丁度よい適度な作品であったと思います。今年50歳になる私にとって自分自身の賞味、いや消費期限などと言ったらまだまだ何をいうか、と一笑されてしまいそうですが、人間の生命や体力が永遠ではなく、人生何が起きるかわからないことを実感すると、じわじわと流れる時間の経過や体の変化を感じながら、心中はもっとやり甲斐のある曲目を…と貪欲に思ってもしまうのです。しかしそれはそれで、最近教えられた「一日の興行の成功は番組構成のバランス、それを最優先すること」、このスローガンを忘れてはいけないとも自分に言い聞かせているのです。(平成17年3月記)

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