『梅枝』の「楽」を見直す

粟谷 明生



平成28年度・喜多流自主公演(12月18日)で『梅枝』を勤めました。
『梅枝』は『富士太鼓』の後日談です。
昔、天王寺に「浅間」、住吉に「富士」と呼ばれる二人の太鼓奏者がいて、二人は内裏の管弦の役で争います。結果、浅間が選ばれ、その後富士が殺害される事件が起こり物語は展開していきます。



『富士太鼓』は富士の妻が我が子を連れて登場する現在物ですが、『梅枝』の富士の妻は亡霊ですので夢幻能となっています。ワキも『富士太鼓』では、単に富士が討たれた事実を知らせる役人で、救いなど無縁なのに対して、『梅枝』のワキは衆生を済度せんと諸国をめぐる僧の設定で、救済や成仏といった内容が盛り込まれた夢幻能らしい作品です。
『富士太鼓』では宮中から指名された浅間の方が評判も高く、帝も感心されたほどで、当然、浅間が役をもらったと説明します。ただ浅間は田舎者の富士が自分と対等に勝負を挑んできたこと、また役争いに負けたにもかかわらず、まだ「自分の方が上手い」と吹聴していたことに怒りを押えきれず、富士を殺害してしまいます。富士の身の程知らず、身分不相応の振る舞いが悲しい結末を招いてしまうのです。富士の妻は帰らぬ夫を心配し、娘と共に都にのぼり、富士が討たれたことを知らされると、狂乱し太鼓を敵として打ちます。最初は母の乱心をとがめる娘も、この太鼓があるおかげで父が死ぬことになったと同調し、母娘、「打てや打てやと攻鼓」とばかり激しく太鼓を打ち続けます。恨みや復讐心といったものが劇的に戯曲されています。



一方『梅枝』は、浅間は富士が役を賜ったことを憎々しく思い殺害したと短く語り、浅間が役を賜った事実も、富士の非も語られません。時が経ち、置かれた立場によって事実が曲げられてしまうのは、昔も今も変わらないようです。
物語は、諸国行脚の僧(ワキ)が雨宿りに里女(前シテ)の家を訪ねるところから始まります。里女は一度は断りますが一夜ならば、と僧を迎えいれます。すると庵の中には舞楽の太鼓と舞の衣装があり、不思議に思う僧に、女は事情を話し弔いを願います。そう語るうちに里女に富士の妻の霊が降りてくるような、里女なのか妻の霊なのか、境目がわからない不思議な感覚にさせるのが、お能らしい仕掛けではないでしょうか。
『梅枝』は『富士太鼓』のような復讐心をあらわにしたものではなく、いまだに富士への恋慕の妄執に悩まされている、救ってほしいと願う妻の懺悔物語になっています。時間の経過が恨みや復讐心を昇華しているのでしょうか。『富士太鼓』にある太鼓を打ち続ける激しい動きは姿を消し、『梅枝』という優美なタイトルのように、復讐心よりは恋慕の情を梅や鶯に事寄せて美しく描く感じがよく現れています。



我が儘で野心家の楽人「富士」。その妻の、夫への恋慕を演者としてはどうするか、を考えてみました。
二曲の演出上で大きな違いは娘(子方)が登場するか否か、です。女の夫への深い愛情、その表現は、娘を伴う母親としてか、子を伴わず妻としての立場だけで表現するのかでは微妙に違うのではないでしょうか。そこで今回は妻としての女らしさをより強調させるため、従来の「曲見」や「深井」ではなく、少々老いを減らした「曲女」で勤めました。



また、「楽」の舞い方も、恨みや復讐心とは違う舞い方が必要で、子を伴わない妻の女心を表現するものでなければならず、ここが『梅枝』の最大の難所だと思います。
後シテは、ワキの僧が読経すると、舞楽の衣装(舞絹)をまとい頭には鳥兜をつけ男装した富士の妻の霊として現れます。
「憂かりし身の昔を懺悔に語り申さん」と始まるクセ、「残る執心を晴らして仏所に到るべし」と淡々と懺悔物語が続き、ロンギに入って懺悔の舞を奏でようと、夜半楽や青海波、花の越天楽、「歌へや歌へ、梅が枝」と気分が高揚し、遂に「楽」の舞となります。
「楽」の難しさは位どり、すなわちスピード感です。『梅枝』の「楽」は特殊でノリよく楽しい雰囲気になり過ぎてもいけませんし、かといって、ゆっくりベタッと重過ぎてもだめです。しっとりとしたなかにも「楽」の終わりの「面白や鶯の」のシテ謡に似合うスピード感、気持ちの高揚に沿うようなものに高めなくてはいけません。



喜多流の楽は5段構成ですが、最初に「掛り」という0段のようなものがあり、実際は6段構成です。撥を持って舞う演出もあり、『富士太鼓』の楽なら撥も似合いますが、『梅枝』は太鼓への恨みというよりは、妻の恋慕の執心に焦点を当てているので、伝書にもある通り、撥での舞姿は似合わないと思います。今回は先人たち同様に掛りの最後で撥を捨て、初(1)段目からは中啓で舞いました。

楽の前半は序ノ舞のようにゆったり、そして4段、5段になると「面白や鶯の」を引き出すような、ノリよく華やかな舞となります。『梅枝』は狂乱や復讐心よりは、お経のおかげで成仏できる、喜びの舞ですから、とにかく美しい舞姿が演者には必須だと思っています。



楽が終わって「面白や鶯の」のシテ謡。鶯の声に誘われて花の蔭にやって来たと謡い、「我も御法に引き誘はれて・・・」からは大ノリになり、狂乱の心を垣間見せ、「想夫恋の楽の鼓、現なの我が有様やな」と太鼓(作り物)をじっと見込みます。美しく舞いながらも、妻の心のうちには、そのような狂乱や激しさも隠し持っているのではないでしょうか。夫殺害事件から時が経っているとはいえ、執心を抱えていることには変わりないのです。

中入り前の「執心を助け給へ」やクセの「残る執心を晴らし」、ロンギの前の「執心を助け給へや」、ロンギの「妄執の雲霧」など、随所に執心という言葉が謡われ妻の複雑な心が感じさせられます。後シテの登場から楽へ、楽から終曲へと抑揚と一連の流れ。そして「思へば古を・・・」からは興奮がさめ、月を見、松風に音楽を感じ、静かにすっと姿を消す。『井筒』の終盤と同じ雰囲気で終わりたいです。



『梅枝』は祖父・粟谷益二郎の好演からしばらく演じられることがありませんでした。先代宗家・喜多実先生は参考曲とされていた数曲の一冊本をお作りになり、『梅枝』もそのうちの一曲として入りました。復曲にあたり、父・菊生に白羽の矢が当たり、一番手で昭和54年喜多例会で勤めています。その後は友枝昭世師をはじめ多くの人が取り組まれ、私も平成6年「妙花の会」が初演でした。最近では若い人も勤めるようになっています。昔この名曲がなぜ演じられなくなったのかは不明です。
私の初演では、夢幻能での楽をどう舞うか、が課題で、観世銕之丞家の教え「序ノ舞を舞うように丁寧にゆったり」を意識しました。友枝昭世師も従兄弟の能夫も楽にノリのよさだけではない序ノ舞風を入れることを試みていたので、私も同様に囃子方にもお願いし取り組みました。ところが、よい具合にいかず父に「楽が重すぎる!」と怒られてしまいました。私も少しやり過ぎだった、と反省し、今回はそのリベンジの気持ちを込めて勤めました。
今回は笛・松田弘之氏、小鼓・大倉源次郎氏、大鼓・亀井広忠氏と精鋭ぞろいで、私からは「楽の後の、面白や鶯の、に華やいだところがあるので、そこに上手くもって行けるような楽にしていただけたら嬉しいのですが・・・」と、その程度の話しかしませんでしたが、皆様、私の気持をよく理解してくださり、とても具合のよい楽となりました。ここに三人の皆様に感謝申し上げます。これで私自身も、初演のやり直しができたかなと、少し喜んでいます。

 

最後に、楽屋内の話を一つ。クセの場面で「夫ノ形見ヲ戴キの右手で頭をさす型」、「此ノ狩衣ヲで引分ヒラキの型」、「常ニハ打チシで巻きサシの型」とこの3つの型をすると死ぬ、と昔、父が話してくれました。この本意は、3つの型をすべてするとごちそうすぎて型が死ぬ、ということです。
「役者が死ぬということじゃないんだよ」と説明してくれた父。
実は、申合せのとき、この事を知りながらも3つの型をやってしまい、能夫に「3つはごちそうすぎ!」としっかり指摘されてしまいました。60歳を越えるとなかなか本当のことを言われなくなるこの世界。先人の教えと仲間の指摘を素敵だな、と思い知らされた『梅枝』の再演でした。
                 (平成28年12月 記)
(写真撮影) 
新宮夕海 巻頭 6.8
石田 裕 2.3.5.6.8
成田幸雄 7
粟谷明生 4