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『梅枝』と『富士太鼓』、この二曲には浅間、富士というふたりの楽人の名前が出てきます。富士に浅間、どちらも日本を代表する火山です。作品が作られた当時、二つの山はどのような噴火活動をしていたのでしょうか。能『富士太鼓』では、「信濃なる、浅間の嶽も燃ゆるといへば、富士の煙のかひや無からん」とあり、浅間山が富士山より激しく噴火していたと推察できます。富士や浅間の名前を使っての作者の工夫は大変興味あるものです。

さて『梅枝』は『富士太鼓』の後日談の能です。『富士太鼓』が4番目狂女物の現在物の分類に対して、『梅枝』はシテが富士の妻の幽霊として恋慕の情に苦しむ懺悔物語で、三番目物に近い夢幻能の作風となっています。これらの二つの作品は共通する一つの事件が引きがねとなって展開します。

花園天皇(萩原の院)の御代、内裏にて管絃が催されることになり、国々の役者に勅命が下ります。中でも太鼓の役は天王寺の浅間に勅命が下りますが、住吉の楽人、富士は自慢の腕前からか自ら望んで参内してしまいます。天皇は二人の太鼓を聞き比べ、富士も上手だがやはり浅間の方が上だと賛美したため、まわりの人々は以後、富士が上手と言わなくなりました。

もしここまでの話で殺害事件が起きたと聞かされたら、誰もが富士が自分の負けを恨み、ライバルの浅間を殺害したと思うでしょう。しかし事件の真相は浅間が富士を殺害するという思いもよらない展開となります。

『梅枝』のシテの語りに「浅間、富士とも内裏の管絃の役を争い、互いに都に上り、富士がこの役を賜ったのを浅間が安からずに思い、富士を討った」と語りますが、これは被害者、富士の妻側からの一方的な訴えで、富士が役を賜ったという事実はないのです。では実際はどうであったのか、気になるところです。
喜多流の『富士太鼓』のワキの名乗りには、浅間が富士を討った理由がはっきりせず、聞きなれた下掛宝生流の詞章でも謎は解けません。浅間が勅命という大義名分での参内だったのに対し、富士は所望されていない身でありながらの身勝手な図々しい参内です。この身分不相応の態度、そしてそのような相手と内裏で役を争わなくてはならなかった屈辱感、これらのことで殺意に及んだとなると、浅間という人物は随分短気で、乱暴な男と解釈せざるを得ません。天皇から認められた浅間なのです、勝者なのにと、私はどうも腑に落ちないのです。

先日喜多流自主公演(平成15年4月、シテ中村邦生氏)の『梅枝』で、大蔵吉次郎氏の間語(あいがたり)が、これらの謎を一掃してくれるものでありました。

大蔵流の語りには大事な一言が語られていました。それは浅間が召されたあとの富士の言動、「富士、散々にいいなしければ」の一言です。天皇からお呼びがかかった役者でもないのに図々しく参内し、その上負けの裁定を受けながらもなお、「浅間などたいした楽人ではない、本当は自分の方が上手なのだ、本当の勝者は私だ」などと吹聴する富士、さすがの浅間もこれを聞いては怒りが爆発し殺害に及んだと語ります。

ここに、天皇が浅間の勝ちと認めているにもかかわらず、事件を起こさざるを得なかった根拠がはっきりと語られています。

シテ方はともすると謡本の詞章からのみ作品を読み込んでしまいがちです。ワキやアイのお話や詞章をうかがうことで、取りこぼしたことなどを再発見することがあります。これらは作品全体を把握する上で大事なことです。今回の大蔵吉次郎氏の間語は私にとってこの曲の事件の全容を理解する有意義な一言でした。

『梅枝』は羯鼓台に舞衣を掛けるために支えの棒をとりつける特異な曲です。昔は中入りで舞衣を外すときに、支えの棒も一緒に取り外していましたが、昨今支えている棒はそのまま付けた状態で演じられています。先日もそうでしたが、私は舞衣がとられた後の羯鼓台の景色が気になります。演者側からみて右に一本張り出た棒が妙に気になって仕方がありません。羯鼓台は左右対称であってほしいので張り出す棒も左右均等にし、装飾を施すなど、見栄えもよく、舞台進行上、見劣りがしないやり方があるはず、新たな規格を考慮してもよいのではと思えるのです。次回には改善したい個所だと思っています。

『梅枝』を演じる難しさは、しっとりとした夢幻能の世界を作ることです。楽というやや明るくなりがちな舞を恋慕の思い深く静々と舞う、「『梅枝』の楽は序之舞を舞うように」が心得です。『梅枝』という曲名は「梅が枝にこそ、鴬は巣をくえ」と囃される越天楽より名付けられました。しっとりとした曲(クセ)からロンギへ、そして楽(がく)となって、終曲では夢幻能の代表曲、『井筒』の最後を思わせるような節と型、共通するものを持っています。

喜多流での『梅枝』上演の歴史は祖父益二郎の名演から始まります。伯父新太郎も祖父の名演で刺激されたのか、一時志しましたが、ついに演じることはありませんでした。その後、昭和54年当時の喜多例会にて父、粟谷菊生が久々に演じ、それ以来たびたび上演されるようになりました。

昔この名曲が何故封をされていたのかはここでは語りませんが、祖父、父の上演を機に『梅枝』が世に出たことは、たいへんすばらしいことだと思い、嬉しい限りです。『梅枝』と『富士太鼓』、共に名曲です。私自身は『梅枝』を平成6年、妙花の会にて、『富士太鼓』を平成13年、粟谷能の会にて勤めました。これらを演じてはじめて、それぞれの曲の持つすばらしさとテーマが私の心に残りました。

(平成15年5月 記)

写真は 梅枝 粟谷明生  撮影 三上文規

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