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『道成寺』 談議   2014年3月 於 和食 いふう
   
ご協力 脇方 森 常好氏 小鼓方 大倉源次郎氏 大鼓方 亀井広忠氏
司会進行 粟谷 明生

粟谷 先日の粟谷能の会では皆様にお世話になりました。今日はその慰労会と反省会と言うことで、粟谷能の会ホームページにもお話したことを記載したいと思いますので、録音をお許し下さい。私は『道成寺』は二回目ですが、皆様は何回お勤めですか?



亀井 私はちょうど50回目の記念です、本当に忘れられない『道成寺』でした。

大倉 僕は133回目。常ちゃんは100回ぐらい?

森  そんなにたくさんやっていないよ。

大倉 でも年4回としても、30年経っているよ。

森  30年で120回! 

大倉 ほら。

森  いやあ、100回もやっていないよ。でもやっているかな。去年も4回やったし・・・。

大倉 僕はペースダウンしても年3回はあるから、常ちゃんの100回以上は確かですよ。



粟谷 皆様、多いですね。

亀井 大小はいつも隣同士でしょう。私は源次郎先生のお相手が多く、今回も安心して勤めさせていただきました。なにか受け止めてくださる感があります。源次郎先生の場合は「ついてこい」というところがありながらも、「広(ひろ=広忠)がそう打つなら、お前についていくよ」というような、両方の気を出してくださるからとてもやりやすいのです。すいません生意気言いまして。

粟谷 いいコンビなのね。ではまず特別な習次第(替之習次第)についてお話していただきます。今回は笛のヒィヤーヒーのヒシギと同時に幕上げをしてシテの姿を見せる替えの演出としました、広忠君にお聞きしますが、「打つ心持ちが二通りあって、どっちでやりますか?」と言われましたね。

亀井 申合せの後に、明生さんが「習のヨセの手」の前はもうちょっと間がほしいと仰いましたので、本番はワンクッションの間を大きく作りました。「女体から蛇体」への変化の心持ちで・・・。

粟谷 その変化の葛藤みたいな意識はわかりますね。

亀井 シテが姿を出さられた時は蛇体で、また幕が下り一度止まられる時には女体に戻っている、そんな感じですかね。笛がヒシギを吹いた時は蛇体ですから、ヒシギと同時に幕を上げられた方がいいですよ、とお話しました。

粟谷 ヒシギと同時に姿を見せるのが効果的、ということだね。

亀井 そうですね、女の葛藤する気持ちと平常でいようと思う心、その二つがあると・・・。

粟谷 私も同感だね。

亀井 ですから幕の上げ下げの呼吸が大事だと思います。

粟谷 本番は上げる時は、ふわっとやや早めにして、下ろす時はゆっくり、にしました。

亀井 替之習次第は、こちらはいきなりハイテンションとなってシテの出の場面となりますが、あのように短い時間で雰囲気を創り出すのは結構難しいです。今回、お相手が源次郎先生でしたから安心してスムーズに出来たと思っています。

粟谷 私の替の演出の解釈は、能力(野村萬斎氏)が周りに「鐘の供養があるよ」とふれた瞬間に、その知らせ、つまり音や声でもいいのですが、それが鐘に恨みを持つ女に聞こえてしまうのね、するとその魂の怒りスイッチがオンしてしまう。「鐘! 何でまた吊るの!」と怒りがこみ上げて来る、と同時に執念の姿が表れるところを観客にお見せしたい、そう思って演じました。

亀井 なるほど。替之習次第は、たとえば『三輪』の「白式」「神遊」の後に『道成寺』とか、または『檜垣』『卒都婆小町』プラス『道成寺』という番組があった場合、習之次第が続きますね。その時は「老女物」の方は正規な習之次第として、『道成寺』は替之習次第があってもいいのではないか、と父に相談して「ではお前やれ、俺はやらないけれど」と言われて、最近流儀の公認となりました。

粟谷 あれ? 忠雄先生がお勤めになられたのではないの?

亀井 いえ、父ではありません。

粟谷 大槻能楽堂特別自主公演の時、忠雄先生がやられたと思っていましたが・・・

亀井 替之習次第を試みたのは私(笑) ですから阿吽の対談を読んで「あれ、父がやったことになっている」と思いましたが、「まあいいや」と思っていました。(笑)

粟谷 ああ、それはたいへん失礼しました。忠雄先生にお詫びしなければ・・・。兎に角、替之習次第は、囃子方、つまり大鼓、小鼓そして笛の方々の技術的なものがあってのこと、それは当然ですが、それだけではない奏し演じる想像力がないと面白くいかない、と思いますよ。

亀井 演じる心を囃して成り立たせたい、という欲求はありますが、それはお客様なり、まわりの方々の判断となりますね、正直、なかなか自分では決められないものです。

粟谷 源ちゃんとは替之習次第と乱拍子と、今回いろいろな挑戦にお付き合いいただきまして、本当に有難うございました。国立能楽堂30周年記念の金剛永謹氏の『道成寺』を拝見した時に、金剛流の古式の習之次第が面白くてね。

大倉 そうでしょう。(笑)

粟谷 あれを真似しようかな・・・、と浮気虫が騒ぎましたが(笑) 今回の替之習次第、源ちゃんは、どのような感想を持たれましたか? 替えの習之次第はやりにくい?

大倉 いやいや、そんなことはないですよ。あれはあれで、今お二人が言われた通り、同じ気持ちで勤めましたよ。

森  僕としてはすぐにシテが登場するのはいいね、あまり丁寧に、というか慎重過ぎて時間をかけすぎるのは、どうかと思うよ。

粟谷 今回の私の演出は喜多流としては新たな試みもありまして、「替之習次第」は能夫が一度(平成18年粟谷能の会)で試みていますが、名のり、道行、アイとの問答を橋掛りで行うというのは、今回が初めてでした。アイ(萬斎氏)との問答を橋掛と本舞台とで距離感を出して、アイの境内女人禁制との忠告を無視し厚かましく境内に入ってくる、なんとなくふてぶてしい女を演じてみたかったのです。

亀井 物着に入る前のアイのお言葉が申合せと本番が違いましたね。

粟谷 あ!それは私の責任ですね。シテの「ひらに拝ませ給わり候へ」のあと、本番当日に萬斎君から「和泉流の科白でいいですか? それとも最近の喜多流相手のお言葉にしますか?」と聞かれた時、喜多流にはその後の受ける言葉がないので、「どうぞご自由に、和泉流本来のやりかたでいいですよ」と返答しましたが、それをお囃子方にお伝えしなければいけなかったですね。

亀井 そうですね。道具をとる大事なタイミングのところですから。源次郎先生と私、息を殺しながら気配を感じられないように、手を出しお互いそっと道具をとるのが心得なので・・・、やはりあれは教えていただきたかったです。萬斎さんとしては明生さんが伝えてくれるだろうと思っていたのかもしれませんね。

粟谷 わかりました。そこは喜多流には関係ないから、ではいけないね。シテがそこまで責任を負い配慮しお伝えしないといけなかったですね、教えてくれて有難う、勉強になるなあ。

亀井 言葉を抜く時は、あらかじめ言っていただければ、いかようにも対応はしますので。鐘入りに迄に繋がる大事なスタートですから。

粟谷 広忠君、物着で立つのが少し遅れてしまい、ごめん。

亀井 あれ?と思いましたよ。(笑)

大倉 物着でアクシデント、例えば、烏帽子の紐が切れたりしたら、僕らに口伝があるんですよ。笛がアシラヒを吹き続けている限り、大小(大鼓と小鼓)はアシラヒをし続ける、というセオリーが大倉流にはあります。つまり笛が吹くのをやめるということはシテが立った、という合図です。私たちはシテの居る場所が見えません、立つかどうかは、見えない。ですから笛を頼りにしています。先日は幸ちゃんがシテの立つのを確認しないで吹くのを止めたでしょう。ですから私は道具を下ろすしかなかったんですよ。ですから、あの場面、笛が大と小の関係をもう少し配慮してくれていたら・・・とも思いますね。約束事、ルールというのは塊の繋がりとも言えるんですよ。

亀井 大小の「置キ」の手で笛がまだ吹いていれば、続行した、ということです。

粟谷 なるほど、でも私が約束の二つ目の「置キ」で立たなかったのが一番いけないね。
さて乱拍子ですが、どう短かったでしょ?

森  あれくらいでいいよ。

亀井 そうですね、あのぐらいの長さが丁度いい感じですね。少し短い感じもしますが、内容的には充分に気が張ったよい乱拍子だったと思いますよ。私、一番間近でお二人のを拝見していましたから。(笑)

粟谷 今回は大倉流との乱拍子、喜多流はとかく幸流のお相手が多く、特にお披きは幸流が・・・という時代の流れがありましてね。幸流以外は皆、掛け声を長く引きますね。源ちゃんお互い乱拍子がうまくいってよかったね。(笑)

大倉 下申合せと申合の時、右と左が判らなくなって間違えてごめん、当日心配でね。

森  僕が見ていても右足と左足の動きが同じだから、あれは間違え易い、と思ったよ。
粟谷 初演が幸流でしたから大倉流に慣れるのに少々時間がかかりましたよ、でも一度経験すると、掛け声を引く方がどうも私は好きですね。幸流の短い掛け声もいいのですが、どうしても時間がかかり過ぎて・・・正式に八段ですと30分以上もかかるから。

亀井 源次郎先生、声の返し方、ちょうどいい感じでしたよ。

大倉 返し方も、あまり裏に返さない、できるだけ表声で、と取り組んだの。



粟谷 最初、表声と裏声の違いが分からなくてね。下申合で経験して判ったよ。今回は表声が主となったので、それに合わせて足の運びを考えました。喜多流の先人たちは掛け声の最後に合わせ足を動かしていましたが、能夫から声が聞こえても足が動いていないのは不自然でしょう、洋太郎君とやった時はすぐに動かしたよ、というアドバイスがあってね。最初はその通りにしていたのですが、仲間から同時に動かせば動かすほど逆に動きが目立たなくなって効果が薄い、それよりインパクトがあった方が効果的とアドバイスされて、敢えて少しづつずれるように変えてやりましたよ。(笑)

亀井 観世流も、ヤォッーっの掛け声でパッと足を出しますね。

粟谷 やはり小鼓の掛け声にシテが直ぐに反応する、これが基本じゃないかな。下申合せのときに、掛け声の裏声をあまり出さない、元々の大倉流のやり方を徹底的にやりましょう!と注文して源ちゃんとも確認、応えてくれてよかった、助かりました。やっていると幸流の8段がものすごく長いように感じましたね。この間のは20分ぐらいでしょ?

森  ちょうどいいよ。

粟谷 お披きのときは8段が正式ですがから時間がかかるのは仕方が無い、としても、見ている方にはお披きであるから、とかそうではない、というのは本来関係ないので・・・、でも喜多流と幸流よりももっと長いのも他流ではありそうですね。

亀井 観世流は「赤頭」の小書が付くと、まともに7段半をしてその後に「鱗返し」というプラス3段から5段増えるすごいのがありますよ。(笑)

粟谷 それ飽きない? 飽きないというか、だれない?

大倉 やるのしんどいのよ。

亀井 お客様が育ったらいいかもしれないですけれどね、今はちょっとね(笑)入れ替わりの時期だから。

粟谷 入れ替わりの時期か〜

亀井 粟谷能の会でも菊生先生や新太郎先生がバリバリのときの観客はもうだいぶいらっしゃらないわけですから。昔のままをただ守ってやる、といのもなんだか不思議な気もしますよ。

粟谷 入れ替えなきゃいけない時期なのね。「昔の形式通り」を鵜呑みにするとシーラカンス化するよ。もっともいつまでたっても昔と同じ、という標本みたいなものも必要なのかもしれませんが・・・、私には似合わないなあ。(笑)

大倉 もちろん乱拍子というのは、当事者二人の緊張感は大事ですが、観る方がなんでこんなことをしているのだろう?というのがあれば、それ以上の説明は必要ないと思いますよ。

粟谷 そうですね

大倉 道成寺の石段上る、と言うのもあり、その他いろいろな考えを言う人がいてもいい、観る側が、何をしているのだろう?と自分なりの答えを見つければいい。だから国立能楽堂満席なら600通りの答えがあってもいいじゃないですか。

粟谷 そうね、私はね、どうぞご自由にお考えください、でいいのですが、それだけではなく、こんな見方もありますよ、という手引き、お助けアドバイスをするの事は今の時代には必要だと思います。少しサービス過剰かもしれませんがね

大倉 この人はこう言っていた、あの人はこんなことを言っていた、僕ならこんな風に思うというようにして・・・。あの乱拍子の時間というものは、それなりの対応があれば充実した時間に変わる、と言うことでしょうね。

粟谷 今回、大倉流にお願いしてやってよかった。大倉流で20分ほどで、「もうちょっと見たかったな、もうちょっとやってほしかったよ」と思われるぐらいが丁度いいのですよ、。

大倉 それはそう。

粟谷 乱拍子は究極な様式美の表現だと思います。鐘への執着心の抑制と爆発の繰り返しで、静の気持ちから動の女の激しい思い。当然、若い女と年増では違いがあるよね? 常ちゃんはたくさんの経験がおありで、お判りだと思いますが。(笑)

森  え! でも判るよ(笑)だがら面もなに使うか、と変わってくるんじゃないの。

粟谷 今回は若い女の気持ちで勤めましたが、伝書には「曲見」となっていますから年増女の気持ちで演らないといけないのでしょうが・・・年増はむずかしい。(笑)

森  おばちゃんはむずかしい?(笑)

粟谷 最近の喜多流は「増女」で演る方が多くなりましたよ。NHKのインタビューで、「本来は曲見です」と言ったら、その演能写真を見せてくださいと言われ、探しに探したら大村定氏の初演が曲見でされていたので、拝借しました、放送の時、ご覧下さい。

大倉 金剛流の古式というのは若い女ですよ。

粟谷 喜多流は「曲見」に「紅無唐織」が本来。

大倉 観世流は「近江女」ですから、もしかしたら若いというのは新しい演出なのかもね。

粟谷 今回拝借した唐織は観世銕之丞氏から、面は梅若玄祥先生からの拝借物です。どうでしたか?

森  上等なものを着ているなあ、と思ったし、前シテの面は喜多流では見たことないのが出てきたなと思ったよ。

粟谷 面は梅若玄祥先生に、「逆髪」はお恐れ多いので、その写し「白露」を拝借させていただきたいとお願いした訳、私には似合わなかった、という声もあったみたいですが・・・。

森  僕は似合っていた、と思ったよ。

亀井 私、青山銕仙会の虫干には小学校の頃からお手伝いに伺っていて、先代の銕之亟先生(静夫)にいろいろなことを教えて頂きました。虫干しも、たたんでしまうまでやらせていただきましたから、装束に直に触れています。あの赤地鱗模様の唐織のすごさは判りますよ。

粟谷 江戸時代のもので、近くで見るとあまり派手には見えないが。

森  鱗が飛び出て来るように見えたよ。

粟谷 あれは故銕之亟先生の出版された「ようこそ能の世界へ」で知って、NHKの放送ということもあって拝借出来たらいいなあ、と思ってね。



亀井 私、あれをたたんだことがありので、あのよさがわかります、重くないんですよね。

粟谷 本当に暁べえ、(観世暁夫=現・観世銕之丞)のお陰ですよ。父たちの西町とのご縁、父が寿夫先生や静夫先生、榮夫先生と親しくさせて頂いたそのお陰だと感謝しています。

亀井 ただし、あれは小さいですよね。

粟谷 そう小さいの。だから、観世銕之丞さんから「お貸しするのはいいのですが、小さいと思います、少し袖を出しましたがそれでも小さいと思いますので事前に着てご自分でご判断ください」と言われたよ。

森  暁べえは着れないだろうね。(笑)

粟谷 だから身体を装束に合わせたよ、腕少し曲げながら着たからね(笑)今回の鐘入りうまく綺麗に消えたでしょ? 相当に頭を打ちましたからね、まだ頭痛いよ(笑)

森  綺麗に消えたよ、相当頭強打したと思ったもの。

粟谷 鐘の中での物着は二人のアイのやりとりの間にやることは完了しちゃいます。だから今回は脇の語りは中でしっかり聞かせもらいましたよ。

森  あっ君のフェイスブックのお友達さんが、脇の語りを褒めてくれて嬉しかったよ。



粟谷 NHKが入ったから、常ちゃん倍返しで頑張ったんじゃないの?(笑)

森  そう、10倍返しで頑張った。(笑)

粟谷 お互い58歳、私も相当な頑張り方をしましたよ(笑)

森  そうね、俺も若くないから、品よくやろう、みたいなものもあったよ。




粟谷 後シテの垂れ髪は喜多流でははじめての試みでした。あれは梅若万三郎氏がやられていたのが気になって挑んでみました。賛否両様は当然ありますが、あれは今回の私の主義主張で、なに言われても構わない、やりたかったからね。蛇よりも女に重きを置いて演じたかった、その表現のひとつなの。

亀井 喜多流は「つかみ出し」をやります? 観世銕之丞(暁夫)先生が辰巳満次郎さんの会で満次郎さんが『葵上』をなさるとき、「つかみ出し」というのは『道成寺』にあるのですかと聞かれたんですが、「あれは女なのですから。そのままの方がよいのではないでしょうか。つかみ出ししちゃうと」とお話されていました。

粟谷 なるほど、狩野了一君が「般若の面のベクトルは上を向いていて、目は上に、口も上に、鼻も、角も上に向かい、鬘のつかみ出しでも上へのエネルギーですよね、全部上に行くところに垂れ髪の下へのベクトルがあるのは不思議に思いましたよ、まあ私自分自身は面白いなあ、と思ったんですが、と話してくれてね。

亀井 なるほど

粟谷 そう了一君の言われる通りなんですよ、でも私の狙いはそのアンバランスなところで女をアピールさせたかったのね。能夫は「つかみ出し」が好きではなくて、あまりつかみ出しをしませんね。これは銕仙会の影響かもしれないね。究極、本鬘ではな馬須(ばす)鬘で『道成寺』やりましたからね。



亀井 それは大槻文蔵氏が最初にやられたと思います。

粟谷 初耳。

亀井 青山に半書生みたいにして育ててもらったから、それこそ虫干しのことも面のこともそうだけれど、だから六郎先生でも、どうぞ広忠さん、持ってご覧なさいと、持たせていただいたり。それはもう静夫先生や暁夫先生のおかげです。面や装束を小学校のときから触らせていただいていたから。これから受ける影響は計り知れない。「逆髪」の写し「白露」あれも神秘的でよかったですよ。

粟谷 そう広忠君に言われると嬉しいよ。似合わないという御意見があっても、とにかく一度付けてみたかった訳よ。「して見てよきにつくべし、せずば善悪定めがたし」世阿弥の言葉通りだよ。



森  僕もいいと思ったけど。「祈り」のシテ柱での「柱巻き」のところさ、今までの喜多流ではあまり印象に残っていないんだが、今回は結構インパクトあったよ。なにかべっとり感、巻きついているっていう感じが出てたよ。あれがよかったよ。58歳の粘着感。ねばねばねばねば(笑)。

粟谷 喜んでいいの?(笑)。常ちゃん、シテ柱のところで鐘を見たあと下向いたら、脇の3人もう並んでいなかったじゃない。

森 あれ、そう?並んでいなかった? 申し訳ない。

粟谷  乱拍子というと幸流という風潮ですが、喜多流と大倉流との関係はどうなの?

大倉  実はね喜多七太夫は大倉六蔵がお相手をしたんですよ。江戸時代の本当の初期はずっと大倉流だったんですよ。

亀井 そうですよ。喜多七太夫のときは葛野九郎兵衛ですよ。

大倉 明治維新以後、14世喜多六平太先生、喜多実先生の時代になり幸祥光先生、幸円次郎先生のお力もあって、流れがそちらにいったんですね。大倉流はその間に観世流とのお相手が増えました。

粟谷 その時代時代に力を持っている方、偉い人の影響力は後の人間にいろいろな影響を与えますね。それが本筋であればいいが、そうでなくてもそうだと思ってしまうことがありますね。

大倉 歴史をよくよく調べると、これが正しいと思ったものが全然違ったりしてますから、歴史を学ぶことは大事にしなければいけないんですよ。

粟谷 喜多流はこのようにします、我が家はこうです、と言ってみても、調べてみると、あれ?ということありますからね。今回の最後幕に飛び込まなかったでしょ?

森  そうだね。

粟谷 あれ私のアイデアではなく本来の型付け通りにしたまでですから、古い型付け読んだら書いてあったのを取り上げただけのことですから

亀井 そういうこと沢山ありますよね。

大倉 置鼓から開発された乱拍子はもともと長く声を引くものでしたが、幸流さんがおそらく『道成寺』を作られた時に短い掛け声を新たに考案されて。僕もやるチャンスがあったらやりたいな、と思うけれど。まあ、さすがにそれはできないし。今回はどこまで大倉流の先祖帰りができるか!が、鍵でしたね。

粟谷 しっかり先祖帰りしたんじゃないですか。

大倉 だいぶしたでしょう(笑)。

粟谷 それは、よかったよ。

大倉 自分なりにこういう風にやっていたんだろうなという感覚は。たまたま金剛永謹氏とで今回下掛りが2回連続で、こんなの珍しいんですよ。

粟谷 今回は金剛さんよりは少しグレードアップされたのではないですか、グレードアップという言い方は悪いね、更に磨きがかかったと言うか・・・・。

大倉 そうそう。永謹氏とのときは、まだこっちも試行錯誤でしたからね。

粟谷 大倉流の本来の裏声をあまり使わないという新たな源ちゃんの取り組みに、ちょっと協力も出来たよね?

大倉 もちろん

粟谷 どうも長々と有難うございました。最後にこれは皆様にお礼ね。今ここに同席されていない、一噌幸弘さんにも、あとの二次会で会える野村萬斎さんにも、そして喜多流の皆様にもご協力いただいたことに本当に感謝しています。私が選びお願いした良いお仲間と『道成寺』が無事に出来て、それがNHK「古典芸能への招待」の公開録画となり放送も正式が決まり、最後に反省会までご協力いただいて有難うございました。このメンバーで来年の東北・仙台の仮称「萩能」でまたいろいろな新しい試みをして、能を広めていきたいので、ご協力よろしくお願い申し上げます。

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