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土門拳(どもん・けん)は山形県の日本海に面した酒田出身の写真家である。現在酒田市には土門拳記念館があり、彼の生前の作品がここに集められ、展示内容は年に4回模様替えしながらも常時見ることができる。私は何度かここを訪れているが、まず作品数の豊富な事に驚き、そしてそれらの作品が何度見ても飽きないので虜になってしまった。写真が生きているとはやや大袈裟だが、写真が口を開いて何かを言っているように思える瞬間がある。まさにクラシックというにふさわしい。
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記念館は庄内空港から車で20分位のところにあり、お洒落で立派な建物が目をひく。前には大きな池が広がり、天気が良ければ目の前に鳥海山が見えて心安らぐ場所で、私のお気に入りの場所の一つになっている。
今回の主要展示「古寺巡礼」は6月12日までは「斑鳩から奈良」の特集である。先頃、私は法隆寺をはじめ斑鳩や飛鳥を訪れてきたため、先日は特別な興味をもって出かけた。

法隆寺や明日香、現地で実物をこの目で確認してきて、また土門の写真を見ると、それらが単なる記録・記念写真ではないことがはっきり判る。撮影者の意図が作品全体に充満していて、見落としたところを「おいおいどこを見てきたんだよ!ここを見てこなくては駄目じゃないか!」と指摘するかのように教えてくれるからすごい。

「実物がそこにあるから、実物を何度も見ているから写真はいらないと言われる写真では情けない。実物がそこにあっても実物を何度見ても実物以上に実物であり何度見た以上に見せてくれる写真が本当の写真というもの、写真は肉眼を越える。」私の好きな土門の言葉だ。
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彼の作品は視点の特異性と撮影者の強い主張があるから何度見ても飽きないのだろう。自分に置き換えると、「一回見たからもういいよ!」などと言われないような演能を心がけなければと、土門拳の写真を見ると反省する。
 
例えば、土門拳の奈良の円成寺の遠景写真、一見すると絵はがきや拝観時に配布される栞に写っているごく普通の寺の写真だ。アングルもカメラを持った者なら誰でも撮影しようと試みるところだ。しかし同じ構図、アングルなのに土門の作品があきらかに違うのはなぜか。
きっと何人ものプロのカメラマンも撮影し続けているだろうが、あの作品を越えることは出来ないと私は勝手贔屓に思っている。寺の門と池の美しさ、あの写真を見ていると池の底へ、寺院の内陣へと吸い込まれるように感じる。写真に吸引力があるのだ。とどのつまり撮影者の審美眼にほかならないのではないだろうか。

仏像の写真がまた面白い。このように見えるのか!と驚かされてしまう。
通常、お寺では堂内撮影禁止だが、飛鳥寺は特異で、日本最古の真っ黒な大仏は不思議と撮影可である。私はここぞとばかりシャッターを押しまくってきたが、結果はつまらない写真ばかりでしょげる。土門はどのように撮影していたのかと、帰宅し写真集を拡げると、「あっそうだ!目のクローズアップか!」。でも時既に遅しだ。土門の作品は見逃していた一面を鋭い視点で紹介してくれる。実物を見る前に写真を見て予習していけばよいのだ、そうすれば実物と写真の面白さが判るだろうと思うのだが、いざ出かける時にいつも失念してしまう。いや、先に見ていては、自らの新鮮な驚きが失せてしまうかもしれない。

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(飛鳥寺、釈迦如来像面相詳細、土門拳撮影、小学文庫古寺を訪ねてより)

土門拳の名前をはじめて耳にしたのはもう20数年前、母方の祖母(村山静恵、98歳)の口からだ。この祖母は現在も元気でいる。なにしろ、女性の丙午(ひのえ、うま)なので強いらしい。
まだ土門が無名のころ、外へ出ては良い被写体を狙っていた時分に、たまたま撮影されたのが、祖母の息子、酒田に住む叔父の村山英太郎で、七五三の写真だった。土門は撮影すると「失礼ですが、今写真を撮らせて頂きました。焼いたら差し上げますので、ご連絡先をお教え願えないか」と挨拶したと言う。そしてその写真は確かに後日送られてきて今も大事に保管してあるという。当時私はその写真を見ることが出来なかったが、「何故土門と判るのか?」と聞くと「だって、裏にサインがあるんだよ!英語でDomonとね」と言われた。最近酒田の叔父の稽古場にこの写真が掛けてある。なんでも記念館から土門の作品ならば是非一度見せてもらいたいとの打診があり、一時預けたそうで、それが戻ってきたのを機会に飾ることにしたらしい。
写真は夕陽の光を浴びた靖国神社の門がもう閉まる寸前に老紳士に連れられサーベルを履いた少年がお辞儀をしているものだ。その写真を見ながら、またあのときの祖母の言葉を思い出した。「さっき言った挨拶の前にこんなことも言っていたわ。朝からずーっとここにいるが、まだ一枚も撮っていない、もう帰ろうと諦めていたが、思わずシャッターを切ってしまった」。

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(村山英太郎氏の七五三、土門 拳 撮影 粟谷明生)


最近、私もカメラ撮影に興味が湧いてきた。写真探訪などで撮影することが多くなったせいもあって、意気込んで撮影するのだが、つまらない写真ばかりが目立つ。習うことも必要かなと思い、またカメラのせいにしてもっと上等のデジカメ一眼レフが必要かなとも思ったりするが、また彼の言葉が私を刺激する。
色と形を出すだけが写真を「撮る」ことではない。目で確かめ、心に刻んではじめて「撮った」といえる、と。これも能の世界と共通しているよい言葉だと思う。

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