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@@@@ 「粟谷能の会通信 9月号」 @@@@

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第90回「粟谷能の会」では、会と併せて能楽鑑賞講座を開催いたします。
女優の金子あいさんを迎え、粟谷明生が会の演目について会話形式で解説いたします。

日時: 10月3日(月)13時半から15時

場所: 国立能楽堂

既にチケットをご購入の方は無料です。
講座単体でのお申し込みの場合は会場費として1000円を頂戴いたします。

お申し込みやお問い合わせは粟谷明生まで。
E-mail: akio@awaya-noh.com
自宅:03-3411-1402
携帯:090-8302-3041
※参加希望多数の場合は、先着順にて締め切らせて頂きます。ご了承ください。

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《喜多流職分会9月自主公演》

日時:9月25日(日)12時開演

場所:喜多能楽堂

演目:能『小督』佐々木宗生 『半蔀』狩野鵬 『絃上』粟谷充雄 ほか、仕舞
料金(全席指定):一般自由席6,000円 学生2,500円 指定席料2,500円

配役やあらすじはこちら:
http://www.kita-noh.com/schedule/koen/1158/
番組がダウンロードできます。

チケットお申し込み及びお問い合わせ先

TEL:03-3491-8813(喜多能楽堂)

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《第90回粟谷能の会》
日時:10月9日(日)12時45分開演

場所:国立能楽堂

演目:能鑑賞案内 金子あい 能『天鼓』シテ 粟谷明生 狂言『謀生種』シテ 野村 萬 能『井筒』シテ 粟谷能夫

料金(全席指定):正面S席12,000円 脇正面A席7,000円 中正面B席7,000円 中正面C席5,000円 脇正面D席4,000円 脇正面E席3,000円 学生料金2,000円

配役やあらすじなどはこちら:
http://awaya-noh.com/modules/piCal/index.php?action=View&event_id=0000000082
チケットお申し込み先

TEL:03-3387-1358 粟谷能の会 
TEL:0570-02-9999 チケットぴあ(pia.jp/t)
TEL:03-3423-1331 国立能楽堂
TEL:03-3491-8813 喜多能楽堂

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今号は、『絃上』『天鼓』『井筒』をご紹介します。

『絃上』
あらすじ:
藤原師長が琵琶の奥義を極めるため、入唐渡天のために従者を連れ須磨を通りかかり、鹽屋に宿を借りる。
鹽屋の主の老夫婦がただ人でなさそうなので、琵琶を渡し弾かせると、実に面白く奏でるのに驚き衝撃を受け、師長は渡唐を思いとどまり、立ち去ろうとする。
夫婦は師長を引き止め、自分たちは村上天皇と梨壺の女御であると明かし、消えてゆく。
<中入り>
村上天皇の霊が現れ下界の龍神を呼ぶと、龍神は琵琶の名器・獅子丸を持って現れる。
それを受け取った村上天皇は師長に琵琶を弾かせ、自らも弾じ舞い、消えてゆく。

詞章はこちらから:
絃上詞章
http://awaya-noh.com/uploads/photos0/541.pdf

みどころ:
絃上はシテや前場で師長が弾く琵琶の名です。遣唐使が唐国の琵琶の博士、廉妾夫から秘曲とともに授けられた三つの名器のうちの一つで、他には「青山(せいざん)」、「獅子丸(ししまる)」があります。
「青山」は平経政に与えられ、能『経政』に登場しますが、獅子丸は途中で海に沈んでしまい、残りの二つが日本に伝わる事となりました。

前場は師長一行が須磨の浦のうらぶれた漁翁の家に宿を借りるところから始まります。
一見なんでも無さそうな漁翁が、実はとんでもない人間であるというところに面白さがあります。

師長が老翁へ慰みの琵琶を弾きますが、雨が降り出し板屋を敲く音が盤渉調の高い音なので、老翁は師長が奏でる琵琶の音が黄鐘調であるからと、板屋を苫で葺いて音を変え調子を整えてくれます。
そして遂に琵琶を受け取り奏でると、実に上手で、聞いた師長は増長していた自分を恥じ忍んで退散します。
ただ寂しげだった須磨の浦の景色から、何やら優雅な雰囲気が漂ってくる、この変化が前半の見どころでしょうか。
後場は、村上天皇の霊が現れます。天皇は海から龍神を呼び出し、海に沈んだ獅子丸を取って来させます。
そしてそれを師長に与え弾かせ、八大龍王も管弦を奏し、天皇も奏で舞を舞う、というスケールの大きい場面となっています。

『天鼓』
あらすじ:
天から降り下った鼓を持つ少年・天鼓。
彼の打つその鼓の妙音は人々を感嘆させた。
それを聞いた後漢の皇帝が鼓を召し上げようとするも、天鼓は鼓を離さなかった為、処刑され漏水の江に沈められた。
そうして内裏に召された鼓であったが、いくら打っても鳴らない。
勅命により召し出された天鼓の老父が恐れ悲しみながらも鼓を打ってみると、鼓が鳴り響いた。
帝は親子の恩愛に心を動かされ、天鼓を弔う為に漏水の江にて管弦講を催すことを決める。
<中入り>
弔いの音楽にひかれて天鼓の亡霊が姿を見せる。
天鼓は弔いに感謝し、鼓を打ち、舞楽を舞い、夜明けと共に消えていった。

詞章はこちらから:
天鼓詞章
http://awaya-noh.com/uploads/photos0/542.pdf

ひとこと:
どのようなものから題材を得たのかはよく分かっていない様ですが、中国、後漢が舞台となっています。
前場のシテは天鼓の老父。子を処刑された父の悲しみや、罪人の父という身で宮中に呼び出され鼓を打たされることへの悲愴さが主軸となっています。

今回は一声が省略され、ワキの呼び出しでシテが登場するため、「伝え聞く孔子は鯉魚に別れて思いの火を胸に焚き、白居易は子を先立てて枕に残る薬を恨む」などの嘆きの思いを顕すシテの謡は省かれます。

勅使が老父を訪れ、鼓を打たせる為に内裏に出るようにと勅諚を伝えますが、老父は、自分も処刑されるであろうと一度は断りますが、勅命であればと覚悟し参内します。
そして老父が内裏で鼓を打つと・・・不思議にも鼓は鳴り響き、帝は親子の恩愛の情を哀れみ涙するのでした。

後場は場面が異なり、漏水の江での管弦講の場面となります。
シテは、老父から子の天鼓へと、中入り前後で役柄が大きく変わります。

天鼓は帝へ復讐するわけではなく、むしろ勅に背いた天罰で死後も苦しんでいるところを弔ってもらって有難い、という想いで登場します。

後場は天鼓の舞楽が主となります。
漏水のほとりにて星空の景色も謡い込んだ仕舞どころは爽やかで見どころです。
また、仕舞どころの前の「楽」は、今回は「盤渉楽(バンシキ)」で舞います。
盤渉は雅楽の音階の一つで、普段の「黄鐘」よりも高い調子になり、ここも見どころです。


『井筒』
あらすじ:
旅僧が在原寺を訪れ、在原業平を偲んでいるところに、里女が現れ業平に花を手向け弔う。
旅僧が女に、業平の縁故の者であるか問うと、女は業平とその妻・紀有常の娘の物語を語り、自分こそが実はその紀有常の娘、井筒の女であると言い残し、井筒の陰に消えてゆく。
<中入り>
夜も更け旅僧が旅枕に臥すと夢に男装の女が現れる。
紀有常の娘の霊が業平の形見の衣装を身に纏って現れた。
女は舞を舞い、在りし日を回想し、覗き込んだ井戸に映った男装の自分の姿と業平の面影を重ね、業平を懐かしむ。やがて夜が明け僧の目覚めと共に消えてゆく。

詞章はこちらから:
井筒詞章
http://awaya-noh.com/uploads/photos0/540.pdf

ひとこと:
伊勢物語の二十三段が元になっています。
能では、この男女を在原業平と紀有常の娘として話を構成しています。

前場では、業平が紀有常の娘と契りを交わしていたのに、高安の里の女のもとにも通っていたことが語られます。さらに、
「風吹けば沖つ白波龍田山 夜半にや君が一人越ゆらん(詞章では一人行くらん)」の歌を引き、紀有常の娘が他の女のもとへ通う業平の道中を案じており、この気持ちを知って業平が通うのを止めたという話が語られます。
曲を通して、他にも伊勢物語の歌が引用されていますが、「待つ身」を歌ったもので、この能の一つの主題が、待つ女の想い、純情さであることが思われます。

業平との想い出を語る女は、後場に業平の形見の装束を付け、一体となった姿で現れます。
そうして気持ちが昂ぶり序の舞を舞います。
このあと「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」(第四段)、
「筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな(詞章では生ひにけらしな) 妹見ざるまに」(第二十三段)という二首が続けて引用されます。両者とも時間の経過を強調する効果となり、女の想いはその後の井戸を覗き込み自分の姿を映す型へと集約されていきます。
井戸を覗き込み姿を見たことで、紀有常の娘は何を思ったでしょうか。

当時と変わらぬ業平の衣装、生いて(老いて)しまったかもしれない自分の姿。
序の舞の後の井戸を覗く型には、演者それぞれの思いが込められている大事な見どころです。

待つ、というのは辛いテーマかも知れませんが、全体として悲壮感が漂わない、幽玄清純な能であるように思います。
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