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能『蟻通』は古い形を今に伝えていて、能を観なれた方でも少し分かりにくい能であるかもしれません。実際、ご覧になられた方から「よく分からないうちに終わってしまいました」という感想をいくつか聞きました。そんな古風な能『蟻通』を喜多流自主公演(平成29年11月26日)で勤めました。

「古風な能」、「古風な感じ」「この能は分かりにくい」と言われる方に、私はこんな風に演能前にお話しさせていただきました。



蟻通神社の明神様(シテ)が、近頃和歌で人気の紀貫之(ワキ)が神社の前を通るようだ、ちょっと会って言葉をかけてみたい、一つ仕掛けてみようと待ち構えます。すると、貫之の馬が急に倒れ伏し、シテの仕掛けに見事にはまってしまいます。そして、神の心を鎮めるための歌のやりとりをして、その後、貫之は歌の徳や自身の業績を自慢げに語ります。和歌の力で馬が起き上がったと喜び、これもややご自慢で、今度はシテに祝詞をあげてほしいと要求します。シテは快く祝詞を上げますが、和歌自慢をする貫之に、そもそも神楽というのは日本のダンス(舞)や音楽の始まりですから、ほらよく見ておきなさいと、イロエを舞い、教えます。貫之は感心し、ともに舞歌を讃え、喜びを分かち合います。蟻通明神と貫之の、歌や舞をめぐる楽しいひと時、明神のいたずら心が描かれている、と思って観ていただけると、素直に面白く楽しめるのではないでしょうか、と。

能『蟻通』はワキ(紀貫之)からの視線で物語が展開していく演出になっています。
通常、ワキは登場して名乗り道行が終わると、ワキ座に座って、シテの舞を見たり語りを聞く役目ですが、『蟻通』は特異で、道行の後、馬が倒れる場面を動きある型で演じます。また、クセでは通常、シテが物語を語るのですが、『蟻通』では和歌の徳やワキ自身の和歌の業績までも語り、シテに聞かせる設定です。また通常は中入前に、ワキがシテにあなたは何者かと聞き、シテは○○の化身とほのめかして消えることが多いのですが、『蟻通』ではシテがワキに「如何なる人にて、わたり候ぞ」と聞いていて、これも特異です。クセの後半、馬が元気に起き上がる様子もワキが立ち上がり動いて見せるというように、いろいろな場面で、シテとワキの役割が逆転しています。



このようにワキが活躍する演出は現存する能では無い訳ではありませんが、稀少です。
私は稽古を重ねるにつれ、シテとして、なにか物足りなさを感じました。居グセなどは通常、地謡を聞きながらも、シテの思いを語り伝えるための心が入り、そこに微妙な心技の動きが生まれますが、『蟻通』では物語をただ聞くだけの受け身で、シテの気分は全く違います。



『蟻通』の作者は世阿弥と言われていますが、世阿弥の風が確立する前の古い作品ではないか、または演能記録があっても、それは好んで演じたのではないのでは、きっと世阿弥自身、演じて満足してはいなかっただろう、と稽古しながら勝手な想像をしてしまいました。そしてもしかすると、その物足りなさが、能の完成形ともいわれる複式夢幻能を創り出す要因になったのでは、と思い巡らしています。



では、その古風な能がなぜ今に伝えられているのでしょうか。
それはご覧になるお客様がご存じなのかもしれませんが、演者として感じたことは、演じる側の都合もあるのではないだろうか、能役者の成長の上で、ある年齢に到った者への練習課題曲(ドリル)というような意味合いがあるのでは、ということです。
若者では歯がたたない曲で、ある年齢になった人間が、この老人をどう解釈するか、どのような役割を持つ人間なのか、それをどう表現したらよいのかと探究しなければならない曲だと思えるのです。



左手に傘を持ち右手に松明を振りながら登場するシテ宮人の佇まい。
「申楽談儀」に「能に、色どりにて風情に成ること、心得べし。蟻通など、松明振り、傘さして出づる肝要ここばかり也」とあります。この出で、宮人の風情を創り出し、雨が降る暗い神域を感じさせる謡い出しの「瀟湘の夜の雨、頻りに降って、煙寺の鐘の声も聞えず・・・」からのシテ謡が肝要で、口伝の謡です。雨が降っているとの状況描写から、蟻通神社が真っ暗で見えないのを嘆き、灯しの光も見えない、祝詞をあげる声も聞こえない、神職たちは何をしているのだ! 怠慢だ! と徐々に怒りがこみ上げてくる老いた宮人の声が客席に届くように謡わなくてはならず、私はここで既に蟻通の神が憑依していると解釈して演じました。



『蟻通』のシテが舞う「イロエ」は「舞」の基本となる非常に重要な動きです。
その動きは足拍子が入るものの、まず舞台を左回りに一巡し一区切りとし、さらに右回りして元に戻る、という二段構成のシンプルな舞です。初めてご覧になる方は、夢遊病者のような可笑しな動きと思われるかもしれません。
しかし、この一連の動きこそ、「我が日本国の最初の舞とはこうである!」と蟻通明神が宮人に乗り移って、申楽の能としての「舞」の原型を披露すると理解して演じました。



「イロエ」の動きに移る前に、シテは「神の岩戸の古の袖。思ひ出でられて」と謡いますが、これは天照大神の岩戸隠れの伝説の、天鈿女命(あまのうずめのみこと)が舞ったことが思い出される、と謡っていて、この時の舞が日本最初の舞といわれています。
申楽の能の舞は時代を経るに連れて複雑化していますが、はじめはシンプルな「イロエ」の2段構成からはじまり、それ以後の舞物の構成は、0段+5段の6段構成(喜多流)へと膨らんでいきます。ですから「イロエ」は舞の根本、ルーツです。そこを理解した上で、単純な動きであっても能役者は意識し力を注がないといけないのだと勉強しました。


 
『蟻通』を勤める前は、ワキの貫之ばかり活躍して、シテとしては遣り甲斐のない曲かななどと思っていましたが、取り組み始めると、いろいろ面白い発見があり楽しくなります。
大切な謡いどころである最初のシテ謡「瀟湘の夜の雨・・・」は、静かに抑揚をつけてなどの教えはあっても、具体的に誰かに習って教えていただくというものではありません。もちろん過去に演じられたものなどを参考にできるのですが、『蟻通』のように喜多流であまり出ない曲の場合は特に、自分自身で「創る作業」が必要となります。ある年齢を過ぎたら、師に習うだけでなく、自分自身がどう能を創るかを考え、どう謡うかを創っていかなければならない――と知ることだと、今回特に実感しました。

実は次に勤める『卒都婆小町』にも通じることで、これは『蟻通』を勤めたお陰での、神のご褒美かな、と感じています。何でも真摯に取り組めば自らの演能の肥やしになります。
先代の観世銕之亟先生が「どんな能でもやればやるだけ面白くなる。でも終わるとすぐ次の曲が気になる、その繰り返しでいいんだよ」と言っておられたことが思い出されます。
そうなんだ、といま私も同感、この言葉が励みになります。

『蟻通』を面白く勤め、演能レポートも書き上げ、さあ今度は『卒都婆小町』(来年3月の粟谷能の会)と、今、気持ちはそこに向かっています。

写真提供 撮影 石田 裕
蟻通 シテ 粟谷明生 ワキ 殿田謙吉                     
(平成29年11月 記)
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