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メイキングNHKテレビ 「芸能花舞台」 その2


―明生さんの出版された「粟谷菊生・能語り」の中で、そんな謡を謡っているようじゃ女を口説けないぞと、よく注意されたというお話が出ていますね、これがいい話だなと思いまして…。



写真 読売新聞に掲載された「粟谷菊生・能語り」著 粟谷明生

明生 え! 今のこと…放送で言うの?

―それぐらいだったら。お人柄も出ますし。よいと思いますが…

明生 いやだな〜。

山崎 でも菊生さんという人はそういうことをよく言った人なんだよ。

明生 軽妙洒脱というか。

山崎 そういう話はたくさん聞いているねえ。

○浮きの謡い方

―謡い方でいえば、たとえば、『羽衣』の最後、「かすかになりて、天つ御空の・・・」の謡い方を実先生が変えられたとか。

明生 昔の喜多流は浮き(謡の途中で音を浮かし少し高くすること)が早かったんですよ。
例えば『羽衣』の最後の場面「かすかになりて」を今は「なりい〜」と一回のウキ(浮く音)、昔は「な〜あり〜い〜」と「なあ」と「りい」を浮かしています。上がるところをできるだけ少なくしようとなさったのが実先生のお考え。昔はウキが二字前とか三字前から上げるものですから、音が上がってつってしまう傾向になります。謡い手は高い音まで上げなければいけないから当然苦しいわけです。でもその苦しさが聞いている人にはいいんだよ、と父は言うんですね。祖父の益二郎とか十四世六平太先生の時代はみんなそういう風にウキを早くしてやっていたのです。



写真 粟谷菊生

山崎 それを実先生が謡いやすくしたということでしょうね。

明生 そうですね。謡いやすいですよ。

山崎 シンプルにしているんですよ。昔の謡い方のほうが言ってみれば芸術的なんだよ。だけど、そんな謡い方ばかりでは普及しないから、なるべく謡いやすい簡単に謡える謡にするというのが実さん。こういう考え方は実さんの偉いところだね。だから実さんの時代に喜多流の流儀の人がだいぶ増えたんですよ。これは大事なことだと思うよ。

明生 そうですね、芸術性から普及に、それが実先生のやり方なのですね。

―そうすると、謡いやすくはなったけれど、ちょっとシンプルになり過ぎたというのがあるのでしょうか。

山崎 菊生さんの言葉で言うと、花(華)がなくなったということね。

明生 そうなのでしょうね。山崎先生のおっしゃるように、シンプルにさせるのは普及させるためだったのかもしれませんね。
特に大ノリ(謡い方のひとつ)は実先生のやり方ならば、わりと簡単に謡えるんですよ。普及するためにはいい手法なのかもしれませんね。

山崎 実先生の時代に流儀の人が増えた、これは大きいことなんですよ。謡本も新しくしたしね。そういう意味では実先生は中興の祖ですよ。それは実先生の功績だと思いますね。



写真 右 粟谷益二郎と菊生

明生 謡本を読み易い字体に変えたのは十四世喜多六平太先生です。実先生は昭和の改訂版に更に手を入れられましたが…。実は菊生の意識の中には六平太先生や実先生だけではなく、父親の益二郎の影響が結構多いのです。「僕は、おやじの謡い方を継承している」と自慢していましたからね。祖父の謡いは、今の謡い方とはちょっと違います。今聞くとクラッシックな感じを受けます。
友枝昭世さん以降の能楽師は全員実先生に習っているので、当然実先生風に謡います。
しかしそうは言っても昔の方々と一緒に謡うことはある訳でして…。ですから父と一緒に謡う時は、当然早いウキで合わせて謡いますよ。

山崎 益二郎さんという人は本当に謡のうまい人だったからね。昔は謡がうまい人が一杯いたんだよ。福岡周斎とか伊藤千六とかね。昔は謡がうまいというのが第一条件だったからね。今は舞のほうがどうとか、見える姿をどうとか言うけれどね、昔は謡ができなければ能役者になれなかったわけですよ。



写真 福岡周斎

写真 伊藤千六(後に伊藤裕康に改名)

―菊生先生は益二郎さんと六平太先生のを聞いていたので、そちらがいいということに?

山崎 そこが難しいやねえ。菊生さんは実さんに教わって実演者としてやってきた人。それでも六平太先生に心酔していたからね。

―菊生先生は謡の人と言われたのですか。

明生 そうですね…。でもそれは還暦過ぎてからではないかと〜、その頃からピークを迎えたのではないでしょうかね。
能夫は「菊生叔父ちゃんの謡、そういうスタイルを完成させたね」と言っていますし…。

山崎 喜多流の謡というと、粟谷菊生型とか友枝喜久夫型とか言われてね、そういう連中が謡っているのが喜多流の謡になっていくんだね。そういう意味では菊生さんというのは喜多流でも大事な存在だったと思うよ。今はほとんどみなさん菊生さんの謡を謡っているんじゃない? なにしろ粟谷一門の人数が大いんだから。一番多くいたときは現役の能楽師が九人いたことがあったでしょ。ある時期なんか野球のチームができるぐらいだもの。喜多流の中でも粟谷勢力は相当なものだったよね。



写真 粟谷菊生

明生 はい、そうなれば嬉しいのですが、でも正直申しますと残念ながら菊生の謡を謡っているのは、ほんの少数なんですよ。
つまりそれほど難しい、ということなんでしょうかね。私は私なりに精一杯真似ているつもりなんですが、でも向こうにいる父から、そんなんじゃないよ、と聞こえてきそうでして…。

○地頭として活躍

―菊生さんはシテが舞えなくなってからもずっと地頭としてご活躍されましたよね。
地頭というのはお能の中では大切なものなのですか。

明生 それは大切ですよ。

山崎 今回の放送でこのことを強調しないといけないと思うよ。能の中では、シテと地頭が野球でいうバッテリーのようなものなんですよ。シテがピッチャーで舞い手、地頭がキャッチャーなんです。極端な言い方をすると、地頭がシテを舞わしていると言ってもいいんだ。だから本当の名人はみんな自分の地頭をもっていたよね。いいコンビみたいな人がいましたよ。粟谷益二郎が六平太の地頭というようにね。

明生 父の場合も友枝昭世さんの専属の地頭であったように思えますね。

山崎 それはどこでもそうなんです。名人上手にはね。たとえば金春流の櫻間弓川には本田秀雄とか、観世流なら観世左近には藤波順三郎とかね。近いところで言えば近藤乾三には高橋進とか、全部名人上手には名地頭がいたんですよ。

明生 うちの父は、「俺が舞うときにはどうするんだよ?」と愚痴ってましたよ(笑)。

山崎 そうね、菊生さんをうまく舞わせてあげられる地頭は難しいね。あなたも舞うときには一番舞いやすい地頭というのがあるでしょ。自分が主催する会なんかでは、自分の思うような地頭を選ぶべきだよ。これはもう、地頭を選ぶことによって能が違ってくるもの。ある場合は自分より上位の人になるかもしれない。でもそれはお互い肝胆相照らして、何でも意見が言えるような人でないとダメだよね。
 野球のバッテリーだから、たとえば、舞の緩急にしたって動きの緩急にしたって、全部地頭が握っているんだからね。どうにもならないよ、舞うほうは。

明生 父は友枝昭世さんの演能のほとんどに関わっていましたから、友枝さんも父には絶対の信頼を寄せていましたし。「もう菊生先生に丸投げしておけば、ちゃんと僕を舞わせてくれるから安心なんだ。囃子方も僕が細かく言わなくても、菊生先生について行ってくれるから、もうそれでいい」とも仰っていましたからね。

山崎 そういう意味では、菊生さんが亡くなって一番打撃を受けているのは友枝さんだよね。

―それで、今回は友枝さんがシテで、菊生さんが地頭の『井筒』を映像として見ていただこうと思っています。序之舞の後のところでいいでしょうか。

明生 よいと思いますよ。よく録画されていて、父の声が十分聞きとれれば、という条件でね。父の謡の特徴は、音の高さを上手に調整するので、続けて謡う役者や地謡もとっては音がとりやすいのです。こんなこと言っても判らないですかね?
シテからも、謡いやすい舞いやすいというお褒めの言葉はよく聞こえてきましたよ。
父の謡は声量があり音域が広いので、音をどんどん上げていっても平気なんですよ。
『井筒』の「寺井に住める…」の「寺井」の節扱いも、今は一度しか上げない謡い方ですが、父のは三回も上がってきます、これは父だけですが。
まあ、このように我々が習ったものと違う謡い方であっても、リーダーの地頭には全員揃えてついて行く、合わせる、それが地謡の鉄則ですから、みなさん合わせますよ(笑)。
父が父の謡いたいように引っ張って行く…。みんな必死に大きな声で高い音を出して、そこで生まれる、臨場感と興奮、そこをねらっているんですね。
これがまた不思議なんですけれど、上手な地頭だとまわりも上手になった気になる、そう聞えるようになる、錯覚かもしれないのですが(笑)。
ところで、これはいつの録画ですか。



写真 粟谷菊生

―1996年のものです。

明生 みんなで大きな声で謡っているのですが、マイクのポジションもよかったのでしょうね、父の声が私にはびんびん響いてきますよ。視聴者にお判りになるかな?

山崎 これは得がたいね。やっぱり僕は長年喜多流を聞いているけれど、菊ちゃんの謡いはいいよ。

明生 ありがたいお言葉です。

山崎 地頭がいいってことはね、菊生さんは自分で舞っているからいいんだね。自分が舞っていない人の地頭はよくないんだよ。菊生さんは地頭で謡いながら自分でも舞っているよね。だからシテは舞いやすいんだ。

―あ、そういうことですね。自分が舞いやすいように謡えばいいわけですね。

山崎 そうです。だから地頭というのがすごく大事になるの。他の流儀で名地頭と言われている人でも、いつも地頭ばかりやっているけれど、どこかちぐはぐさを感じることがあるんだよ。それはその人が立ち方をやっていないからなんだ。だから立ち方ができる地頭じゃないとダメ。今やっていなくとも、かつてはやっていたという人でないとダメなんだね。
 そういう点では、喜多流はほとんど地頭専門という人はいないね。みんな舞っているね。

明生 そうですね。喜多流ではほとんど地頭専門という人はいませんね。実先生がむしろ型を重視されましたから。全員舞えなければダメだという教育でしたから…。



写真 地頭 福岡周斎の地謡
右より 大島政允 福岡周斎 粟谷明生 谷大作 梅津忠弘 出雲康雅

山崎 僕らが子どもの時分にね、例えば謡のうまい福岡周斎という人がいたんだよ。だけどあの人は舞わないんだ。独吟はすばらしいけれど、地頭をやらすと、あいつの地頭では舞えないという人が出てきたんだ。なぜだろうなって、僕は当時学生だからよくわからなかったんだけどね。だんだん、ああそうかと分かってきた。実際に能を何番も舞っていなければダメなんだよね。
今の喜多流の地頭を見るとほとんど立ち方ができる人がやっているからいいと思うね。それはある時期から実さんがそういう風に仕向けていったんじゃない。だから今の喜多流はそういう意味ではいいんじゃないですか。

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