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 玉葛の業因とは何だったのだろうか。回向を頼まれた僧(ワキ)が中入り後シテを待って謡う「たとひ業因重くとも、照らさざらめや日の光」という一文。はかなく逝った夕顔の忘れ形見であり、美しく、あまたの男たちに愛された玉葛が、なぜ業因に苦しめられなければならないのか。能『玉葛』を勤める(平成13年2月4日・広島「花の会」)に当たり、最初に感じたことは、この漠としたわかりにくさと、謡本だけ読んでいても作品の主旨はつかめないということでした。
このキリの仕舞は、初心者用仕舞付に入っていて、ある種の乗りの良さのため身近で手軽な曲として扱われています。これが悪弊になっているというか、教える側も教わる側も曲趣を深くさぐることもなく、ただただ型のみの伝承に終わってしまう傾向にあると思います。そして私を含め能楽師達は「もう一つ面白味に欠ける、やり甲斐を感じない、玉葛の苦悩がはっきりしない…」とすすんで勤める者が少ないのが本当のところです。
しかし、今回演じる状況になり、そこに留まっていたのでは演じようもなく、また観る人に何も伝わらずじまいになるのは如何なものか、自分なりに納得して演じたい、そのためには作品の主旨を自分なりに掘り下げてみる必要があると感じ、謡本の向こうまで足を踏み入れることになりました。
『玉葛』は金春禅竹の作品です。彼の作品は『芭蕉』『定家』にみるように、芭蕉という植物に象徴される精神的なスケールの大きさ、式子内親王の恋の妄執の心の動きを定家葛になぞり緻密かつ大胆に描く発想の曲趣があります。『玉葛』も源氏物語をよく読み込んでいた禅竹が、その中から精神的な何かをすくいとって一曲に仕上げたのではないでしょうか。当時の観客は源氏物語をごく一般の教養として知っていたようですので、内容も十分理解して楽しんでいたはずです。
源氏物語の中で、玉葛に関する物語は「玉葛」から「真木柱」まで十帖にも渡り、作者・紫式部が力を入れて書き込んでいることがわかります。玉葛は頭中将と夕顔の間の子。母・夕顔は源氏との逢瀬で突然物の怪に襲われて急死します。母の行方がわからないまま、玉葛は乳母に育てられ、四歳で乳母の夫の赴任先、筑紫へと下ります。二十歳になり美しく成長した玉葛。大夫の監や多くの男性の求愛を受けますが、田舎に埋もれさせてはならじと決死の逃避行。無事都に着きますが頼る者もなく、卑しい人たちと暮らしながら、何一つ事態は好転しません。かくなる上は神仏にすがろうと母との再開を祈願する初瀬詣にでると、夕顔の侍女で、今は源氏の北の方・紫上に仕えている右近に出会います。右近の報告で、源氏は玉のように美しい夕顔の忘れ形見を引き取り、養父として大切に世話します。柏木、蛍兵部卿宮、髭黒大将など多くの男性たちからの求愛、それにも増して養父源氏からの恋慕に戸惑う玉葛。物語では最終的には髭黒の妻となり、子供ももうけ幸せな生涯を送ります。
玉葛の一生をたどってみれば、早くに母を亡くし、田舎に下ったつらさはあるものの、源氏に迎えられてからは一見幸せな生活ぶりです。「業因」とか、払えども払えどもついてくる「執心」「妄執の雲霧」とは無縁のように思えますが、禅竹は何をもって玉葛の執心と考えたのでしょう。
一つは玉葛の美し過ぎるための罪です。大夫の監、柏木、蛍兵部卿宮など、多くの男の心を悩ましたことへの罪。中性の仏教思想には、女は生まれながらにしてけがれたもので、男の心を乱れさせ苦悩を与えるのは業因の深い罪障となると考えられていました。その罪が成仏するのにさしさわりになるということです。美しさが罪つくりで、そのために妄執に悩まされ成仏できないなど、現代ではとても理解できない考え方で、玉葛という舞台を曖昧に終わらせてしまう一因でもあります。
そしてもう一つは源氏との関係における罪です。源氏にとって、夕顔は愛情が頂点に達したときに突然、死によって断ち切られた存在。その思い出は美しいままに結晶されています。その忘れ形見である玉葛は夕顔の面影を残し、愛しくてたまりません。源氏は養父としての立場を保とうとしますが、その思いはあふれ、ときに玉葛を困惑させるまでになってしまいます。
瀬戸内寂聴氏は『わたしの源氏物語』(集英社文庫)の中で、源氏が玉葛に添い寝する場面について「几帳の中に入り手を握っているのだから、その接近度は密接である・・・源氏の着ているものは直衣と指貫だっただろうから、それを脱ぐというのは、ぴったり女に寄りそいたいためで、あわよくば、そのまま、抱いてしまうつもりだった。ところが玉葛があんまりびっくりして身を硬くして辛そうに泣きだしたので、さすがにそれ以上のことは出来なくなってしまった。…(そして)出て行きぎわには、ゆめゆめ人に悟られないようにと注意したのは、いい気なものにもほどがある」と書いています。源氏の恋慕、それに困惑する玉葛。ここにも女の罪障があるというわけです。
私は今回、後場の一声でシテ(玉葛の霊)が謡う「恋いわたる身はそれならで玉葛いかなるすじをたどり来ぬらん」で、つくづく源氏との関係を意識させられました。この歌は「母を恋い慕って初瀬にやってきた。今は現し身にない私がどうしてここに来たのでしょう」というほどの意味で、玉葛の気持ちが表現されています。源氏物語ではこの歌とほとんど同じ歌を源氏が詠っています。つまり「それならで」が「それなれど」、「たどり来ぬらん」が「尋ね来つらん」と違うだけであとは全く同じ。「私は今も夕顔を恋い慕っているけれども、その娘である玉葛がどういう筋で私のところに尋ねてきたのだろう」という源氏の気持ちです。禅竹がこの歌を意識しているのは当然で、後場でいきなりこれをシテに謡わせるのは、やはり玉葛の苦悩の一番目にくるのは源氏との関係だと考えます。
私自身、玉葛の歌を謡いながらも、布石になっている源氏の歌を合わせ鏡のように体に感じずには、謡えませんでした。
しかし、玉葛の執心は、美しさや源氏との関係のみに集約されるものではないと思いま<す。時を経て髭黒の妻になり暮らしながらも、なぜ髭黒というそれほど愛してもいない男と一緒にならざるを得なかったか、待つだけの時代の女の悲しさを思ったり、または過去に心を悩まさせた男たちのことを思い浮かべたり、もちろん源氏の息づかいや語り口をも思い出し熱くなることもあったでしょう。現代の私たちでも共有する、幸せな結婚生活をしながら、時折、若き日の恋の遊びと痛手が思い出され、心にチクリと刺される感触、そういうさまざまな執心のようでもあります。全体にそれほど深刻なものではないにしても、二重、三重にも重なる執心、雲霧のように晴れない妄執が、玉葛を苦しめているとみることが出来るのではないでしょうか。 
 今回の演能で、普通は前場も後場も小面というのが喜多流の手法ですが、後シテで我が家の「玉葛女」という、苦しみが漂う面を使ってみました。観世流では十寸髪(ますかみ)という、髪が乱れ眉間にへこみと皺のあるものを使うようです。
喜多流本来の小面を選択する意図は「喜多の女物は小面」という規定であったり、また持ち運びの簡素化に歪められながらも、やはり世にも稀な清純な美人を考えてのことでしょう。しかし私はやはり後シテの執心に苦しめられている玉葛を想像するに、小面のお顔では、それを表現するには似合わなく、あまりに難しい演出になると思います。苦悩し、屈折した表情があってこそ訴えかけが生まれると思いたいのです。
能『玉葛』では、玉葛の長い一生のうち、いつの時期を想定して登場するのだろうかと考えてみました。美しさに磨きがかかってくる十代の玉葛をイメージし、成人する女性以前の乙女のような段階ではないかという人もいます。私は稽古を重ねるに従い、源氏の影に悩んでいた二十一歳過ぎのころそのままの玉葛と、物語にはあまり書かれていない落ち着いた生活に入りながらも時々心の奥底に蘇るあの時を思う大人の玉葛なるものを思い巡らして演じました。
そして「居グセ」の部分。筑紫から早船を仕立てて逃亡する道行的な場面で、松浦潟、浮島、響の灘など原作を知らないとわかりにくい暗示的な文体でつづられています。ここを舞う型付が狩野家に伝わっており、今回はそれをお借りして舞ってみました。心の内をじっくりと地謡が謡う表現、またそれにつられてどうしても動きたくなる自分の体の反応が面白く感じられました。
シテの出(登場の仕方の出囃子)で、たまに前場も後場も同じ出になることがあります。玉葛も前場、後場で一声(いっせい)という出で舞台へ登場しますが、この出の気持ちを我が師、友枝昭世氏は「前場は棹を持ち、女舟人の風情だから、船の流れを意識し、いくぶんサラリと運び、後場は執心を持ちながらも、お経にひかれて出てくるので、やや重々しく運ぶと良い」と教えてくださいました。また当日お相手して頂いた小鼓の横山貴俊氏に、一声をどのように打ち分けられるのか、お聞きしましたら、「そう違いはないけれども、簡単にいえば、生きた人間と死んだ人間の違い、そう思って打っています」ということで、これもなかなか面白い見方だと思い、心に留めておくことにしました。
 今回の広島の公演は、『芦刈』『玉葛』『海人』の三曲構成でした。私の後の『海人』の装束が腰巻・水衣で、私の『玉葛』と重なってしまうので、私の方の装束を常とは変えてみました。舞台上、一日の公演で装束や作り物が重なる番組構成は好ましくなく、通常は重ならないように調整するのですが、仕方がない場合は両者がゆずり合う習慣があります。
前シテは唐織着流しの肩脱ぎにしてみました。肩脱ぎは本来、後シテの狂乱姿のものですが、肩脱ぎには労働を表現するという意味もあります。今回は女舟人、棹を持ち舟を漕ぐという事で、そのようにしました。後シテは上衣は金の摺箔で、緋大口袴の裳着胴大口袴という形でいたしました。鬘は常は片方だけ垂らすのですが、大口袴とのバランスを考え両側の髪を垂らしました。今回は装束が常とは大きく違い、面も替えの玉葛女ということで、観る方には多少戸惑いがあったかもしれません。
演者としては伝書を基に、謡本や源氏物語を読み、演出に工夫を凝らし、いろいろ考えて勤めてみましたが、やはり『玉葛』は難しく、演じにくいと言わざるを得ませんでした。万物は決して一重ではない。玉葛の妄執も決して源氏のこと一色だけではなかったはずです。業因だとか妄執といいながら、劇的な葛藤というほどのものでなく、もしかしたら、夢の中で、あの頃の輝かしい時代にひととき浸っていたいという贅沢者の悩みであったかもしれないのです。実際、この曲の終わり方は「長き夢路は覚めにけり」(玉葛が迷いの夢から覚めたと見て、僧の夢も覚めた)というもので、成仏したとか救われたとかではありません。だから『玉葛』は単純な解釈では消化しきれない難しさがあるのです。
我々は修業過程で「気をかけて」とか「気持ちを張って」と教えられてきました。これは芸に心を込めてという意味らしく、とても重要で深い内容のある言葉ですが、ともすると、一手一足の誠意の込め方が足りないときに、叱咤激励として発せられる言葉に変化し、受け取る側もただ力を入れるに留まってしまいがちです。『玉葛』という曲は、この気合いとか気の張りといったものがおよそ似合わない曲のように感じます。強い妄執を演ずる時、我々はその思いを体の中に一端蓄積し、加工しそして発散しますが、玉葛の妄執はそれとはちょっと異質です。蓄積されたものを、故意に外へ訴えかけるのではなく、演者自身の体の中へ中へと取り込んで、幾重もの思いを熟成させていくもののように思えるのです。ですからこの『玉葛』は、人生経験を積んだ本当の大人がさりげなく演じたときに、すばらしい作品に開花するのかもしれません。

(平成13年2月 記)

撮影 「玉葛」前後 石田 裕です
面 「玉葛女」 粟谷明生 

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