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「小さいことは良いことだ」

粟谷明生
「小さいことは良いことだ」、これは安田佳生氏のエッセイの一節で、読んで目から鱗が落ちた。とても面白く勉強になったので、私の意見も交えてご紹介したい。
安田氏は、会社は安定感、知名度、資金力などを思い浮かべると、大きい会社がいいと感じる人が多いだろう、しかし何事も適正サイズがあるとしても、大きければ良いというわけではなく、むしろこれからは小さい会社の時代だと説かれている。大きい会社にお勤めの「大きい方がいいに決まっているじゃないか!」という上から目線の常識的な考えを覆す内容だ。
小さいことは良いこと、これからは小さい会社が勝つ時代で、未来があり、明るく自由である、という。

何故小さい会社が良いのだろうか?
それは、大きな会社の既存の仕組みから抜け出し、直接顧客に支持される会社に変われるからだという。
小さな会社が勝ち残るには、顧客を選ぶことが大事だともいう。
顧客から選ばれるのではなく、会社が顧客を選ぶという意識、ここがポイントである。
自分たちがやりたい仕事や提供したい価値、それを徹底的に追求することによって顧客を絞り込む。大きな会社は事業上の特性上、極端に顧客を絞り込むことが出来ないから、それが出来る小さい会社は自由なのだ、と…。なるほどと勉強になる。さてこの論理、私の周りにも通じるようだ。

観宝春剛喜

これ漢文ではない。シテ方能楽師の人数が多い順に流儀を並べてみた。内訳は観世561名、宝生270名、金春120名、金剛100名、喜多54名(平成22年調査)となる。

喜多流は本当に小さな流儀だ。父は私が生まれて、十四世喜多六平太先生に「明生です!」とお見せすると、「ほお〜、あき坊か〜かわいそうに喜多流だね」と仰ったという。小さな流儀に生まれたことへの哀感だったのだろう。しかし父は私を可哀想だと思ったことは一度もない、と言っていたし、私も自分がそのような立場だと思ったことはない。ではあるが、安田氏の説で力を得た。

喜多流は小さいからこそ良いのである。
流内は高齢者も若者も上下の礼節は重んじながらも、年齢を越えてお互いに意見を言い合い、仲間意識を強く持ち、結束力を大事にしている。つまり明るい流儀なのだ。
少人数ということは裏を返せば、流内の競争率は低いと言える。
頑張れば努力は認められるし、500人の中のベスト5に入るのは並大抵ではないが、50人のベスト5なら、やる気も出るというものだ。また現在は、古来の風習や型附を頑なに守るだけではなく、演能の幅を脹らます作業も認められる自由さがあり、流儀内の寛容な雰囲気が、健康的で居心地の良さをつくっている。少なくとも私はそう思っている。

但し、短所もあるから気をつけなくてはいけない。
小さな流儀は当然人数が少ない。命は永遠ではないから、今生きる我々もいずれはあちらに旅立つことになる。これは避けようがない。ならば常に少ないながらも人の確保が大事だ。小さい流儀ほど後継者のことを深刻に考えていなくてはいけない。
後継者不足で流儀消滅、なんて有り得ないと思っている、そのこと自体に危機感を覚える。

後継者は、家の子はもちろん能が好きで、才能があれば嗣いでほしい。また家の子でない者でも能が好きで、才能があれば喜多流に入ってほしいと私は思う。家の子でなくてはいけない、という先入観を捨て、広く門を開き受け入れ態勢をとる。これ言うは簡単だが、正直、本音にまで浸透させるのに時間がかかるようだ。しかし明るく未来のある小さな喜多流だからこそ、我々は「後継者問題こそ重視」という意識改革を置き去りにしないでいたいと思う。

後継者を育てるためには、小さい流儀は小さいながら各個人の技を磨き上げ、舞台活動、愛好者確保と流儀繁栄の努力を惜しんではいけない。父の口癖の「人の三倍の努力」、これが必要だ。

私の願いは、これからの喜多流の人は、謡えて、舞えて、裏方も出来るそんな三拍子揃う人になること。何でも出来る技を習得することは並大抵ではないが、好きであれば必ず達成出来るとはず。
将来、喜多流がそういう人たちの集団になれば、ますます良い流儀となり、きっと良い流儀であり続けるだろうと思う。
安田さんの文章が私の身をまた引き締めてくれたようだ。
            (平成22年4月 記)
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