阿吽38 いにしえの「頼政」専用面  粟谷能夫

「粟谷家所蔵能面選」刊行後、様々な機縁が生じています。先日は、横浜能で能『頼政』を舞わせて頂きました。使用した面は、能面選にも掲載の作者不詳の古い面で、頬の皺など、宝生流の面に近い表情が有り、古色を帯びながらも、強い骨格を持っている、「頼政」の専用面です。昨年の当家の能面の調査がきっかけで、それまで捉えきれていなかったこの頼政面の、表情の深層に踏み込む気持ちが生じました。傷みも有り、久しく舞台上で使われたことのない面でしたが、その風貌は、一見老人の顔と思いきや、強い意志を感じる眼差しや老将の威厳も持っており、時を経て何をか言わんとするその表情には、魅せられるものがあります。舞台でどう活かせるか、期する所が膨らんでおりました。主人公の源頼政は、高倉宮以仁王に謀反を勧め、平家追討の令旨を出させた人物です。しかし、謀が露見、宮を戴いて敗走し、宇治の平等院に辿り着いた所で、追手の平家軍と宇治川を挟んでの戦いとなります。敵方の見事な戦い振り、頼みの息子達の戦死、敗色が濃厚となる中、これまでなりと覚悟を決め、頼政は自害して果てます。辞世の句として「埋もれ木の花咲くこともなかりしに、身のなる果てはあわれなりけり」を残しています。この能は世阿弥作で、頼政は文武両道の老体の武将として描かれています。頼政像を描くにあたり、従来喜多流では「出目家形」といわれる頼政面の使用が主流でした。これは修羅の有様を高揚感を持って表現するには効果があります。この度は、面の力を借りて、老将の風格や、瞋恚の有様、敗者の苦渋や無念といった、台本そのままが出せればと、旧い作者不詳の面で挑戦いたしました。冒険でもありましたが、まさに面に導かれたということになります。粟谷家所蔵能面の調査にあたって頂いた大谷節子氏が、〝「頼政」面を遡る〟という論考を発表されており、面の発生から変遷を辿られていて、大変興味深い内容でした。頼政面のような「専用面」は、他に『山姥』、『景清』、『鬼界島』、『弱法師』、『蝉丸』などにもあり、いずれも強い個性が表現されています。過去の面打師がどのような思いでその個性と向き合ったのか、想像するだけで楽しくなります。現在の能は、現在に生きる我々が教えを受け体得した芸をもって舞台上で表現している訳ですから、必ずしも古面が今の舞台で使えるとは限りませんが、歴史の縦糸で伝統が繋がれているのは感じることができます。時を旅する、伝統芸能の面白さです。

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『忠度』 シテ 粟谷能夫(平成26 年3月2日 粟谷能の会) 撮影:前島写真店

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