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『檜垣』を謡い終えて
―研究公演で地謡の充実を目指し、老女物を再考する―
粟谷明生

能のシテを勤めることはシテ方能楽師の名誉であり喜びで、いつもシテでありたいと思っています。しかしシテだけでは能は成立しませんし、シテが良ければよい能になるかというと、そうではありません。
本当によい能は、シテの演技もさることながら、周りの役者によって、より豊かになります。三役や後見、特に地謡陣の強力な援助態勢は必須で、シテ方は、よいシテ役者を目指す一方、よい地謡が謡える人材にならなければいけません。

粟谷能の会の研究公演は地謡の充実をはかるために、『求塚』や『木賊』など、友枝昭世師をシテにお招きして研鑽して来ましたが、今回(平成22年12月2日 於:国立能楽堂)も友枝師にシテをお願いして『檜垣』に挑戦しました。

敢えてシテをしないで地謡を謡う会を企画することは希有なことです。
「出来る限りシテを勤める機会を作れ…」と教えてくれた父ですが、「能の善し悪しは地謡で決まる。地謡が大事だから地謡を考えろ」も父の口癖でした。

優れたシテ方とは、作品を理解して地謡を謡えなければいけませんが、そのためにはどうしたらよいのでしょうか。
今まで考えて来ましたが、結論は、よい能を観て刺激を受け、その能の地謡を謡えるように志し、そしていつの日かシテが勤められるチャンスを待ち、チャンスが到来したら地謡の経験を生かし勤める。そしてまたシテの心持ちを活かし地謡を謡う。この円環のような繰り返しではないかと思います。
地謡を謡えるようになる事と、シテを勤めることは一対一体で、シテ方能役者の底力とはこの作業をしたか、しないかにかかっていると思います。

さて、『檜垣』は老女物と言われ、能楽師にとっては最高位の曲です。
喜多流の老女物は『卒都婆小町』と『鸚鵡小町』、それに三老女と呼ばれる『伯母捨』『檜垣』『関寺小町』があります。『関寺小町』は理由が有り止曲となっているので、実際には『伯母捨』『檜垣』が最高位と崇められています。

『伯母捨』は父粟谷菊生が平成6年10月粟谷能の会で180年ぶりに再演し、続いて大島久見氏、そして友枝昭世師が二度演られています。『檜垣』も昭和62年に友枝喜久夫氏が120年ぶりに演じ、以来、今回の友枝昭世氏が24年ぶりの再演となりました。

昭和初期まで喜多流の老女物は、大事にし過ぎて高い神棚の奥にしまい込まれていましたが、近年、老女物を手がける方々が多くなり、現場の我々も身近に感じるようになり手の届く曲までに下りてきました。
「喜多流の『伯母捨』や『檜垣』はどうなの?」と尋ねられて、昔は「観たことないので知りません」としか返事が出来なかったのは、なんとも恥ずかしかったことでしょう。

『檜垣』は比較的動く型が少ないので、謡に重きが置かれます。
前回の友枝喜久夫氏がシテの『檜垣』は、父が地頭で、NHKで録音し後日放送されたので、まずそのテープを聞いてみました。ところが父の声があまり聞こえて来ません。ややがっかりして、これは自分たちなりの謡を創り上げるしかないと思いました。
実は演能後、友枝昭世氏より「稽古は菊生先生の謡でやってきたから…」と言われ、「え、父の謡が聞こえますか? NHKテープでは父の謡がよく聞こえず、あの時は不調だったのかな、と思いましたが」と答えると、「ビデオを聞いてご覧。菊生先生らしい謡が聞こえてくるから」と。後日ビデオテープを拝借すると、なるほど父の張りのある声がよく聞こえて来ました。NHKの録音は、どうも地謡の音を平均化してしまうようです。しかし、その事実がわかったのは演能後のこと、時すでに遅かったのですが…。

では今回の『檜垣』で新たに取り入れたことを順を追って具体的に記していきます。

二の同(二つ目の同音)の「理を論ぜざる、いつを限る習ぞや」「老少といっぱ分別なし替わるを以て期とせり」の間に打切(うちきり)を入れて、この部分の主張をより強調するようにしました。

次第は通常、同じ和歌を二度繰り返し、その後に地取(ぢとり)となりますが、『檜垣』は「釣瓶の水に影落ちて袂を月や上るらん」と一句しか謡わないので、序に移行する間(ま)が空かないために、地取りを無しにしました。

老女物には約束事が沢山あり、特に囃子方には、それぞれの流儀の主張、特有の手組があります。クセの冒頭「釣瓶の掛け縄、繰り返し憂き古を・・・」も各流大小鼓の手組は違います。
今回は大鼓・高安流(国川純氏)、小鼓・大倉流(鵜澤洋太郎氏)の組み合わせでしたので、当初、後見をされた大倉流宗家の大倉源次郎氏から、高安流とは手組がうまく咬み合うから、出来れば大倉流本来の手組を打たせてほしいと要望されました。しかし私はどうしても前回(大鼓・柿原崇志氏)の時のように、大鼓の独調で謡に鋭く刻み込む大鼓特有の音色、あの緊張感を再現したく、小鼓方には申し訳なかったのですが、鵜澤洋太郎氏にお願いして、今回はクセの冒頭の手組を遠慮して戴きました。
具体的には「つ△ る△ 瓶の掛△ け縄、繰△ーり△ 返し憂△き」(△は大鼓の打つ所)と大鼓の国川純氏の打ち込む気迫と大鼓の音色、それに応えて地謡陣も負けじと気迫を込めて謡います。正に一調二機三声であり、その緊張感が、シテの写実的な動きを盛り上げると、信じています。

クセは動きが少なく、本来、上羽後は下居のまま動かない型附けですが、地謡としては動かない居クセより、シテの動きがあった方が張って謡えるのでテンションも上がります。今回は友枝氏に特別にお願いして、少し舞って頂くことにしました。

少し脱線しますが、私の謡の暗記法は、型と照らし合わせ覚える方法です。
型が無い場合は仕方がありませんので諦めますが、型があるのに詞章だけ丸覚えするのはどうも苦手です。そのため下申合前から、シテの友枝昭世氏にどのような動きをされるのかを細かくお聞きし、私なりの意見も述べさせて頂きました。

一曲の最後、いよいよ最終場面は残りトメ(謡が終わったあとに囃子方だけが、演奏するやり方)が普通ですが、今回は友枝昭世氏から敢えて、残りトメはせずに「罪を助けてたび給え」と地謡で謡い切ってほしい、との御要望で試みてみました。

以上がおおまかな改善点です。その他、細かなところがたくさんありますが、ここでは割愛させていただきます。
いろいろと自由に試み、身勝手が言えた研究公演でしたが、次回の大きなステップになったと自負しています。

演能後、「おシテのお姿は美しく魅了されました。ただ…、あのように微動だにしない強靱な足腰とご立派な姿勢から100歳に近いお婆さんを想像するのは…どうでしょうか?」と感想を述べられた方がいらっしゃいました。
それに対する私のお返事をこの演能レポートのまとめとして記載します。

父・菊生より以前の時代の老女物を勤められた方々は、老女物を大切にし過ぎる風潮があったからか、手が届かない曲、到底許されない曲と思い込んでおられたのではないでしょうか。
運良く勤める機会を得られた方々も、それ相当のお歳を経てのチャンス到来であって、その舞台は本当にお身体が老いていて・・・、とういうのが悲しい事実です。
それが効を奏したのか判りませんが、生な老いの動きは、観客にまさに老女物とはこのような無惨なものと写った、と推察します。
しかし、それが老女を演じる能、老女物とはそのようなものかというと、私は違うと思います。

老いた身体で老いを演じるのはリアル過ぎます。それでは能という虚構を演じる演劇ではなくなります。老女物だから背中が丸まってもいい、よたよたとあぶない足どりも許せる、聞こえないか細い声であっても、それが老女物だからいいというような考え方は間違っていると思います。
大声を出して、老いをまるっきり感じさせない無神経な所作は論外で、もちろん能は老いを演じる心がなくてはいけません。しかし、老女物であっても声は見所のすみまで聞こえ、能役者の姿勢はほどよく背筋が伸びて凜としたものでなければいけないと思います。
以上述べた全ての理想を兼ね備えていたのが、今回の友枝昭世師の『檜垣』であったのです。そのようにお答えしました。

最後に自戒を込めて能楽師の陥る落とし穴を書き留めます。
何故そのような老いのとらえ方になるのでしょうか?
私はこう思います。
若い時分の稽古能などは、みな初めての経験ですから、必ず位が重くなります。つまりゆっくりになります。丁寧に慎重に謡い、動くことで時間が掛かります。彼ら、いや私もそうでしたが、「軽い!」と怒鳴られるより「重い!」と叱られた方がまだマシだと考えるからです。
しかし馬鹿丁寧な謡や舞は曲本来の位では無いことがほとんどです。
適度な適正な位を習得することが大事なのですが、指導者も、早く進めたときは軽いときつく怒り、馬鹿丁寧の場合は、まあ大人になれば直るでしょうと妙な寛大さを示します。だからどうしても丁寧、慎重になって、必要以上に重くなってしまいます。この若い能楽師たちが陥る現象と、老女物に取り組む大人の能楽師の心境とたいして違わない、重なっていると思います。

今回の『檜垣』に向けて、6月から地謡の稽古を重ねて来ましたが、その時の録音を聞くと、最初はただゆっくり慎重だったものが、段々と位取りもやや軽やかに変わって来ました。繰り返すことによって、真の軽さが生まれることを体感出来ました。

喜多流のこれからの老女物への意識、課題は、もっともっと慣れることです。経験と慣れによって、ほどよいノリと位どりを習得しなくては玄人とは言えないでしょう。
老女物を大事にし過ぎるあまり、老いたから出来るという、年齢で演能の資格を計る考えを改めて、能に生きてきた経験と技術をもとに判断する、そのような意識が増えることを望みます。

研究公演で『檜垣』を24年ぶりに再演でき、この秘曲を次の世代に継承することができました。能という長い歴史の中で、今生きる能楽師として、一つの責任を果たしたと満足感と幸せを感じています。同時に地謡の充実をテーマにすることで、地謡に光を当て、老女物の地謡に真摯に取り組むことができたことを喜んでいます。

研究公演『檜垣』出演者
シテ 友枝昭世
ワキ 森 常好
アイ 山本東次郎
笛  一噌仙幸
小鼓 鵜澤洋太郎
大鼓 国川 純
後見 内田安信
後見 中村邦生
後見 友枝雄人
地頭 粟谷能夫
副地 出雲康雅
地謡 粟谷明生
地謡 長島 茂
地謡 狩野了一
地謡 金子敬一郎
地謡 内田成信
地謡 大島輝久

                    (平成22年12月 記)
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