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『邯鄲』「置鼓・働」を「傘之出」と演じ分けて


年が明けて、まだお正月気分の残る1月6日、はじめての国立能楽堂からの出演依頼で、平成22年度の公演の一番手として、しかも大好きな『邯鄲』を勤めることが出来たことはたいへん名誉なことで光栄でした。新年早々、この重大な役目が控えていると、日頃の健康管理にも気をつけ、舞台人としては健全で恵まれた新年の幕開けとなりました。
『邯鄲』の初演は平成元年に妙花の会、次は平成二十年と間があきまして「傘之出」の小書にて再演し、今回は三度目となり「置鼓(おきつづみ)」と「働(ハタラキ)」の小書付となりました。

「置鼓」は狂言方の小書とシテ方の小書の2通りがありますが、今回は狂言方の小書でした。アイ(女主人・野村萬斎氏)が枕を担いで登場する際に小鼓の独調と笛の音取が囃されます。これは本来、『翁』付(つき=翁の後に行う曲目)の時の演出ですが、今回、特別に『翁』が無くても行われたのは国立能楽堂の意向のようです。

さて、その舞台効果はどうであったでしょうか?
年の初め、一番手の能役者の登場ということで、『翁』付のような形式ばった雰囲気にしたのはお正月ムードにお似合いだったかもしれません。しかしそれが果たして能『邯鄲』の作品を活かす演出であったかというと、そうではないように思えました。このように思ったのは私だけではなく、実は楽屋内の反応も同様で、当事者の野村萬斎氏も演出効果に関しては「仰々しいですね。アイが官人ならばともかく、『邯鄲』の場合は女主人であるので、少々やりにくいですよ」と楽屋で話されていました。
「置鼓」に関して伝書を調べると、シテ方にも音取置鼓で演じることがあることを知りました。我が家の伝書には「替装束」と記載され、翁付や脇能としての演出に限り置鼓で登場し…と、通常とは諸々変わることが記されていました。

内容の一部をご紹介します。
まず脇能にて致す事、とあり、白大口に舞衣、唐団扇右腰に差し左手大水晶、右手払子を持ち、狂言口開後、笛音取吹き、小鼓独調となり出る、「抑もー(そもそも)これは」と名乗り、打切、「浮き世の旅」と次第を謡い、地取、また「浮き世の旅」と三ベン返となり、打切、「住み慣れし」と道行。
以下通常のものと異なるところが多々あります。ここでは省略させて頂きますが、これがシテ方の置鼓(替装束)です。あまり演能意欲が湧くものではないようですが、一度観てみたい気はします。

今回のシテ方の小書は「働=ハタラキ」です。
「月人男の舞なれば、*、雲の羽袖を重ねつつ、喜びの歌を」の*のところにイロエ(立ち回り)が入ります。
イロエ(立ち回り)とは囃子だけの演奏でシテが動くことを言います。舞台中央で拍子を踏み角に出て、左廻りにて大小前にて拍子乗り込み、段を取り、右回り大小前にて謡う…と伝書には記載され、イロエの心持ちや型の意味などの説明はされていません。
これをどのように解釈し想像を膨らませるかは、演者の仕事で想像と工夫が必要になります。私はこのように能が能役者の自由な解釈で出来る、その許容範囲が広い仕事であるから、こんなに面白く遣り甲斐をもってできるのだと挑めています。


思いがけず王位に着いた廬生は50年の栄華を究め、さらに一千年の齢を望みます。
そこに人間の傲慢さが現れます。長寿を望み、絶大な権勢の保持と欲深さ、更に最高位を望み地上界だけではなく天空の月世界にまで昇り詰めようとする。そして月世界をも制しご満悦気分・・・、これをハタラキの抽象的な動きで表現出来れば…と思い勤めました。

今回、舞人(子方・内田貴成君)は舞い終えた後にすぐに消える演出にし、また同時に大臣達も地謡前に移動することを試演しました。通常は子方と大臣達は廬生の夢が醒める前に、あっという間に消えるように一挙に走り込みます。その良さは充分承知していますが・・・。その一方で、子方も大臣達(ワキツレ)もずっと脇正面側に座っているのでよく脇正面にお座りの方々から、大臣達が邪魔で見づらいとのご意見がありました。この対応として今回の試演が解決を見出したのでないかと思います。脇正面でご覧になられた方々のご意見をお聞かせ頂きたいと思います。

演能前に、ある観客の方から二年前の小書「傘之出」と普通の『邯鄲』とを見比べるのが楽しみです、と言われました。私は常々「傘之出」と通常の場合とをはっきり演じ分けるべきだと思っていました。「傘之出」は「望み叶えて帰りけり」と地謡が終わった後に女主人との問答があります。世の無常を悟った廬生の帰り際に、女主人が呼びかける「また、重ねて参り候へや〜」という言葉の余韻にいろいろと想像を巡らせる趣のある演出です。通常は「望み叶えて帰りけり」と祝言の心で謡い、何事も一睡の夢と世の無常を悟った喜びに満ちて終わらせなくてはいけません。
能楽師としてどちらがお好みか、と問われれば、私は即座に「傘之出」の演出を挙げます。「本当に悟れたのかな?」という余韻を残し、盧生の人間描写が深くなるように思えるからです。しかし、通常演出にもそのよさはあり、それを引き出す事も演者の努めだと思います。今回は特に祝言の心で終曲する、その意識を大事にしたいと思い演じました。



能は演者が初演の時と何度も勤めている場合では、観客の目に映るものも違ってくるのだろうと思います。初演では、ういういしさなどが舞台のよさの糧になり、またベテランの手慣れた余裕のある舞台は観ていて安心感があって、こちらもまた良いもので、どちらが良いとは決められないものです。
今回の私も3回目ということで、今までの経験を活かし、余裕を持って勤めることが出来たことは事実です。
国立能楽堂の一番手、お正月気分もあり、盧生が悟れてよかった、めでたし、めでたし! と祝言の心で終わる演出がお正月には似合っていたと思います。何回か勤めることで、その時、その場所にふさわしい能を演出し工夫して勤める、そのことが出来る環境に感謝しています。新春にふさわしい能として、お客様に喜んでいただけたならうれしい限りです。
                   (平成22年1月 記)
(『邯鄲』を勤めて 小書「傘之出」の演出と展開―二年前の演能レポートも合わせてご覧いただければ幸甚です。『邯鄲』について、「傘之出」について、くわしく記述しています。読み物⇒演能レポートから検索してください。)

写真 
『邯鄲』シテ 粟谷明生 国立定例公演 国立能楽堂 撮影 青木信二
能面 「邯鄲男」 粟谷家蔵 撮影 粟谷明生
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