太鼓について

このホームページの「囃子方の楽器」の最後は、お能で最後に登場する太鼓です。

太鼓方は観世流と金春流の二流がありますが、金春流宗家の金春惣右衛門氏と僕とは、竹馬の友であり、観世流宗家の観世元信氏とは1954年日本初の海外演能となる、ベネチア、ビエンナーレ国際演劇祭に御一緒に参加した仲で、この名人達者のお二人に育てられた人達が今、立派な舞台を勤めている事は心強い限りです。

さて、太鼓は一目瞭然、嵩(かさ)、目方、共に一番大きく、昔は弟子に持って貰える少数の人以外は、持ち運びがなかなか大変でした。今は車のついた旅行用の鞄を用いたり、自分の車で移動出来る便利な時代になりました。

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戦争中(第二次世界大戦)、食物が欠乏し、お米を手に入れるのも容易ではなかった頃の面白い話を一つ。能楽師も御多分に洩れず、ひもじい思いをしておりましたが、お勤め料(出演料)が「お米で何斗(と)」(斗は一升の十倍)という時もありました。これは当時は有り難い話なのですが、食糧の配給制度下のことですから、正規のルート以外にお米が流れるのは御法度で、折角頂戴したお米も、無事持って帰ってこられるかどうかは、その時の運次第。厳しい検閲にひっかかって没収されてしまうのです。ところが不思議ことに、無事通過してお米をしっかり持ち帰る人が二人いました。一人は先々代家元の故喜多六平太先生と、もう一人は金春流太鼓の柿本豊次先生。六平太翁は長い靴下にお米を入れてご自分のふんどしにぶらさげてくるのです。想像しただけでも滑稽ですが、小さな身体の老人が少々おかしな歩き方をしていても疑われなかったのでしょう。一方、柿本先生の方は、太鼓の胴にお米をしこたま詰め込んでくるのですが、警官は太鼓が本来どの位の目方のものなのか、知る由もありません。平素、お荷物になって申し訳なく思っている太鼓が思はぬところで、ご主人様のお役に立って「太鼓の恩返し」というところでしょうか。

ちなみに金春流と観世流では胴の大きさが違います。金春流の方が胴の高さが少し高いのです。従って締め方も違って、金春流は舞台の上でも締め直すことがあります。しかし今は観世、金春共に道具の画然とした使い分けは無くなっているようです。

(写真 柿本豊次氏「吉越立雄写真集 直線の美」より)

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