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粟谷能の会粟谷新太郎一周忌追善(2000年3月5日)で『望月』を勤めました。『望月』は、獅子舞をベースにした仇討ち物語で、能としては珍しく一句の拍子謡の歌唱部分がなく、会話の台詞しかありません。安宅同様、直面物(ひためんもの)の芝居的な要素が多い曲と言えます。『井筒』(いづつ)、『野宮』(ののみや)、『定家』(ていか)に代表されるような幽玄としての要素が乏しいことから、作品としてこれから生き残る価値が無い等という人もいますが、私は『望月』のように、物語が分かり易く、獅子舞という見せ場があり、特に子方が活躍するこの曲は観客が存分に楽しめるものと信じ、決して廃れるとは思いません。一日の観能の最後に何と無く気持ちがほっとする、このようなものもあっていいのです。

しかし、それには子方が立派に勤めることが必要とされますので、その役割は重要です。子供を子方から一人前の能楽師に育てること、これは親としての勤めでありますが、周りの環境の力もまた大きな支えとなります。子供の成長過程に於いて、今この小さな役者に何が必要かを考え、その年齢にふさわしい曲目を選曲してあげること、これは大事な事なのです。大人の勝手な演能スケジュールに振り回される事を良しとしたくありません。子方の修行過程をむやみに変えるような無謀な計画、それがもし成功したとしても、私は慎むべきではと考えます。周りが優しく暖かく見守ってあげなければ子供は上手く育たないでしょう。そして親は子供のふさわしい時期に、たとえその機会が無くても、共に勤めるだけの力をつけておくこと、それができない様では父親として能楽師として、悲しく恥ずかしいことであると教えられてきました。 

私は三歳にて『鞍馬天狗』の花見(はなみ)で初舞台を踏んで以来、子方を百二十回勤め、多くの経験をさせてもらいました。それは確かに芸の肥やしになっていますが、一方曲全体の流れがわからず、自分の演ずる部分だけをこなすような事が多かったので、息子尚生には一つ一つの舞台を丁寧に勤めさせ、その中で何らかの感動を得ながら、能を演ずることは辛く苦しいが、反面こんなにも楽しく面白いものがあるのだと、感じてもらいたいと常々思っています。子供が演じることを楽しむようになったら、まずは大成功なのです。

私の『望月』の子方は八歳から十歳の間に六回勤めており、今回は自分の経験を基に息子に教える事としました。例えば最初の橋掛りにおけるツレとの連吟(連吟=二人以上で同時に謡う)。ここでの謡の音の高さが合わないと舞台の緊張は一瞬に解け、子方は登場したそうそう不安にかられ、声の張りは萎縮してしまいます。子方は子供の声の高さで体中を使っておもいきり大きな声で伸びやかに謡うのが身上ですから、ツレが位を保ちながらも上手に子方に合わせ誘導しなければならないのです。今回、ツレの長島茂さんには何度も念入りに、音あわせ に協力していただきました。その結果、子方が安心して大きな声が出せて良い成果をだしたと思っています。
 今回舞台での見直しにつながったことですが、子供の頃より気になっていた事がありました。ワキ(望月秋長)が登場して、シテ(小沢友房)が子方(安田友春の子、花若)に望月が来たことを知らせます。それを聞き、子方が「何、望月と申すか」と勇む場面があります。従来の喜多流の演出では本舞台上に二つの部屋があるという設定で、ワキとアイ、ツレ(友春の妻)と子方という仇同士が直ぐ隣に座っているというなんともおかしな舞台風景になっています。私は子供の頃、こんなに直ぐ隣に望月がいて見えているのに、どうして急に驚いたように、「何、望月と申すか」と謡わなければならないのか、子供心にも腑に落ちなく違和感を覚えていました。そこで今回はワキとアイが宿を借り舞台に入った後はワキ座の奥に本舞台から外れて座って貰い、子方とワキのいるところとがはっきり分かれている形の演出にしました。そのほうが自然なはずです。
 『望月』の子方にとって最も大変なのは羯鼓(かっこ)を打ちながら舞う場面です。笛に合わせて舞うのは難しく、重要な稽古のポイントですが、笛方と合わせるのは申合(もうしあわせ=リハーサル)一回だけです。最初は笛の部分を口で唱歌して稽古します。最近はテープがありますから、型ができあがりかけたら本番さながらにテープで練習することができますが、私の時は唱歌に合わせるだけでしたので、いざ申合という時にお稽古のように笛が聞こえてこないので、びっくりし困惑した思い出があります。それに本物の羯鼓は当日でなければ付けることができません。当日初めてこれが刀、これが羯鼓と見せられ、こう持つ、こう打つんだと教えられるのです。とにかく初演の時に面食らった色々なことは、今でも忘れられません。

今回息子には、稽古の時から羯鼓と同じくらいの大きさのものを腹に付けさせ、刀もおもちゃの刀を買ってきて、扱いの練習をさせました。最近の子供はチャンバラごっこをしないので、刀の抜き方、持ち方、例えば左手は鞘(さや)を腰につけ持ち、右手は鍔(つば)ぎりぎりを持つ、などということを知りません。大人の感覚で教えなくてもわかるだろうと思う事でも、子方は戸惑うことがあります。ですから、できる限りこのような障害は最初に取り除いておくことが、大事なことだと思うのです。これは私の体験からのものです。
 『望月』の最大の見せ場は獅子舞。これがあるため重い習(ならい)とされていて、シテとしても力の入るところです。子方の時子供心に、この場面のシテは格好いいな、自分も将来やってみたいなと感じて見ていました。そして気持ちが熱くなってきたところで、いざ仇討ちの場面になります。観世銕之亟先生は『望月』は目が大事といっておられると聞きました。仇討ちに向かうワキを見据える目、特別な動きとしてではなく自然と身体の内側から出てくる動きとして利いてこないといけないのです。子供にはしっかりと場面設定を言い聞かせ舞台を理解させておき、本人が楽しんで舞うようになった時、それは自然と生まれてくるものなのです。
 
子方ができる時間は限られています。息子も、三,四年すれば子方卒業です。そういう子供との一番は大変貴重で、まさに一期一会。子供にも能の舞台に立って熱く感じるものがあるのですから、一曲一曲ステップアップしていけるように配慮していきたいと考えています。
 最後に『望月』のもう一つの醍醐味、それはクセ(子方とツレが曾我兄弟の仇討ちの物語を謡うところ)の部分です。この地謡は前半のクライマックスで粟谷の独特な謡い方があります。謡本の下音(げおん)としるされている箇所を低く謡わず、一段高い調子で謡いあげるところに口伝があります。今これを上手に謡いこなすのは父粟谷菊生が一番です。自分が『望月』を勤めるときは絶対父に謡ってもらう、これが私の願いでした。今回菊生、能夫が地謡で朗々と謡い上げてくれて、息子と力を併せて『望月』の舞台を勤めたことは、私の良い思い出となりました。伯父新太郎への追善として、良い舞台を手向ける事ができたと思っています。

写真 東條 睦氏 
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