厳島神社・神能で『猩々』を奉納


平成28年4月18日、厳島神社桃花祭御神事・神能で『猩々』を勤めました。『猩々』は能楽に携わる私にとって節目節目の曲となっています。
昭和38年(8歳)の初シテが『猩々』で、次に青年能楽師の目標とする『猩々乱』は昭和57年(27歳)に披かせていただきました。その後は平成4年(37歳)の「鳥取薪能」で『猩々』を勤め、今回は実に24年ぶりとなりました


『猩々乱』は体力を要する難易度の高い『猩々』の小書ですが、普通の『猩々』は演能時間も短く、特に難しい曲ではありません。催しの最後の祝言として、目出度く舞い納めるところに能役者の使命があるように思えます。
今回、敢えて『猩々』を選曲した理由は、自身の還暦を記念する気持ちの他に、来年お勤め下さる社中のお弟子様への模範能としたいというのが正直本音です。全身赤色の猩々緋を纏い恙なく勤める、28年度・神能の番組の最終曲を演じながら、自身の記念、そして次への継承、と思って無事勤め終えました。


では、『猩々』のあらずじをご紹介します。
中国が唐と呼ばれていた時代、金山(かねきんざん)の麓に高風(こうふう)という親孝行で評判の高い男がいました。彼はある夜、楊子の市で酒を売ると富貴の家となる不思議な夢を見ます。その夢のお告の通りにすると、次第に金持ちとなりました。すると高風のお店に酒を飲みに来る者が現れます。その男はいくら飲んでも顔色が一向に変わらないので、不思議に思い、ある日その名を尋ねると海中に住む猩々と明かして帰ってしまいました。
そこで高風はある月の美しい晩、潯陽の江(しんにょうのえ)のほとりに出て、酒壺を置いて、猩々が出てくるのを待つことにします。
と、ここまでの経緯はワキ(高風)の語りで紹介されます。
やがて猩々は下り端(さがりは)の特有のリズムで波間から浮かび出て登場します。そして高風と酒を酌み交わし舞を舞い、高風の素直な心を賞し、無尽蔵の酒壺を与えて消えてゆきました。


『猩々』の演出は、五流、さまざまなものがあります。喜多流では、通常の『猩々』で中之舞となるところを、「乱(みだれ)」という酒を呑んで舞うところを見せる特有の舞とする小書があり、そのものを題名にしている『猩々乱』や、「壷出(つぼだし)」という大きな酒壺を舞台正面先に置く演出もあります。
「乱」の舞は観世流の永遠の少年の妖精のごとき軽やかな動きに比べ、喜多流は腰を低くして壺から酒を汲んでは呑みを繰り返す、中腰状態が続く過酷な舞となります。強靱な足腰が必要となり、若き青年能楽師の身体作りに適した演出で、目標となっています。


使用する能面『猩々』はこの曲にしか使わず、真っ赤な顔色で笑みを浮かべているのは、気持ちよく酒を呑んだ表情をよく表しています。



今回、勤めて、『猩々』は還暦を超えた自分としては、決してやり甲斐のある曲ではありませんでしたが、人生の節目、興業の区切りに大人の能楽師が、祝言性を感じ身につけ勤めることで、「神への献上」という意味合いがあるのではないかと、能役者のルーツともなる精神の再確認が出来たことはとても有意義なことであったと感じます。厳島の女神、八百万の神に、そして私の周りにいる方々、すべてに感謝しています。       (平成28年4月 記)

写真 『猩々』シテ・粟谷明生
撮影        石田 裕