粟谷能の会
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高知粟谷会の宴席のあとの二次会は高知市帯屋町のアネックスビル7階の「クラブ・ロイヤルサルート」がお決まりのコース。この美女たちのいる栖に行くには、まず8階のカウンターバー「赤い靴」に上がり、そこから階段を降りる仕組みとなっている。この8階の「赤い靴」からは、驚くことに高知城をサーチライトで照らすことができるのだ。私もそのスイッチに何度か触れ、お城を照らしたり消したりと楽しんだ一人だ。こんな大胆なことしていいのだろうか?と思うが、市長さんもやられていて、今も照らし続けているので法的には問題ないのだろう。

18年前に開店したこの店「赤い靴」のママさん、田中滋子さんはデビィ夫人と親交があり、御歳は判らないが、いっこうにその美貌が衰えないのが摩訶不思議だ。
その大先輩のママさんから「私と高知城」というエッセイ集を作るので寄稿してと依頼されたのがちょうど一年前。今回お店に伺うと「出来たわよ!」と小冊子を手渡された。
「あっ、もう一年が経ったか!」とこんなことでも月日の早さを感じてしまう。過ぎ去った時間をどうのこうのと言うのは、歳をとった証拠!と言われれば反発したくなるものの、どこかで仕方がないなあ、当然と諦めてしまう今日この頃なのである。さて文章を読み返してみると、そこには歳をとらない、拙い文章があり、読むと恥ずかしくなったが、これも生きてた証と、妙な自己満足に浸っている。
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余談だが、能楽師という仕事は、よく打ち上げ花火に例えられ、特に舞台は一瞬綺麗に耀きはするが、そこに造形されたものは跡形も残さずに消えていく、そこがよいのだ、と言われるが、空しさを感じることもある。粟谷能の会機関誌「阿吽」を発行する時に、能楽プロデューサー・笠井賢一氏に書くことを勧められた。最初は「面倒だ、能楽師は身体で表現しているだけで充分」と首を横にふったが、「一流の能楽師とはよい舞台を勤めることは当然、それに加えて文章でも表現できることだよ。寿夫さんはちゃんと書かれている。寿夫さんのようにとはいわないさあ、あなたなりにね……」この言葉が、それからの私のライフスタイルを変えてしまうほどのものだったことは確かで、大事な瞬間だったと今も思っている。

話しを戻そう。その寄稿させてもらった文章は能とは関係が薄いかもしれないが、切戸口ということで、ここで記載させていただきたいと思う。

私と高知城
                      喜多流能楽師  粟谷明生

私がはじめて高知を訪れたのは子方(能の子役のこと)出演のためで8歳の時でした。
かわいい子には旅をさせろが両親の考えだったのか、能関連の衣類と下着だけを入れたリュックサックを背負わされ「高知空港に着いたら…さんが迎えにくるから一人で行けるね」の一言で、私は飛行機に乗せられました。心細くも飛行機の窓から見える綺麗な雲海の景色に目を奪われ、世話をしてくれる綺麗なスチュワーデスのお姉さまも横目でチラリと見ながら高知へ向かったのです。これが私の飛行機の初搭乗、その行く先が高知でした。この時のことはかなり特別な状況だっただけに、今でも忘れられない思い出として脳裏に焼き付いています。
 
 二度目に高知に行ったのは13歳の時で、これは能とは関係なくプライベートな旅行でした。ちょうど夏休みで学校の社会科のレポートの宿題があり、私は「私の土佐日記」と題して竜河洞、足摺岬、高知城と廻った旅日記のようなレポートを書きました。母が汗をかきながら必死になって高知城の築城の経緯や特徴などを筆記してくれ、私はただカメラのシャッターを押すだけというていたらく、誰のための宿題やらと今は自己反省しています。学校に提出後、優秀と採点されましたが、優秀なのは母だということをもしかすると先生は判っていらしたのかもしれません。
この時、山門と天守閣を背景に記念撮影し、城の内部に初めて入りました。天守閣まで階段を息も切らずにさっさと上って見た市内の眺望の良さ。日本に数ある城の中でも山門と天守閣が同時に撮影出来るのは高知城だけと聞いています。江戸時代に入城された山内家が喜多流愛好家であったことが喜多流のこの地での繁栄をもたらし、私がこの地を訪ねられる要因でもあるのです。
 4年前、私は10歳の息子を連れて能公演のために高知に伺いました。日頃接することが少ない息子との時間が持てたことが嬉しく、息子と高知城を拝観し、昔、自分が撮られたところで同じように記念撮影をしました。城に上る時息切れを感じ、よくこんな階段が上がれたものだと、今の自分の状態に情けない気分になりました。確実に時は流れ、その早さを痛いほどに感じました。高知城は私と母、そして息子とをまるで見えない糸で繋ぐように思い出を引き出してくれる、そんな演出をしてくれる貴重な場所なのです。
 3年前、高知城薪能があり、お城の下で喜多流の能『羽衣』がありました。いつの日か私がこの思い出の場所「高知城」で能を勤める機会があればよいなと夢は膨らんでいます。         (平成16年5月記)



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