阿吽33 思い思われ見る夢は 粟谷能夫
『井筒』 シテ 粟谷能夫(平成23 年10 月9日 粟谷能の会) 撮影:吉越 研
「恋しき時は烏羽玉の、夜の衣を打ち返し、夢にも見るやとて、まどろめば由なや・・・」
これは能『鳥追船』の一節です。訴訟のために都に上って十年も帰らぬ主人を待つ妻の行動を示しております。せめて夢にでも出てきてほしいと願う女心。思い思われ見る夢とは、自分が相手を思うので見るか、相手が自分を思っているから見るのか、二つの見方があったようです。中世には寝るときに着物を裏返し着れば、恋しき人の夢が見られるとの習俗があったことも知られています。
仏教では聖者は夢を見るが、仏は夢を見ないのだそうです。
現在では、夢の多くは視覚的性質をもち、覚醒時の刺激の残存や身体内部の感覚的刺激に影響されて起こるものとされ、思い思われ見る夢を期待するには、少し味気ない感じがしますが、中世には現在の見方とは少し違った感覚があったものと思われます。
違いはあっても、物を思う人間の感情は不変であり、昔も今もそこに物語が存在するのだと思います。能はその物語を掬い上げ、物思う人間の心のひだに分け入ります。
着物を裏返し着れば恋しい人の夢が見られるという習俗は、現在にはありませんが、この夢想は現代人にとっても魅力的で、憧れを抱かせます。
このように、昔と今では習俗の違いがあっても、共感できるものも多く、能に描かれるそれらの習俗は、現在にも新鮮に映るのではないでしょうか。
能面をつぶさに見ると、その中にも昔の習俗が多く残っていることに気づかされます。女面や貴人の男面には引き眉やお歯黒といった化粧がしてあります。これらの化粧は貴族の女性の間で盛んで、後には、公卿や武家などの男性にも行われ、元服の頃より用いたようです。近世では女性だけがつける習慣となったもので、江戸時代の頃になるとお歯黒は既婚の女性に限られるようになったようです。
女面は、中世の風習によっているので、年齢によらずそういった化粧がしてあります。また能『葵上』などに使用する泥眼という面にはお歯黒の上に一部金泥の彩色がほどこされており外へ向かう強い意志を感じさせられます。
化粧によって、その人の個性や意志を表現するということは、昔から行われてきたことで、とりわけ、一つの面ですべての感情を表現する能面においては、細心の注意を払って施されたものでしょう。現在の若い女性の付け睫毛や髪染めなども自己主張の表れなのか…。能を通して、現代と中世を行き来し遊ぶ、これも一興ではあります。