阿吽11 「鞍馬の花見」粟谷菊生

子供が初めて能の舞台に出るのは大抵、鞍馬天狗の「花見」としてです。鞍馬山の東谷という想定の橋懸りを子方の牛若丸を先頭に花見に行く平清盛の子供達。この稚児たちを我々は「花見」と呼んでいます。長袴をはいて舞台にゾロゾロと出てきて、ちょっとの間、座っているだけのものですが、これが初めての能への参画ということで後々まで深く脳裏に灼きつくのです。三歳ぐらいの子供が長袴をはいて出てくると舞台では豆粒みたいで、歌舞伎の子役の初舞台と同じように、それだけで可愛いものです。ワキが「花は明日にても御覧候へ。まづ此の所をば御立ちあらうずるにて候」と花見たちを帰すのですが、先代山本東次郎師の能力(アイ)が「もーし、苦しからぬことにて候」と一人ずつに顔をのぞき込んで言うのを、その大きな声に馴れていない花見の一人が吃驚して立止まってしまい、帰ろうとしないので、あわてて小さな声で「行ってもいいのですよ。歩いていくのですよ」とその子に言って、再び「も-し苦しからぬことにて候」と大声で一人ずつにくり返しました。又、花見の一人が舞台で動けなくなってしまってワキが抱っこして退場したという珍景もありました。喜多流は或る時期、男の子の出生率が非常に低くなった時がありました。これで後に演能の曲目を選ぶに当たって子方の要らないものを探さねばならない事となりました。親が『鞍馬天狗』のシテを演る時に子供が花見として初舞台を踏むというケースが多いのですが。今回春の粟谷能の会では私がそのシテを演じることになりましたが、「菊生先生の『鞍馬天狗』なら」と大勢の花見が出てくれることになり、孫の尚生も子方(沙那王)として出るし、老体は今から心はずませております。私の予知できない未来を握っている此の幼い子供たちに、前の時代から次の時代へと承け渡してゆく伝統というものを如実に見る思いがしますし、喜多流の将来にも明るいものを感じてまことに幸せです。

koko awaya