阿吽21 『松風』の恋慕と追憶 粟谷明生
『松風』は平成七年の研究公演で披きましたが、いつか粟谷能の会で勤めたいと思っていました。今年は丁度十年ぶりにその機会を得ることができ(平成十七年十月九日)、初演では挑めなかったことにも取り組みたいと考えました。
まず面の選択です。喜多流は本来、シテもツレも小面を使用しますが、かわいい清楚な感じの妹役の村雨に対して、行平への執心をいつまでも引きずる艶な姉の松風を小面で表すのは難しいのでは、それなりの大人びたお顔でなくては、と考えました。今回は姉と妹の違いを明確に出すことが狙いでもありました。
実は前回の研究公演でもシテは眉の銘のある万媚(まんぴ)系、ツレは小面としましたが、あまり良い結果ではなかったように感じました。今回はよりいっそう姉色を浮かび上がらせるべく、シテの面に宝増女を選びました。銕仙会系統では増女を使用するとのお話が私を後押してくれました。面に伴い烏帽子も、小洒落た黒い小立烏帽子の方が大人びた感じを演出し引き立つのではと思い、敢えて華やかな金風折烏帽子を選択せず、小立烏帽子としました。
再演でもう一つ考えたのが小書演出です。当初は「戯之舞」でと考え、資料集めも始めましたが、演出上の問題もあり(後述)、囃子方を勤めてくださる小鼓の大倉源次郎さんや大鼓の亀井広忠さんの「戯之舞より、見留の方が魅力的!」の助言もあって、「見留」にしました。破之舞の留めに橋掛りに行き、扇をかざし松を見る型になります。
『松風』は長丁場の曲です。シテは中入りがない長丁場を、終始気を抜くことなく緊張を持続させ、しかも観客を飽きさせず舞台に集中させなければなりません。それには体力と気力の充実が必須条件となり、シテ方にとって『道成寺』に劣らぬほどのタフな大曲といわれる所以です。
この長丁場を、シテは三つの段落に分けて演じます。第一の段落はワキ(旅僧)の名乗りから塩屋に入るまでの汐汲みの情景描写、第二はワキとの問答から行平の形見への思いの段まで、第三は形見を纏い恋慕の思いに狂喜して中之舞、破之舞を舞い、そして終曲します。
三つの段落に分かれているのは、この『松風』という曲の成り立ちからもうかがえます。『松風』は田楽能古曲『汐汲』がもとになり、第一段落の最後、「汐路かなや」で留め拍子を踏むところからも、あの場面までが『汐汲』に当たり、そこで終曲していたことがわかります。その後、観阿弥が汐汲みする二人の乙女に行平という男をのせて『松風村雨』という戯曲に作り変え、世阿弥がさらに、そこから村雨を取り除いて『松風』とし、姉・松風に焦点を当てたものと考えられます。
第一の段落は、ワキ(旅僧)が出た後、真之一声の荘重な出囃子にて二人の汐汲女が登場します。ここからが旅僧の夢の世界となり、真之一声は夢への架け橋となります。その導入部分を真之一声にしたのは作者観阿弥や世阿弥の思い切った手法であり、効果満点だと思います。真之一声とは一般に脇能の前シテ・ツレが登場するときの囃子ごとですが、脇能以外で使われるのは喜多流ではこの一曲、『松風』だけです。脇能の荘重さとも違う、重苦しい雰囲気は二人の汐汲女の賎の業、汐汲みというきつい重労働と、苦悩の深さをよく表現しています。真之一声で登場することで、作者がこの曲をどう改作し造形しようとしたかが感じ取れ、後の伏線になっていることが意識させられます。
二人の汐汲女(シテ・ツレ)が登場すると、橋掛りで向かい合い連吟となります。離れた二人の演者が声を揃えて謡うことはもとより難儀ですが、真之一声のため、じっくり重々しくと、いきなり難しいところから始まります。ここは騒がしくなってはいけませんが、去勢されたような気のない声では、「汐汲車、わづかなる、浮世に廻る儚さよ」が観客に適切に伝わらなく不合格といわれてしまいます。『松風』では、この出だしだけでなく、シテとツレの連吟や掛け合いが多く、お互いの気持ちを一つにしなければ、よい舞台は成立しません。私はツレの経験を通して、『松風』のツレはシテと拮抗するぐらいの力を持たなければいけないと感じます。またそう教えられてきました。そこでツレの大島輝久さんには、これまで私が習い覚えたツレの心得をできる限り伝えたいと思い、特にこの真之一声の「汐汲み車・・・」は、しっかりと芯の強い謡で、お互いの謡がしっかりと響きあうように謡おうと話しました。
第一の段落は、男と女の恋物語に入る前の静かな秋の須磨の浦の情景描写です。「『湯谷』『松風』米の飯」といわれるように謡のお稽古でも広く好まれ、愛好者が名調子を披露されるところです。しかし、あくまでも重苦しく、深層に執心の罪を背負った二人の汐汲女の次からの物語を暗示させるものがなければならないと私は思っています。
中盤は塩屋での旅僧との問答から始まります。『松風』は在原行平という男が姉と妹という二人に同時に愛を与えたために起こる話です。身分を越えた最下層の女たちが、中納言の職にある色男の伽の指名を受けた喜びと衝撃はその後の姉妹の心に重くのしかかります。身分の違いもさることながら、男一人に二人の女性、それも姉妹という複雑な関係がこの戯曲の面白さでもあります。待つことを諦め、執心の罪を悟っているかのような冷静さを持つ妹の村雨、それに対し周りの環境に感化されやすい情熱的な姉。恋慕のあまり追憶に浸り、まだ待とうとします。この二人の性格の違いがこの戯曲を最後までひっぱっていきます。
クドキの最後には、「三年が過ぎ、行平様は都に帰られた、そしてそれから少し経ってお亡くなりなったらしい。ああ恋しい」と松風は待つ女の悲しさを切々と訴えます。シテが最も力を尽さなくてはいけないところです。
史実を知ると夢がさめつまらなくなりますが、行平は実際七十五歳まで長生きしています。能では都に帰ってまもなく亡くなったことにして悲壮感を出し「あら恋しや、さるにても」の謡に続けています。この想いを募らせる謡がうまく謡えなくてはいけないと指導されるところでもありす。
死者になった行平だからこそ、同じ境遇である自分もまた会えるかもしれないと、松風はひたすら待ちます。執心の罪を負いながら、まだ「待つわ」「会いたいわ」と一途な松風だからこそ「あら恋しや」の謡が重要で昂ぶりや狂気・追憶とも取れる舞へとつながるのではないでしょうか。
そして行平の形見を抱いて、恋慕の情をつのらせる松風。ここはよい型どころで、先人たちはもっとも女らしいしぐさで型を見せてきました。自分も、と思うのですが、なかなか上手くいかない至難の型所です。
今回『松風』を演じて、一番難しかったのはこの中盤です。松風の恋慕の情の訴えかけ、物着以降の狂乱へとつなげるための大切な場面です。ここが演じ切れれば高得点で合格だと思いますが、さて自分はいかがなものでしたか…。
終段は物着の後、磯辺の松を行平と思い、近寄ろうとする松風に、村雨が「あさましや」と鋭く制止する場面から話はエスカレートしていきます。ここにも理性的な村雨と、恋慕の情がまさり、物狂いとなる松風との違いがはっきりと現れます。『松風』という曲はともすると松風ばかりを考えてしまいますが、この妹役のツレは大変重要で舞台での影響力が大きい位の高い役です。私は理性が働く村雨役を経験してこそ、姉の一途な想いが理性をも撥ね退けるほどのエネルギーに変えられるのだと思っています。
そして、終盤「立ち別かれ」の地謡でイロエ掛の中之舞となります。形見の長絹、烏帽子を身に纏った松風は恋慕の舞を舞います。続く破之舞は『野宮』と同じ二の舞として、短いながらも主張のある舞です。ここに松風自身の思いが凝縮されていて最も大切な舞です。最初に検討していた小書「戯之舞」は、この中之舞と破之舞を合体させる演出で、私の破之舞を際立たせたい思いとは違ってくるので、今回の断念の一因ともなりました。
舞ううちに夜が明け始め二人は何処ともなく消えて行きます。小書「見留」では脇留(わきどめ・ワキが常座で留めて終わる)になるため、シテ・ツレは「夢も跡なく夜も明けて」までに幕に入ります。父は「故金剛右京氏のそれは風が吹くようにすーっと走り込んですばらしかった」と口癖のようにいいます。しかし正直国立能楽堂のあの長い橋掛りを綺麗に、短い謡の詞章の中で幕に入り込むのは至難の技でした。曲が終わるまでにシテ・ツレが舞台から掻き消える演出は、いま目の前にあったものは夢・幻だったと思わせてよいのですが、走り去るようでは夢の醒め方に趣がありません。ここはシテも地謡も囃子も含めて再考の余地があるように思えました。
私は二十代から幾度となくツレを勤め、足のしびれをじっと我慢しながら、理性が働く村雨として、情熱的な姉を見つめてきました。妹の村雨役を経験・習得してはじめて、一途な想いのエネルギーを持った姉、シテ役が廻ってくるのだと信じツレを勤めてきたのです。大先輩の心に沁みる言葉「私にとって『松風』はずーっと『村雨』でした、最近ようやく『松風』になりました」、は私の言いたいことをズバリ仰っていて心に残ります。今回、姉と妹の性格づけをきちんとしようというのが最初の思いでした。面の選択もそのためです。それは村雨として『松風』への思いをためてきたからこそ、そこへ向かったのだと思います。何度も地謡を謡い、ツレを勤めて・・・と、そうでなければ真にシテを演じることはできない、そういう積み重ねや経験の大切さを、今回は『松風』のすみずみ、いたるところで感じることができました。