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中越地震の影響で一時は公演の有無も心配されていた能楽座新潟公演(平成17年1月29日)は、積雪の心配もなく快晴のもと無事終了しました。
今回は二部制で、一部を私の『楊貴妃』、二部を観世流の梅若六郎氏の『自然居士』という番組編成でした。父は楽屋で「六郎さんが『楊貴妃』で、うちの息子が『自然居士』だよ! 番組が逆だなあ…」と話していました。
能楽座事務局から「喜多流は『楊貴妃』、二部を六郎さんで…」と新潟公演の出演依頼を受けた時、内心、あの六郎さんと肩を並べて公演出来ることに半分照れながらも嬉しい気持ちでいっぱいでした。
今回は、ワキを宝生閑氏、笛を一噌幸弘氏、小鼓を大倉源次郎氏、大鼓を柿原崇志氏に、そして地頭を父にと申し分ない配役で私の演能の大きな力添えとなりました。
普通ならば梅若六郎氏のワキを宝生閑氏がなさり、私のお相手は宝生閑氏よりも年下の高井松男氏となるはずですが、六郎氏は「この公演を成功させる為には、明生君の『楊貴妃』には宝生閑氏のほうがふさわしい、自分は閑氏でなくても大丈夫」と話されていたようです。舞台の配役を単にシテの年齢に合わせるだけではなく、公演の成功また曲目を成立させるために、シテの力量や立場を充分に配慮しながら配役することの大事さを知りました。今後はそのような配慮をしなければと思っています。









堰      船弁慶

私が『楊貴妃』を勤めるのは今回で二回目です。面は増女にしようか、やはり流儀の決まりの小面にするか悩みましたが「堰(せき)」の小面を選びました。「堰」は父の愛用の面でした。父は他の小面を使用することはなく、まわりに「堰」以外に浮気したことはないと言い切っていました。昔、私が無断でこの「堰」を『船弁慶』(昭和58年3月、粟谷能の会)で使った時、父は伯父新太郎に「何故明生に使わせた!」と目くじらたてて怒ったようです。私は私で「自分の息子なんだから直接言えばいいのに…」と知らん顔をしていましたが、あとで伯父に「菊生が怒るからあれは使うなよ」と言われ、それ以来「堰」には一度も触れたことはありませんでした。そんなことがあり、以来「堰」は粟谷家の面でありながら誰も使わなくなりました。それが突如、父の「何故、俺の堰を使わないのか」という言葉。父が女物を勤めなくなってからのことでした。それまでは考えられなかった父の言葉です。能夫と私はあまりの変化にびっくり仰天、何だか狐につままれたような感じでした。

今回の『楊貴妃』で「堰」を手に触れてまず意外に軽いと感じました。通常、面の材質は檜ですが、なかには違う材質のものもあります。「堰」の材質が何かは今はっきり言えませんが、非常に軽く感じたのが私の第一印象でした。顔に当ててみると、大変視界が悪いのにびっくりしました。裏の鼻のあたりを見ると汗留めの布テープが貼られ穴を塞いでいました。このような事はたまにありますが、これでは下が見にくく使いにくいものです。どうも父はこの状態のまま使い舞っていたようですが、よく使っていたものだ…と感心してしまいました。これでは駄目だと諦めかけていたら、能夫が自分が穴を拡げられるかもしれないといい出し、修理してくれました。すると今度は視界も広がり、下もよく見えるようになり安心して使用することが出来ました。能楽師は面をそれぞれ決まった面袋に入れて保管していますが、今回私が使用するのを機会に「堰」の面袋も新調されました。「堰」もあたらしい使い手を探すことになったかと感懐深いものがありました。

『楊貴妃』は普通1時間半以上かかります。今回は二部が開演する時間の都合もあり、演能時間の短縮が求められました。私はパンフレットに詞章が記載されているので詞章部分は削除したくないと思い、舞の部分での切り詰めを考えました。そしてイロエを省き、序の舞に工夫を凝らすことにしました。序之舞は喜多流では通常、三段(掛、初段、二段、三段)の構成ですが、今回は二段の構成(掛、初段、二段)にしました。ヒントは故観世銕之亟先生が言われた「今の観客には三段の序之舞でもちょっと重いんじゃないか…」です。響きの会 通信volume6の山本順之氏はインタビューで「観客の時間に対する我慢度みたいなものも変わってきている…銕之亟先生は、二段オロシあと二つ目の呂上がりにして、そのかわり位自体はそんなに早くしないと言っておられた…」と答えられています。私は最近の三段目が急に御座なりな軽薄な位になるようで、それがいやで、それならいっそ短く二段で終わりにして、その分しっかりとした位で「羽衣の曲、稀にぞ返す…」と謡えればと思い、今回試してみました。成果や印象をご覧いただいた方からお聞きしたいと思っています。

能役者は常に現場に沿った演能形態で最高の舞台をお見せしたいと思っています。
能は長い年月を経て伝承や約束ごとで堅く固まっているもののように思われがちですが、よく中を覗くとそうではなく柔軟で懐の深さと大きさを感じさせられます。

今は現代の感覚で、正統でありながらも柔軟性をもって、観客に古典の能を紹介する地道な努力が必要だと思っています。メディアがある一部分だけを派手に紹介するのとは違い、手間暇がかかる作業かもしれませんが、これからの能をよりよい方向へと進展させていくためには、なんといっても現場で本物の良い舞台が繰り広げられることが第一で、それを大事に大切に思うことである…そう再認識させられた新潟公演だったのです。

(平成17年2月 記)

『楊貴妃』新潟公演  シテ 粟谷明生   撮影 石田 裕

『船弁慶』粟谷能の会 シテ 粟谷明生 撮影 あびこ喜久三

 小面「堰」        撮影  粟谷明生

 唐織   粟谷家蔵    撮影  粟谷明生

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