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元旦は各流とも、その流儀の舞台に集まって「謡初め」という行事がありますが、近年までは正月二日に上野の東照宮にて三流合同の謡初めの行事がありました。毎年必ず勤める観世流と喜多流に、一年おきに交替で宝生流と金春流が加わり、三流でこれを勤める慣わしとなっておりました。


正月二日は稀に暖かい日もありますが、概して寒く、夜半からの寒気で冷え切った朝の参道の玉砂利の冷たさをそのまま、下から吹き上げてくる風は拝殿に素砲上下の紛出(いでたち)で列び坐す我々の襟元を刺し、手はかじかんでしまいます。私が子供の頃、先々代観世左近さんが神官の「謡いませ−!!」とのひと声に、間髪を入れず『高砂』の「四海波」を神殿に向かって平伏したまま朗々と謡い続けていらしたのが印象に残っております。続いて『老松』、それから宝生流か金春流の『東北』、最後に喜多流が『高砂』を、それぞれ舞囃子で舞います。そして神官が白い寿服(じゅふく)を観世さんから順に、膝まづいている太夫たちの素砲の肩に掛けてゆき、太夫たちは、それを着けて『弓矢立合』の曲を三流合同の地謡で、三流が同時に舞囃子で舞い納めるという珍しいものでした。三流で同時に謡うのですから一応は簡単に申合せはするものの、流儀によって文句や発音が違うので、ここは一番大声を発する者の勝ちと、喜多流は馬鹿声を張り上げたものでした。吹きさらしの拝殿は、まことに寒いので、体の中から温めておくようにとの思し召しか、始まる前に御神酒を頂戴します。故亀井俊雄さんが、この御神酒を土器(かわらけ)で何杯もお代りしていらしたのを子供心に妙に憶えています。
戦争が始まり途絶えていたこの行事を復興させたのは観世流の関根祥六さんですが、お弟子さんの地元の世話人の方が亡くなられてからは残念ながら行われなくなりました。
身も心も引き締まる冷たい新春の、清々しい空気の中で勤める上野東照宮での謡初め−
これは今となっては、懐かしい思い出の新年行事となりました。それはともかく、
新世紀も粟谷能の会をご支援、お引き立てのほど宜しくお願い申し上げます。

弓矢立合 写真右より 観世左近 宝生英雄 喜多実 
撮影 あびこ喜久三
亀井俊雄氏 写真  撮影 吉越立雄

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