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今年、平成十三年四月八日に明生の主催する明生会で孫の尚生が初シテとして『猩々』を勤めました。私の初シテの時に父、益二郎が作ってくれた装束を、その後みんなが着て今、また孫の尚生が着ている…まことに感慨深いものがあります。
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今年、平成十三年四月八日に明生の主催する明生会で孫の尚生が初シテとして『猩々』を勤めました。私の初シテの時に父、益二郎が作ってくれた装束を、その後みんなが着て今、また孫の尚生が着ている…まことに感慨深いものがあります。中学生の頃、益二郎の弟子となり、今は私の社中である長田美枝子さんは、私の初シテ、長男明生の初シテ、そして更に孫尚生の初シテと三人の初シテの『猩々』をご覧くださっている…、三代の初シテをご覧頂けるというのは、余り無いことでしょう。「御長命なればこそ」で有難いことです。当日、楽屋に私と明生と、今はこの道から離れてしまった次男知生の三人の初シテ『猩々』の写真を飾ったところ「まあ、こんなにお可愛らしい時があったのね」と私の写真に掌を合わせた方がいらっしゃって、何ともくすぐったい思いをしました。
橋掛かりを頭を揺らさずに下り端(さがりは)で出てくる尚生の腰の入った運びを見て、此の子の将来にひそかに安堵を感じた「孫可愛いや」のジージ(爺)ですが、爆発的に謡い舞っている尚生の姿に、私も地頭として全精力で応えてやれたのが何よりの喜びです。日頃、孫に「おじいちゃま」と呼ばせず、「キクオチャマ」と呼ばせている私が、この日ばかりは、孫の初シテで地頭を謡えた幸せに浸り、大いに爺馬鹿ぶりを発揮してしまいました。
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