粟谷能の会
粟谷能の会  »  メイキングNHKテレビ 「芸能花舞台」 その1 Welcome to 粟谷能の会. [Login] [Register]

トップ  >  その他読み物  >  メイキングNHKテレビ 「芸能花舞台」 その1
メイキングNHKテレビ 「芸能花舞台」 伝統の至芸 粟谷菊生 
***その舞台裏話 ゲスト 山崎有一郎と粟谷明生が語る***

○前置き
この度、NHKの芸能花舞台・伝統の至芸で、没後三年となった粟谷菊生を取り上げていただきました。放映は平成21年10月22日(再放送:同10月25日)。
菊生の舞台映像とともに、葛西聖司アナウンサーのご案内で横浜能楽堂館長の山崎有一郎氏と私、粟谷明生が、菊生の芸風や思い出を語る内容です。
この制作に当たり、NHKのディレクター安里恭幸氏と数回の打ち合わせ、山崎氏とはご自宅にお邪魔してお話を聞かせて頂きました。いろいろな昔話や楽屋裏話が飛び出しましたが、残念ながら時間の都合で放映されたのはそのごく一部です。
そこで打ち合わせ中に出た面白い話、貴重な話をここに再現し、舞台裏をご覧いただきたいと思います。これを読まれて再度、ビデオなどで放送をご覧いただくと、面白さも倍増するのでは、と思います。

写真 録画当日 右より 葛西聖司 山崎有一郎 粟谷明生

○二人の師

―粟谷菊生さんは二人の師匠・名人十四世宗家喜多六平太先生と十五世宗家喜多実先生に習らわれましたね。お二人の芸風の違いはどんなものだったのですか。
菊生さんがお二人に習って苦労した話を、ご自身が語っているインタビュー映像を紹介したいので、よろしくお願い申し上げます。



山崎 喜多六平太先生の芸風は、ほわっとした情の人だね。実さんはカチッとした古武士的な強さを持って、知の人ですよ。古武士的なキリッとした感じというのは、僕は喜多流の流是でもあると思うよ。
 六平太という人はものをあまり考えない人なんですね。考えないで体で舞っている人。考えなくて出来る人、ということね。だから観る方が勝手に解釈して可愛いとか、面白いとか思うんだ。あの人はそれを意図してはやっていないと思う。それでも観る方は何となく暖かいものを感じたりする。名人芸の域にいかないと、こういう風にはなかなかできないですよ。




写真 
第一回能楽渡欧団、ローマ駅にて 喜多実先生と粟谷菊生(左)

 

実さんはそれに対してとても理知的、だからとてもわかりやすくて学生に人気があった。ふわっとした芸なんていうのは、僕らみたいに長く観ていればそういうものか、と思うけれど、若い学生が初めて観たら何のことかわからない、仕方ないでしょう。
そこへいくと実さんが、例えば『海人』で「さすが恩愛の故郷の方ぞ恋しき、あの波のあなたにぞ我が子やあるらん…」と、さっとサシの型をして右手で遠くを指す型をすると、そこに人がいるように見える、そうと分かる、そういう納得させるような型をするんですよ。それが当時の若者に非常に受けたのね。だから、実さんには学生のファンがとても多かった。他の能は何やっているか分からないけれど、実さんのはよく分かるってことでね。
観て分からないものにはファンはついて来ないからね。キリッとしまる古武士的なところも学生や若い人には非常に魅力的でね。実さんにはそういう意味で、若い愛好家を増やしたという功績があったのね。『羽衣』だとあの問答のところ、偽りは人間社会にあるというところね。

明生 まず先に天人(シテ)の舞楽を見せてもらわないと羽衣は返せない、という白龍(ワキ)に対して、天女が「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」というところですね。

山崎 ああいう理屈っぽいところになってくると、実さんの芸はキーッと光ってくるんだよ。六平太先生はここをほわほわとやってしまうけれど、実さんはどうしても羽衣を返さなければならないようなものをちゃんと作ってくるからね。こういうところがとても分かりやすくて、理屈っぽい学生には受けたの。実先生の芸というのは合理的だったと思う。そういうと実先生は嫌かもしれないけれど、結果的にそうなっていたと思う。
 それで一つ話があるんですがね。実先生に学生がいっぱいついてくるのを見て、実先生より少し若かった先代梅若六郎氏が、どうして実さんは受けるのだろうか、自分もああいう風にしたいと、僕に話をしたことがあるんだよ。でも梅若六郎という人は、そのような資質の持ち主ではないからね…、実さんのようにはなれないんだよ。



写真 喜多実先生と粟谷菊生(左)残雪の東京にて

―六平太先生の『羽衣』はかわいいと言われますが、実先生のはどうでしたか?
 また菊生先生のはどうでしょうか?

山崎 かわいいというのは六平太先生だよね。先生は身体がとても小さいから水衣や長絹を引きずってしまうんだ。それが何ともかわいらしいんだね。普通ならみっともないということなんだろうけれどね。もっと上にあげてやればいいのに、と当時は思ったもんですよ。



写真 『羽衣』シテ 十四世喜多六平太 大鼓 川崎九淵

明生 どうしてご自身や周りの方が装束に直しを入れなかったのでしょうかね?
父の話や、当時の写真からでも判りますが、長絹も長いままで、調整も敢えてしなかったようで、またそれでいい、という気風だったのかもしれませんね。父たちは、長絹とは引きずるものだ、それが素晴らしいと思っていた、と語っていましたからね。

山崎 僕も最初は、水衣や長絹は引きずるものだと思っていたね。だから、僕は何かに書いたことがあるのだけれど、短く着ている人のことを、あの人はつんつるてんだ、なんてね。
そうしたら、それは逆だったんだね。でも六平太先生の装束を引きずった姿をおかしいと思ったことは一ぺんもないものね。それが、何となくかわいいいんだよ。
 実先生のはね、かわいいというところはあまりないよ。全部が理に走っているから、きっちりしていて、納得はするけれど、かわいいという感じはしない。美しいというのはあるけれどね。
 菊生さんの『羽衣』はかわいいところがあるんだな。六平太風なんだよ。体は大きい割にとにかくかわいいんだ、菊生さんという人は。彼は六平太に心酔していたからね。

―具体的にどんなところが六平太風とか言えますか。

山崎 それはちょっと難しいけれどね。例えば、さっきの場面、ワキから衣を返してもらうところなんかね、六平太先生はかなり無造作でしたよ。菊生さんは割に慎重に受け取るね。そこはちょっと違うけれど、全体の雰囲気だね。
 菊生さんだって、演じるうえでは実さんに聞いた話や稽古を受けたことが、ずいぶん参考になっていると思うけれど、芯に何があるかというと、やっぱり六平太風だったと思うね。

明生 父は自分で言っていますけれど、小学校から大学までの勉強を実先生から教わって、大学院の内容を六平太先生から教えてもらった、と。だから、そういう芸風になるのでしょうね。

山崎 彼はね、とにかく六平太に心酔していたことは事実だよ。僕らがよく聞いたのは、昔、菊生さんが六平太先生のお共で釣りに行った話ね。六平太先生は菊坊、菊坊とかわいがって、よく釣りのお共に連れて行ったのね。葉巻をくわえ釣りをしながら、いろいろな話をしたんだね。それが六平太さんの芸談なんだよ。菊生さんはあんなこと聞いた、こんなこと聞いたと、僕らが学生の頃いろいろ教えてくれましたよ。その話が菊生さんの血となり肉となったと思うね。


写真 左 粟谷菊生と十四世喜多六平太

―それで言うと先ほどの、「疑いは人間にあり」の場面のところなどは・・・。

明生 「疑いは人間あり、天に偽り無きものを」の場面で、「天に偽り無きものを」と言うとき、相手(ワキ・白龍)の方をゆっくり向きながらやさしく諭すように謡うと「偽りはないわよ」という風に見えるけれども、正面向いて謡うと「天に偽りはないのよ、そんなことも知らないの!」と、少し冷たい感じになります。二通りどちらでもいいのですが、僕はやさしく見るほうが好き、と父はいつも言っていました。型付にはどっちを向かなければいけない、というようなことは書かれていない訳でして…。どちらをやっても、先生にそれはいかんと怒られることはありません。そこは自由ですね。

山崎 その辺の話は放送にいいんじゃない? とてもいいと思うよ。



○菊生さんはサービス精神が旺盛だった

山崎 菊生さんは、能をかなり演劇的に解釈する人なんだよ。感情を入れようとするんだね。だけどやたらに感情を入れても能にならないから、ちょっと型を作るんだよ。おそらく型付にはないものだと思うよ。自分で感情を入れるから型ができちゃうんだ。だから、他の人よりあの人、型が多いと思うよ。自分でいろいろなことを考えて、ちょっと向いてみようとか、手を出してみようとか、そんな型付にはないことをやっている人なんだよ。明生さん、そんなことを本人言っていない?

明生 そういうところはあるかもしれませんね(笑)。

山崎 あるよね。確かにあるんだよ。そこらが面白い。あの人の魅力なんだよ。

明生 父に「『卒都婆小町』の橋掛りの柱に手を添える型、あれはどうして?」と聞くと、「駅の階段を上がったお婆さんがそうしていたからね。参考にしていただいちゃったよ」なんて言っていました。

山崎 へえ、そう。それで、ちょっとやり過ぎるときもあるんだよね。菊生さんの舞台がすんで、僕が菊ちゃんに近づいていくと、何か言おうとしているな〜とすぐにわかるんだろうね。こちらが言う前に、「ちょっとやり過ぎまして…」なんて言うもんだから、僕らはもう何も言えなくなる。
 そういう意味では菊生さんという人は本当に舞台を楽しんでいる人。舞台そのものが楽しい。自分が楽しむことによって、観るお客さんも楽しんでくれる、そういう考え方の旺盛な人だったよね。能楽師みんながそうだったら、能というものを本当に楽しくやっていたら、もっとお客さんも増えると思うんだよ…。その点でも、菊生さんというのは典型的な能役者だと思うよ。もったいないね、ああいう人がいないというのは・・・。
 舞台に立つ人はみんなそうでなくてはいけないと思うよ。ところが能役者は見せてやるみたいな偉そうなところがあるんだよ。そうじゃなくて、何もかも迎合的になることはないけれど、お金を出して観に来てくれるお客さんに、少なくともその時を楽しませる、サービス精神がないといけないと思うんだよ。何も媚びることはないけれど、みんなが楽しく面白い舞台にしなければ…。型通りにやって、はいそれでお終いだったら面白くないよね。型付はあるけれど、ちょっとした工夫で大変面白く映ることがあるわけですからね。そのことに努力しているか、していないか、というのでは違いがある。僕は、そういう意味では菊生さんというのは最大のサービス家だったと思うよ。自分のためじゃないよ。お客さんのために本当にサービスしていたと思うね。
 その点、お兄さんの新太郎さんという人は型通りきちんとやる人だったよ。それは粟谷家の長男だからね。粟谷家に伝わっていること、喜多流に伝わっていることを、ちゃんとやるということを非常に頑ななまでにやった人だと思う。粟谷の跡取りだからね。
 菊生さんは、俺は次男だから少々はずれていたっていい、面白く見えたほうがいいんだからという考え方、お客のためにやるんだという考え方があったと思うね。




○『羽衣』をちゃんとやれるか

―番組では2000年の『羽衣』の映像を観ていただきます。

明生 天女の頭の上に載せる冠を天冠(てんがん)といいますが、そこに瓔珞という垂れ下がった飾りがあります。「天女役を勤める能役者はこの瓔珞が出来るだけブラブラと揺れないように! それには腰を安定させ、運びをスムーズにすれば瓔珞は振れないんだよ」と、父はいつも言っていました。しかし残念ながら、晩年の映像では微妙に動いていますので、きっと父としては不満だろうと思います…。どうしても高齢になると、体力が衰えてきて揺れてしまうのは仕方がないことですが…、私もその内にそうなるのでしょうね…。
『羽衣』は能楽師だったらいつでも舞える身近なポピュラーな能ですが、父は「『羽衣』をちゃんと舞える能楽師がいま何人いるだろうか?」と言っていました。


写真 十四世喜多六平太先生と釣棹を見る粟谷菊生

 『羽衣』の舞台ははじめは三保の松原ですが、最後は天女がだんだん天、月の世界に舞い上がって帰っていきます。長絹は天女の翼だ、翼で浮遊して舞い上がっていくんだ…と。小書の「舞込」はその部分がより強調される演出です。長い橋掛りをうまく遣い、くるくると回転しながら上がっていく様子を見せます。
 最後、「愛鷹山(あしたかやま)や富士の高嶺・・・」と地謡が謡うときには、かなり天高くなっているわけです。六平太先生はそこで、「つま先立ちして伸び上がれ、天上から下界を見下ろす気持ちで…」と仰っていたといいます。
私が「愛鷹山や富士を見るんだね」と父に言いましたら「バカ、富士山を見るんじゃないよ。どんどん小さくなっていく白龍を見るんだよ」と言われたことがあります。羽衣伝説の天女と白龍、神と人間のつながりを描いているんですね。単に愛鷹山や富士山を見て、とやっているようじゃ〜だめ、つまらないだろ、こういう教えなんですね。
 ですから、この二の松での型、父も私はもうこれ以上前にかかったら倒れてしまう、というほど限界ぎりぎりまで前のめりになって下界を見下ろす気持ちで演っています。この辺が見る人の想像をかき立てるところではないでしょうか。ワキの宝生閑先生も月世界、天界を見上げる風情で最後のワキ留めをなさっていますし…。




○謡における色気

―謡10年、舞3年と言われるようですが。

明生 これは特に菊生の言葉というのではなく、よく言われることなんですよ。

山崎 謡は能の第一条件ですからね。

明生 謡の方が難しくてということです。

―菊生先生は謡でどのあたりにこだわられておられたのでしょうか? 色気ということについてお聞かせ願いたいのですが…。

明生 色気と一言で言われても難しいのですが・・・。確かに、父はよく「色気のある謡を謡え、色気のある型を…」と言っていましたね。お酒が進むと、色気がエロケに変わっていきまして…(笑)。いまの謡にはエロケがない!と始終こぼしていましたよ。
 先ほどの、謡10年、舞3年ということを補足すると、舞の方は3年もやれば形にはなるけれど、謡は3年では声は出るようになっても、相手役や周りを納得させる作品としての謡はできない、舞台の総てのお相手を納得させ、お客さまにもアピールできる本物の謡、それを習得するには最低10年はかかるということです。大きな声を出して、書かれた文字を読むだけではなく、詞章の表現を伝えるという、能役者の気持ちを込めていかに伝わる謡が謡えるかが大事でして…。
 父は、「女をくどけるような謡、やさしくも説得力ある謡を謡え」と、しきりに言っていました。「ぶっきらぼうにくどいても女は落ちない…」、と。
ですから「菊生の謡は色気があるね〜」とか、「かわいい女に化けちゃいますね」などと言われると、「そうだろう」とすごく喜んでいましたよ。



写真 鏡の間にて「羽衣」シテ粟谷菊生
プリンタ用画面
友達に伝える
前
能楽機関誌「DEN」2009年1〜3月号より記載
カテゴリートップ
その他読み物
次
メイキングNHKテレビ 「芸能花舞台」 その2