我流40 『巻絹』 『木賊』について
『巻絹』 シテ 粟谷明生 昭和55 年4月26 日
青年喜多会 撮影:あびこ喜久三
明生 今回も、今度の粟谷能の会(平成三十一年三月三日)に勤める演目、『巻絹』(シテ・粟谷能夫)と『木賊』(シテ・粟谷明生)について話していきましょう。
能夫 僕が『巻絹』を勤めたのは昭和四十二年、十八歳のときです。今からもう五十年以上前のことになるね。思い出すのはスキーに行くときに、『巻絹』の謡本を持って行ったこと。昔はいつも謡本を持ち歩いていて。空いた時間があれば、謡っておこうと、思っていたんだね。
明生 偉いですね。
能夫 スキーだけではなく、いつも能の舞台を背負っていたい、そういう精神だった気がする。心配症なのかも。骨折してはいけない、捻挫もだめ、とか。スキーや他の遊びに行くときも、能のことを思っていたことを思い出すよ。
明生 役者は常にそういうものを背負っていないといけない、ですね。それから五十年ぶりの『巻絹』です。
能夫 あのころは何も分からずに演っていたんだなあ、と今つくづくと思うよ。親や実先生に言われるままに、ただ夢中で、ね。あれ以来『巻絹』を演っていないんだなあ。
明生 『巻絹』は喜多流では、それほど演じられない曲ではないですよね。私も二回勤めています。
能夫 そう、若い時に必ず一度はやらされるね。稽古過程で神楽を舞うという経験をしておかなくてはいけない曲。それも神楽が五段神楽ですから。五段は『巻絹』と、『絵馬』の天女の舞ぐらいしかない。五段神楽を習得するのは結構大変だからね。
明生 自分もそうでしたが、能『巻絹』を舞うというよりは、神楽の体得、とにかく神楽の拍子を間違えないで舞う、それが第一、と思って勤めていたような気がします。
能夫 まさにそう。何も分からずに、そういう特殊な音楽に身をゆだね、しっかり舞う、という課題だったね。
明生 能の舞でのことですが、中国物は「楽」を舞い、日本は「神楽」ですよね。二曲とも、笛が独特な音色で奏でますね。序之舞や中之舞、早舞などが「呂中干」四クサリ一ブロックの形式で構成されていますが、楽や神楽は全く違う構成です。若い時、これらで舞う曲目を稽古曲として選んでいただくとレベルが上がったなあ、と喜んだものです。私が神楽の唱歌を歌うとお弟子さんが、「韓国ドラマのチャングムに流れてくる音楽に似ている」と笑うのですが、「神楽は日本の音楽ですよ」と言っても、にこにこ笑われて舞われていたのを思い出しました。もっとも、日本の音楽といっても、大陸から伝わったものをミックスして作られたから、中国や朝鮮、韓国の雰囲気があってもおかしくはないのですが、稽古で聞きなれた呂中干の音とは違う世界を知るわけです。先輩も後輩も青年喜多会で経験させられますね。神楽をマスターしないと次の「楽」に進めない、そのような学習過程があったように覚えています。
能夫 『巻絹』のツレ役、これも若い時分の重要な役だね。
明生 そうですね。このシテツレの男は、巻絹を献上するのに一人遅れてしまう。その遅れた理由が、三熊野で音無しの天神に詣でて、梅の花が咲き乱れているのに感動して歌を詠んでいたから、というのですから粋な設定です。
能夫 だけど、遅れたのはいかんということで縛られてしまう。そこにシテ(天神の巫女)が現れて、その男は神に歌を手向けてくれた、それで遅くなったのだから、その縄を解けと言うわけだよ。
明生 ツレの男はシテを登場させるために重要な役どころですね。その後の展開で現在物の芝居心もあるし、和歌の徳を賛美するという一面もある。
能夫 だから、ツレは詩的な世界も持っていないとね。新鮮というか清冽で真っ直ぐなところもないといけないし、謡で前半の物語を作らなければならない。
明生 このツレを上手に勤めるというのも青年時代の課題でした。
能夫 今度二回目の『巻絹』を勤めるにあたって、千疋もの巻絹をなぜ熊野に献上しなければいけなかったかとか、あと、この能の舞台が熊野という神域であることを考えてみたいね。熊野、吉野、那智、音無し川とか、神仙な土地柄でしょ。
明生 音無し川はよく氾濫しました。だから人々はどんどん上に上にと山に上がって行き…。
能夫 あれほど険しいところに、上皇や天皇が御幸するんですよ。後白河法皇も何度も行っている。何十日もかけて困難な山道をたどるわけです。
明生 よく行きますよね。峻厳な山道なのに。
能夫 熊野には場所の力みたいなものがある。すごいパワースポットなんですよ。神域という意識がある。あんな難所に、財力を投じて行くわけだから、何かある。そこが面白いですよ。その辺から切り開いていきたいね。
明生 最初はそうやって訪ねていくところですが、そのうち、失脚した人たちが籠る場所にもなりますね。吉野とか熊野という土地は確かに興味深いです。
能夫 両面があるね。熊野の神秘的な空間を感じて、そして神楽や、巫女に神が乗り移る物狂いを演じなければね。リズム感、ノリの良さ、原初的で本質的。自然に委ねるという気配。自然が原点だね。世阿弥は夢幻能を創造し、僕もそれに夢中になったけれど、『巻絹』は世阿弥の一時代前、観阿弥の作かとも言われるが、古作の能で、この原初の感じ、今になってそのよさも分かる気がするんですよ。
明生 古作の能は単純だけれど、世阿弥の能とは違う魅力が確かにありますね。
能夫 装束については、うちの流儀で常は大口袴に肩上げの水衣ですが、「替装束」の小書になると大口袴に長絹を着て天冠を付ける。他流はいろいろなやり方があって、腰巻で水衣の狂女物みたいな格好もあるし、緋の大口袴で水衣、長絹というときもある。今回は『巻絹』の可能性をもう少し尋ねてから決めようと思っています。
明生 私は初演は常の装束で勤め、二回目は腰巻と長絹、鬢を垂らして、広島花の会で勤めました。
能夫 面は「増女」が常だけれど、今回は家にある「玉鬘女」、増髪系統のやや狂気した感じの面を使ってみようかな。
明生 若いとき最初に「増女」を掛けられるのが『巻絹』か『賀茂』でした。それまで、小面しか掛けていなかった者が、「増女」を掛ける、少し成長した感じがしたものです。
能夫 ところで僕、毎日朝晩、深呼吸をしているんですよ。
明生 突然、なんですか?
能夫 毎回二〇回、ルーティンとして。自律神経とか心臓の動きとかは自分の意志ではコントロールできないけれど、呼吸だけは自分でコントロールできるということを発見したんだ。座禅も呼吸をコントロールし、集中力を高める。健全にもなるということだよね。深呼吸をすると、身体の隅々まで全細胞に酸素が行き渡って疲れが飛ぶんだよ。
明生 私も、深呼吸体操しなきゃ。
能夫 深呼吸、『巻絹』に関係なさそうで関係あるんだよ。我々の芸能につながると思う。熊野とか吉野とか、ああいう土地に立って畏敬の念を感じると、自然と深呼吸を生むね。ああいう空間で神霊みたいなものを感じ深く呼吸して…、そんな感じで勤めると違うんじゃないかな。 ここらで明生君の『木賊』の話をしよう。僕も友枝さんの隣に座って地謡を謡いたいと思っているんだ。
『木賊前』 シテ 粟谷能夫 平成20 年10 月
第84 回粟谷能の会 撮影:吉越 研
明生 『木賊』は大変難しい曲ですが、父菊生も新太郎伯父も、友枝師も能夫さんも、みなさん演っておられますし、今回はよい機会なので、挑戦させてもらうことにしました。以前、平成十七年十二月の研究公演で、友枝師にシテをお願いして、我々が地謡を勤めたことがありましたね。
能夫 もうそんな前になるんだね。あのころ、地謡の充実を掲げて取り組んだね、覚えていますよ。
明生 あの企画のおかげで、『木賊』の内容を少し知ることが出来ました。
能夫 そういう積み重ねが大事だね。
明生 『木賊』といえば、老人の酔狂の境地ということでしょうか。分かるような分からないような。
能夫 高知では、酔狂という言葉は今も生きていますよ。酔狂な奴だなとか言われる。でもあんな変な奴が酔狂?とびっくりするけれど。酒ぐせが悪い人のことだね。
明生 酔狂という言葉は幅が広いけれど、『木賊』の老人は酒に酔って「現うつつ無なき」状態になるわけです。『木賊』は親子再会の物狂い能ですが、シテが男で、しかも老人というのが特殊です。
能夫 この曲だけですよ。だから狂いの表現が酔狂になる。酒に酔って、悲しみや苦しみを表白するんだ。
明生 酒を飲むと本音が出る。現在でも、こんな爺さんいるなって、自分もそうだと思います。
能夫 とてもリアリティがあり、自分の実生活に通じるものがある。酒飲んで身につまされるよ。だから『木賊』はイメージソングというより、リアリティソング。
明生 女物狂いが酒に酔って狂うなんてことはないですからね。『木賊』は同じ親子再会ものでも、『三井寺』などとは全くチャンネルが違う気がします。
能夫 そうだね。酒や盃が出てくるからね。シテは僧に酒を進めて、飲酒は仏の戒めだからと断られたときに、虎渓の恵遠禅師の例を持ち出してくるぐらいだからね。
明生 「陶淵明が計にて飲酒を破りし事も有り」と。
能夫 また、酒を法の真水と思って飲めなんて言うしね。
明生 屁理屈を並べるの、酒飲みにはありますよ。
能夫 表現も自ずと違ってくる。運びだって、酔っ払いほどではないにしても、幽玄の能とは違いますよ。
明生 そうですね。今回私は、シテの老人をあまり爺臭くならないようにしたいと思っているんです。『木賊』は重い曲だからと、すごく重々しい爺さんにしてしまうことが多いのですが、そうではなく、もっと野卑な強い老いぼれでないと表現できない気がしています。
能夫 芸能者のリアリティでやってくださいよ。シテの老人は体のために野歩き、散策しているようで、木賊刈りを生業にしているわけでなさそうだし、案外いいところの旦那というか、ご隠居さんかもしれないね。
明生 あの爺さん、健康で足腰丈夫、ただ酒が好き。
能夫 子供の松若だって、勉強したいからとか失恋したからとか、説があるけれど、出奔した理由は分からないね。
明生 松若の出奔の理由、謡本からは読み取れませんが、なんとなくしっかりした青年である感じがします。一目父親の顔を見られればいいと、目の前の老人が父親と分かってもすぐに名乗り出ないですから。
能夫 それでも、クセで父親が子を思う本音を述べ、序の舞、大ノリとなって感情が激してくると、思わず、名乗り出てしまう。
明生 そのあたり、クセの前半から後半にかけて、謡っていても面白いですね。
能夫 興奮してくるね。涙が出てくる。
明生 当て振り的な型も出てきて、芝居的でもあり、凝縮されていますね。
能夫 リアルの極致と思うね。酔狂な男物狂いの極致。
明生 それにしてもそこに行きつくまでの前の場面、伏線も効いていますね。「木賊刈る……」の歌を引いて、自らの玉を磨こう、心を磨こうと謡い、「……ありとは見えて逢はぬ君かな」と帚木の歌を引いて親子の距離、相克、親子の道を暗示したり、そういうところに時間をかけて、じわじわと状況をつくり、初めて、自分には出奔した子供がいるという告白になる。段々とテンションが上がってきます。
能夫 やっぱり能は、ある意味幅が広いということだよね。僕自身、幽玄物を目指していたときには、あんな現在物はやりたくないという時期もあったけれど、踏み込んでやってみると、その奥深さに気づく。お能ってそういう懐の深さがありますよ。それは老いというか、年齢を重ねたものでないとできないのかなとも思うし、もっと芸能チックにやらないといけないかなとも思う。世阿弥作だけれど、今までの夢幻能の手法では成立しないですから。老女物に匹敵する難しさですよ。
明生 笛を松田弘之さん、小鼓を鵜沢洋太郎さん、大鼓を亀井広忠さん、子方を大島伊織君に、地頭を友枝昭世師にお願いしています。こういう人たちとできる、よい環境がある今だから、やってみたい。
能夫 よい環境というのは大切だね。特によい子方がいなければできない曲ですよ。子方がずっと舞台に座っていられないからと、途中退場して、名乗り出る少し前に再登場するところもあるらしいけれど、ありえないでしょ。
明生 ありえない。
能夫 だから役者が揃わなければできないということ。シテだってそうだよ。演技者が日々を真摯にやってきて、ある年齢に達したときに許される曲だからね。環境に恵まれたこともあるけれど、そういう日々の努力があったからこそですよ。それで、友枝さんだって、わかった、いいよと言ってくれたわけです。それは自負してもいいと思うよ。
明生 嬉しいですよね。こういう許可が出るというのが。
能夫 能楽師として長年やってきた成果を遺憾なく発揮してくださいよ。役者冥利に尽きると思うよ。
明生 頑張りましょう。お互いに。 (つづく)