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『鉢木』を勤めて
―能の謡に芝居心を―
粟谷明生





『鉢木』のシテ佐野源左衛門の年齢はどのくらいなのでしょう。「歳のほど四十ばかりなる男の…」と、後場のワキ北条時頼(前は旅僧)が家来に常世を捜し連れて来るよう命じることから、常世は当時40代ぐらいの武士だったと考えられます。但し人生五十年の時代の話ですので、今の年齢感覚では、40代は概ね70代位に相当するのではないでしょうか。

今回、喜多流自主公演(平成22年12月19日)で『鉢木』を勤めました。
私が今55歳ですから、深い情味を感じさせる常世を演じるには、少し早すぎた感もあります。たぶんご覧なられた方々の想像された常世は、もっと老いた、枯れた能役者常世であってほしいと思われたことでしょう。

私の常世像は、零落しても誇りを捨てない男気ある田舎武者です。真面目で忠誠心が強く、ただ少し頑固で気の利かない野暮なところもあるように思えます。
演じ手としては、そのあたりの雰囲気が演じられればいいのでしょう。
昔、拝見した先人たちの数々の『鉢木』の名舞台。肉体的には衰えがあっても、何とも言えない気骨溢れる田舎武士を目の当たりにしたように覚えています。

『鉢木』は通常の歌舞の能と違い、芝居的な要素が色濃い能です。前シテは『望月』と同様に台詞が多く、会話や独白を謡い分ける技法を持たないと、この芝居がかった能を楽しんでいただくことは出来ないと思います。演者が芝居心を持って勤めないといけないのです。しかし、紛らわしい多量の台詞を感情を込めて、背景が想像出来るように謡うのは難しいことです。芝居っぽくなり過ぎて能のテリトリーを越えてしまっても、また能という形式に甘んじて、ただ声を発している程度では能『鉢木』になりません。「下手未熟は慎め」との伝書の言葉が重く響いています。

では舞台進行に合わせて進めます。
常世の妻(シテツレ)が地謡前に下居すると、信濃から鎌倉に上る旅僧(前ワキ、実は最明寺北条時頼)が次第で登場します。信濃から軽井沢を経て佐野に到着する道行の謡が聞かせどころです。大雪のため一夜の宿を頼みますが、妻は主の帰宅まで返答出来ないと主を待ちます。


シテはなにもなく一の松前にて立ち、空を見上げて「あ〜降ったる雪かな」と謡い出します。父は「フッ〜〜タル」の「ッ」から「タ」の延ばし方で、雪の積もり具合を想像させるのだ、と言っていました。
続く「さぞ世にある人の酒飲うで面白からん」は観世流にはありませんが、武張った喜多流らしい詞章で、呑兵衛の私はこの句が好きです。
「今日の寒さをいかにせん」と両袖を合わせて、寒さに震える型をして舞台に入りますが、「寒さ」や「雪」の言葉から常世のひもじさを伝えたいところです。



家に戻ると妻が家の外で待っています。旅僧の依頼を伝えると、ワキが登場して問答となりますが、常世は終始ぶっきらぼうに対応し、家の中は見苦しく、夫婦二人で暮らすのも苦労しているからと、依頼を断ります。
ここの謡い方は、ワキのじっくりに対して、坦々とややサラリと謡うのがいいようです。断られた旅僧はまた雪の道を歩いて行きますが、それを見た常世の妻は、無碍に断る薄情を嘆き、宿を貸すことを薦めます。
このツレの謡が大事で、力量が試されるところです。雪の日に外で立って待っている貞淑さを、凜として綺麗な立ち姿で見せるのも、このツレの役目です。
今回、狩野了一氏が期待通りに好演して下さって感謝しています。

妻の説得に、常世は雪の中、旅僧を呼び止めに出かけます。
「のう、のう旅人お宿参らしょう、のう」との呼掛は『山姥』にも似ています。距離感を感じさせる謡い方は、最初に「ん」の字をつけて「ん〜のう、ん〜のう」と発音します。「あまりの大雪にて呼ばわる声も聞こえぬげに候」と間を置いて、気持ちを内へとり、独白のように謡います。決して単調な謡では表現出来ないところです。


旅僧に追いついて宿を貸し、粟飯を振る舞うと、いよいよ寒さのため秘蔵の鉢木で焚き火をする、「薪の段」となります。
梅、桜と枝を切り取る型は伝書には「刀にて」とあります。この刀は太刀ではなく、小柄(こづか)といわれる太刀の鞘の鯉口の部分に差し添えた小刀の柄のことです。当初は伝書通りにと思いましたが、生憎小柄付きの小太刀が無く、実際舞台では、小柄が小さく、何を手にしているのかがよく判らないという欠点もあり、扇での替えの型でやりました。


さて、暖をとった旅僧は常世に「主のご苗字は?」と聞きますが、はじめは名を明かそうとしません。しかしついに佐野源左衛門常世と明かします。
苗字の佐野姓は栃木県の佐野と考えられますが、常世の家は高崎市の佐野です。後日、加賀の梅田、越中の桜井、上野の松枝と点在した領地を拝領しますが、こんなに離れた三ヶ庄を貰っても困るのではないかと思います。ある説では、日本海側新潟県に佐野という地名があり、その近くに梅田、桜井、松枝があるので、そちらの話だとも言われています。しかし所詮後人の作成したフィクションですので、あまり追求することもないと思い、ここでやめておきます。

名を明かした常世は、一族に領地を横領され零落しているが、鎌倉に一大事あれば、千切れた具足を取って錆びた薙刀を持ち、痩せた馬に乗り、馳せ参じる、と熱く語り始めます。ここが山場で、シテの聞かせどころでもあります。はじめはゆっくりと、次第に速く、声を張り上げ、袖を脱いで型どころとなります。敵の中に一番に割って入り、命を捨てる覚悟があるが、このままでは餓えで死ぬかもしれないのがなんとも無念だと悔しがります。

一夜明けるとその興奮も醒め、旅僧は「鎌倉に来ることがあれば、訪ねて下さい、幕府に取り計らいましょう」と慰めて立ち去ります。
この別れの場面のロンギの謡は、泊まった旅僧と泊めた夫婦の心情を交互に謡い合う情緒的なところです。今回気になって心残りの場面があります。
ワキの「さらばよ常世」に対して、シテとシテツレが「またお入り」と答え、その後「自然鎌倉にお上りあらばお尋ねあれ、興がる法師なり…」とワキは歩き始めますが、ここは意味あいを考えると、「自然鎌倉にお上りあらばお尋ねあれ」と動かずにじっくりと常世を見つめていてほしく、「興がる法師なり」から動いていただきたいところです。しかし、なかなか大先輩(宝生閑氏)には申し上げにくいので、今回は遠慮しましたが、今後も気になるところとなっています。

前場の最後の見せ場、ワキが「ご沙汰捨てさせたもうなよ」と一足つめて右手を差し出すと、常世はなんとも言えぬ威風を感じ、思わず頭を垂れて、敬意を払います。実際に私は能役者・宝生閑先生の威風を感じ自然と頭が下がってしまいました。そして「共に名残や惜しむらん」と常世夫婦は旅僧を見送り中入りとなります。

中入りするとワキは前場の旅僧から後場の北条時頼に装束を替えて、家来を連れて登場します。場面はもう鎌倉です。
春になり全国の武家に鎌倉への招集がかかり、常世も約束通り痩せ馬に乗って駆けつけます。北条時頼は家来二階堂何某に軍勢の中から常世を捜し出すように命じます。




後シテは白大口袴に側次、白鉢巻きに薙刀を肩に背負い、颯爽と早笛で登場します。侍烏帽子に掛素袍の替えもあるようですが、自主公演でもあり、無難に常の通りにしました。

痩せ馬に乗り、「打てどもあふれども、先へは進まぬ足弱車、乗り力なければ、追いかけたり」と薙刀を馬に見立て、鞭で右腰を叩きながら舞台に入りますが、「乗り力なければ、追いかけたり」の詞章の意味合いからすると、馬に乗った型はおかしいのではないかという意見がありました。
確かにそうだと思いましたが、能には詞章と型がちぐはぐなところがあってもいいのではないか、馬から降りて馬を引きずりながらはせ参じる型では、見る方もつまらないだろうと思っていました。しかし、その後、観世流の野村四郎先生のご意見で、「あそこは鞭を捨てたところからが下馬を意味するので、鞭を当てながらの型はおかしくない」とのことでした。なるほどそれなら問題はないと納得し安心しました。ただ型を鵜呑みにするのではなく、詞章と合わない型なら疑問を持ち考える、それは大事な作業です。今回。それが解明できたのは演能後でしたが、疑問が晴れてよかったと思っています。



さて鎌倉につくと、従者(アイ)に御前に出るようにと呼び出されます。はじめは自分のことではないと断りますが、敵人と思われ首を切られるのも仕方がないと諦め、御前に出ると、いつぞや泊めた旅僧が最明寺北条時頼だったことを知り驚かされます。時頼は常世が言葉通り一番に鎌倉入りしたことを褒め、宿を貸し、鉢木を切り焚き火をしてくれた礼にと、梅、桜、松に因んで梅田、桜井、松枝(松井田)の三ヶ庄を褒美にとらせます。常世は気持ち晴れやかに華々しく上野国に帰ります。

『鉢木』は「水戸黄門」に似ています。
偉い方が身を隠して諸国を巡り、悪を退治し、正義が勝つ、毎回同じような物語なのに、日本人が飽きずに見るのは、どうもこういうものを好む民族のようです。
戦前はこのような忠誠、忠義物は時の政府に喜ばれたようですが、最近は『鉢木』の話をしてもわからない学生さんが多くなってきました。
忠義忠誠は悪くはありませんが、能役者として本音を言わせて頂ければ、単なる目出度し、目出度しのハッピーエンドの話は、能としての深みが正直あまり感じられず、少々物足りない面があります。
叶わぬ恋慕を扱う『野宮』の六条御息所、『松風』姉妹の松風と村雨、権力者から迫害を受けた先住民たちの叫びを描く『野守』の鬼神や『大江山』の酒呑童子、修羅道に苦しむ源平の武士たちなど、女物でも男物でも、鬼でも武者でも、そういうものには能の深さがあります。それは負けた者たちの心意気を演じるからでしょうか。
『鉢木』はそういう能とは本質的に違う能なのでしょう。常世という田舎武士の泥臭さと気骨、これを晴れやかにスカッと演じきることが肝要で、これが言うは易く、しかしなかなか難儀なものだと感じているところです。
(平成22年12月 記)

写真 『鉢木』 シテ 粟谷明生

撮影者 石田裕 

撮影者 前島写真店 川辺絢哉 
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