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『鬼界島』(他流は『俊寛』)を勤めると思い出すのが、強烈に印象に残っている先代中村吉右衛門(初代)さんの歌舞伎『俊寛』のラストシーン。共に流された成経、康頼は都に帰り俊寛一人が取り残される。クライマックスの最後は岩場を伝って岸壁を這い登り松の枝に手をかけ舟を見る。すると枝は折れて、からだは平衡感覚を失ってしまう。ここを猿之助(二代猿之助=猿翁)ならパッとこけて、ドングリ眼をむいて見栄を切るところだが、吉右衛門は違った。自分のからだがどうなろうと構うことはなくじっと舟を見ている。視線を舟から離すことがなかった。これだ。自分の乗れなかった舟を追うことで、残されたものの悲壮感が出ると僕は思った。歌舞伎はどちらかというと大袈裟な芝居になり、能とは違う表現方法をとるとかねがね思っていたが、あのときの吉右衛門の演技は、能に応用がきく気骨のあるものだった。吉右衛門は背中と足の裏で俊寛を表現している、あーすごい役者だと、彼の演技が頭を離れなかった。
僕の俊寛も、舟が去っていくまで、左手は舟を指し、視線は舟から離さないやり方をしている。舟の動きを追いながらかすかに面を動かし、心のひだを表現するのだ。
僕が大坂城薪能で『鬼界島』を勤めたとき、堂本正樹氏が「菊生さんの差し出した手の先に大きな海が見えた」と言ってくれた。役者にとって嬉しい言葉だ。
舟に乗って行こうとする二人の袂に取りついて、「せめては向かひの地までなりとも、情けに乗せて賜び給へ」と俊寛が言うところは僕の大好きな謡い所の一つ。そのとき、「情も知らぬ舟人が櫓櫂を持って」打擲しようとするので、またうろたえて右往左往する。この哀れな場面をことさら哀れっぽく謡うのではなく、間(ま)と節のちょっとしたなびきの具合で表現する、ここが何ともいえぬ面白さなのだ。
僕が使う面は喜多流にある「俊寛」という専用面だが、鼻が高く、彫りが深くて、アラブの人のような不思議な雰囲気がある面だ。舞台では花帽子で包んでいるから不思議さが伝わらないかもしれないが、とにかく他の俊寛の面とは違う趣があって僕は気に入っている。
『鬼界島』はもともと喜多流にはなかった曲。喜多流の明治本には見当たらず、型付などの伝書もない。六平太先生、実先生、後藤得三先生、親父もやっているが、それぞれに型をつくって演じたのだと思う。もともと型付けがないから自由に創作することができる。僕は中村吉右衛門の舞台に刺激され、自分なりに自由に演じてきた。それが幸い評判よく、『鬼界島』は菊生さんの当たり芸だと言われる。僕自身も好きな曲で、よく舞台にも出すようになった。
僕が父益二郎の『羽衣』が美しいと思い、その型を継承しようとしたように、僕の『鬼界島』によさを感じて真似ようとする人があれば、その型は伝承されていくのだろう。能は古いものを継承するだけでなく、いつの時代も創造と継承が織り込まれているように思われる。
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