粟谷能の会
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能楽座パンプレットより

−今回は「景清」を舞われますが 
粟谷 「景清」は非常に好きな曲です。先代の六平太先生の当たり芸だったし、特に先生の晩年は、「景清」を舞われることが多かったんですね。ですから私は若いころに型を全部覚えちゃってました。この曲の一番大事なところは、「松門ひとりで閉じて・・・」の謡だと思うんだけれど、その「松門」の謡を、喜多流は強くぼそぼそっと謡うんですよ。装束も他流は着流しで、面も優しい表情のものだけれど、喜多流は大口をはいて強い面をつけて、景清の心境を謡います。ヨワ吟があったりツヨ吟があったりしますが、竹を切って割ったように、ぼつぼつ切って謡えと教えられました。私が四十歳ぐらいで初めて舞った頃は、声がありすぎて非常に苦労するわけ。ところが最近は、今年七十四歳なんだけど、五、六年前からは、そんなことを一切考えないで、そのままの自然体でやっていれば、「景清」が舞えるような気がして、今は苦しみというより楽しみながら勤めさせていただいてます。


−喜多流の謡は狂言の平家節に繋がるような、強くばっと切って謡うというか、他の流儀にはないやり方ですね。
粟谷 そう、六平太先生はぼそぼそっと謡われた。それからうちの親父(故粟谷益二郎)の「松門・・・」の謡もとてもいいと思っているのね。若い頃には、「尾張の国熱田にて遊女相馴れ一人の子を持つ・・・」というところなんかは、ちょっと色っぽく謡おうとして節をつけて謡ったりしたけれど、最近は淡々と謡えるようになってきました。

−「女子なれば何の用に立つべきと思ひ、鎌倉亀が江が谷の長に預け置きしが・・・」というところに、武士の身勝手さとか、断固たる強い生き方が、ばんと出てくるように思うんですけど、以前、壽夫(故)さんの「景清」には、どこか公達のロマンの雰囲気を感じました。喜多流のは非常に男っぽく、女子だから何の役にも立たない、しょうがないから置いて来た、その子が遠く日向まで逢いに来てくれた、その娘に本当は縋りたいのだけれど敢えて帰してしまう、というところが、見事に浮き彫りにされる作品だと思います。 

粟谷 最後にツレ(娘)が立ち去って行くところで、シテとツレはすれ違うんだけど、そこで「匂いを嗅げ」って言われて稽古しました。六平太先生が百歳ちかくまで長生きされたお陰で、お稽古に間に合ったわけで、本当によかったと思っています。そのほか友枝為城さん、敏樹さんがなさった「景清」は、六平太先生とはまるで違うんだが、これがまたじつにいい「景清」なんだ。「さてまた浦は荒磯に寄する波も聞こゆるは・・・」というときに立ち上がらないで、ちょっと面を傾けるだけですよ。そんな型をいっぺんやってみたいと思うけれど、よっぽど力のある者でないとできませんね。

−ワキと囃方との関係ではいかがですか 
粟谷 作り物の中にじっとしていて、「里人の渡り候か」というところからワキの問答を聞くのが好きなんですよ。道行のところもね。私は余りにも六平太先生のが強烈で、どうしてもそこからとびだせないけれど、近年になって、生意気だけれど、こうした方がいいんじゃないか、ああしたほうがいいんじゃないかなっていうのをつけ加えてやっています。

−子供のころからずっと舞台をみてきて、自然に覚えたものをしっかり見につけ、その上でご自分の思いや工夫を加えていくというのは、凄いことだと思います。
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