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(撮影 石田 裕)
『石橋』一人獅子を披く
粟谷 明生

中国が唐と呼ばれていた時代、所は霊場(仏教における霊地)、清涼山に千丈の深谷をまたぐ石橋がありました。橋の向こうは、文殊菩薩が住むという浄土。
しかしこの橋、幅は一丈にも満たない狭さ、苔むしてツルツル滑り、足を踏み外したら谷底にまっさかさま、危険極まりない橋です。そこへ文殊菩薩の眷属ともいわれる獅子が現れて、橋の上を軽々と飛び跳ね舞って見せる、それが能『石橋』です。

第百回目の粟谷能の会(平成29年3月5日)では、粟谷能夫の大曲『伯母捨』が企画され、2時間半ぐらいの長丁場が予想されたので、私の演能は短く、それでいて豪華絢爛で楽しんでいただけるものをと考え、まだ披いていなかった喜多流独自の巻き毛の一人獅子を半能で披くことになりました。

(撮影 石田 裕)

『石橋』は一時途絶えていましたが、江戸時代初期に喜多流がいち早く復曲して以来、広く親しまれ、現在は五流にさまざまな演出で引き継がれています。
喜多流は親獅子(シテ・白頭)と子獅子(ツレ・赤頭)が出る「連獅子」と赤い巻き毛の頭を付ける一人獅子の演出があります。

私の『石橋』の演能は子獅子を7回勤め、平成21年の秋の粟谷能の会で親獅子(シテ)を披き、今回、一人獅子を披きました。私のように子獅子から親獅子、最後に一人獅子を披く流れと、子獅子のあとに一人獅子を勤め、その後に親獅子を披く順序を吉とする考え方もあるようですが、今は、その時代に合わせて指導者と当事者で自由に選べる時代に変わりつつあるようです。

(撮影 三上文規)

私自身は今回一人獅子を披いて、子獅子のきびきびとした俊敏な動きをまず学び、次に荘重で威風堂々、どっとしりした親獅子の舞い方を経験した上で、巻き毛の赤頭の一人獅子の敏捷性とどっしりとした威厳ある動きの双方を意識し勤められるのではないかと感じました。

現在喜多流は、獅子全体を大事にし過ぎて、『道成寺』を披かない、経験させないと子獅子に挑めない現況ですが、それはどうだろうか、と疑問を感じています。次世代の子獅子の披きが遅くなっている要因となっているのは確かです。

私自身も子獅子の披きは『道成寺』の後で34歳でした。子獅子は軽やかできびきびした動き、親獅子を上回る激しい動き、一回転半を軽々とこなせる体のキレが必要です。獅子の披きが遅くなっている現況を再考し、若いうちに子獅子が披ける環境を作るべきで、その方が、喜多流の隆盛に繋がると思うのですが・・・。

(撮影 石田 裕)

話を舞台に戻します。
囃子方や地謡陣が着座すると、紅白の牡丹を華やかに飾った二台の一畳台を運び入れます。伝書には、二台をピッタリ合わせて前後に置くように書かれていますが、最近は二台をやや左右にずらして、舞台上に広がりを出すようにしています。私もそのような置き方にしました。さらに立体感を出すために二台を前後に少し離すこともありますが、これは難しく危険を伴います。
演能後、牡丹が邪魔してシテの動きが見えなかったとのお話を伺いました。
確かに現在の作物は牡丹の花房が密集しているため見づらいようです。ご覧になる方々に配慮し、もう少し間引いて、牡丹の花の間からもご覧いただけるように改善の余地があることを知りました。

(撮影 新宮夕海)

『石橋』の獅子の構成は、乱序の囃子が始まり、シテ・獅子の登場となり舞います。この乱序からはじまる演奏部分がより一層舞台に緊張感を漲らせます。
笛が高い調子で吹き上げ、大鼓、小鼓の叫び吠えるような荒々しい掛け声、太鼓も加わって激しい演奏となり、幽山深谷のすさまじさを表現します。途中、「露の拍子」といわれる、太鼓と小鼓だけで囃されるところは、露がポツンポツンと滴り落ちる静寂な段となり、そしてまた、笛が吹き出し大鼓が加わっての大合奏となり、シテは幕をあけ、すっと出て一度止まり、左右の足を上げ前へ乗り込みます。橋掛りを真っ直ぐ進み、一の松前にて牡丹を見込んで、三度飛んでクルッと回転して足拍子を踏むと、本舞台へスピードを増しながら進み、一畳台前まで進み、直ぐにシサリ下に居て面を伏せます。ここまでが細かくいうと乱序です。リズムがない文字通り乱れた囃子、それにのって、獅子が登場する場面で、囃子方の演奏の聞かせどころでもあります。楽しんで聞いていただき、幽山深谷を想像していただきたいところです。

(撮影 青木信二)  

(撮影 石田 裕)

その後がいよいよ獅子舞、リズムにあった囃子になり舞となります。今回は九段構成で勤めました。近年は八段ですることが多くなりましたが、正式は九段です。細かく獅子舞の構成を説明すると、左へ右へと顔を振り、牡丹に戯れ、香りをかぎ、橋を想像させる一畳台に上がっては喜び戯れるイメージとなります。時折、吠えるように面を後ろに反る所作をしますが、これは獅子が口をあんぐり開けている感じの表現ではないでしょうか。

(撮影 吉越 研)

獅子は一畳台の上に上がったり降りたり、激しい動きをしますが、以前野村万作先生が「獅子はライオン、ネコ科だろ。ダンダーンとけたたましい音をたてて台に乗るのはどうだろうか?」と、耳元で言われたことは忘れられません。なるほどもっともと納得した次第ですが、いざ自分が、となるとなかなか難しいものでした。音を吸収させ飛び跳ねる、至難の技です。

(撮影 新宮夕海)

今回、大曲『伯母捨』の地謡で2時間半ほど正座した後で、肉体的にはかなりきつかったのですが、限界ぎりぎり精一杯勤め、おめでたい百回公演を締めくくることが出来たことに正直安堵しています。

『石橋』の半能というのは、前場がなくとも、豪華絢爛の獅子舞で十分楽しめ、能として、独立して成立する内容だと思います。それでも、石橋というものがどういうものであるか、分かったうえで、この半能を観ていただくと、より深みが増すのではないかと思い、今回は番組に前場の詞章をすべて掲載しました。
半能で謡われるのは、ワキの「もと大江定基といわれた寂昭法師である、ほうぼうの仏跡を参拝して廻り、今清涼山にやってきた、ここに見えるのは石橋のようだ、向いは文殊の浄土、詳しく尋ねて、この橋を渡ろうと思う」という短い名乗りのみで、すぐに獅子登場です。

(撮影 新宮夕海)

しかし、前場の詞章には、ここがいかに秘境であるか、石橋がいかにすさまじい橋であり、また徳ある橋であるか、ここを渡れば文殊菩薩が住む浄土に到るけれども、相当の修行をした僧でもそう簡単に渡れるものではないといったことが余すところなく書かれています。

(撮影 石田 裕)

前場もある演出で行った、平成13年の秋の粟谷能の会(親獅子:粟谷能夫、子獅子:粟谷明生)で、父・粟谷菊生が地頭を勤め、クセなど、『石橋』の世界を謡い尽くしてくれたこと、忘れることができません。中入り前の地謡の最後「向ひは文殊の浄土にて、常に笙歌の花降りて・・・」と花降り妙なる音楽が聞こえてくるのは、奇特が現れるきざし、もう少し待ってごらんなさい、菩薩の来現も間もなくでしょうと謡い、中入り後、期待が高まるなかで、文殊菩薩が乗るという獅子が現れるのですから、それは奇跡であり、めでたさの窮まりで、絢爛な獅子舞が一層躍動して見えることでしょう。

(撮影 成田幸雄)

今回、一人獅子の赤い巻き毛を、佐々木多門氏に巻き直し作業をしていただきました。細かい手作業を丁寧にやっていただき感謝しています。
装束付けも、前場が無いため中入り後の慌ただしさはなく、ゆったり準備ができました。次世代の方々が巻き毛を実際に触れながら、そのうち自分が勤めるときは、いつか自分も、と憧れをもってくれたらと、出を待ちながら思った「一人獅子」のお披きでした。
(平成29年3月 記)
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