我流27 『天鼓』と『白是界』
我流『年来稽古条々』(27)―研究公演以降その五『天鼓』と『白是界』について
明生 前回同様、今回は第五回研究公演(平成六年六月二十五日)の曲目を取り上げたいと思います。私が『天鼓』、能夫さんが『白是界』でした。
能夫 もう十六年前か。では『天鼓』からはじめようか。
明生 あのとき、大鼓の国川純さんが「もし楽を盤渉(ばんしき)にするなら、大小の盤渉楽は打ちにくいから太鼓を入れてみてはどう?」と言って下さいまして。
能夫 普通、喜多流は大小(大鼓と小鼓)楽の黄渉(おうしき)で、盤渉になっても大小だけで、太鼓を入れないのが決まりだけれどね。観世流は小書「弄鼓(ろうこ)之舞」になると、太鼓入り盤渉楽となって、前場の一声も省略され、ワキの呼び出しになるね。
明生 盤渉楽は、以前から一度勤めておきたかったのですが、『天鼓』は初演ですので、ここは普通で我慢、と思っていました。でも国川さんの言葉が私の背中を押して下さり、太鼓の観世元伯さん(当時元則)にお願いして、太鼓入り盤渉にしました。国川さん、笛の松田弘之さん、小鼓の亀井俊一さんにもご理解いただき、もちろん父(菊生)や友枝昭世師にも了解を得て。正直言うと、研究公演ですからやはり新しい試みで…、出来たら盤渉で…、という気持ちはありました。皆様のご協力があって、結果、楽屋内ではとてもいい評価だったのが嬉しかったです。
能夫 そういう意味では研究公演にふさわしい挑戦になったよね。普通、流儀に無いものはなかなか手がけられない雰囲気が楽屋内にあるからね。
明生 父がいてくれたお陰ですね。
能夫 それはそう。お守りだよ。
明生 今、お守りの有り難さをしみじみと感じていますよ。あの時はそんなお守りが利いているなど露知らず、ただ意欲的というか、まあ我が儘ですが、チャレンジ精神旺盛で。
能夫 国川さんが提案してくれてすごくよかったじゃない。
明生 国川さんには青年喜多会時代からはじまり、研究公演の初回からずっとお世話になっているので、研究公演で掲げていた「様々な試みを研究し、私たちのより良い演能を」をよく応援して下さって、とても感謝しています。
能夫 嬉しいことですよ。そういう人間関係があるからこそだよね。そして、いろいろなやり方ができるんだという、演出のキャパの大きさを明生君は知った訳だね。
明生 能は完成品ではなく、まだまだ手を入れられる部分があると思います。特に喜多流の演出には改善余地が多々あると…。腑に落ちないところは良い方向に変えていく。若いのに生意気だ、大人になってからでいいだろう、という意見も分かりますが、若いから挑みたい、歳をとったら変える作業自体が億劫になるのではないかな?とか、またやっても空振りするような気がして…。(笑)
能夫 それはあるね。若さも程度問題だけれど、物がわかり始めて意欲もあって、疑問も生まれて他の流儀も見て、ああ、こういうことがあるのかと感じてくる。十代、二十代で、ちゃんと修業をして、基礎を作り上げて挑む。それが健全だよ。それでいいと思うよ。
明生 『天鼓』の時が、意欲的に舞台を勤めたい気持ちが膨らんで来た時期でして。それにしても、あのころ「前シテの老人の悲痛な思いの謡も謡えないのに…」って、芽を摘むような人が周りにいなくてよかったですよ。(笑)
能夫 ハハ、そうね。一声の「露の世に、なお老いの身のいつまでか・・・」あの謡は難しいよ。ところがどういう訳か、喜多流では『天鼓』を若いうちに演らせる傾向があるね。
明生 不思議ですね。
能夫 本格的な尉物を意外と若い時分に経験させるね。『高砂』『養老』など脇能とか修羅物の『八島』の老人は本格的な爺さんではない、老いを感じさせなくてすむ爺さんだよね。でも『天鼓』の老人は本物のお爺さんで、しかも子を失った失意の心境だよ。実先生の教えなのか、はたまた喜多流の主張なのか、不思議と若いうちに経験させるね。
明生 私二十歳頃、稽古能で『雲林院』をやらせてもらっています。最近の稽古能では『小塩』まで出ていますね。
能夫 できるわけないよ。でもそれも指導法の一つなのかもね。ある意味素晴らしいのかもしれないね。
明生 一回、曝すのかな。無理を承知で…。泳げないのを承知で一回、ドボンと川の中に放り込むみたいな。
能夫 焦って、もがく、まさにそれがお前の初心だよ、それを知りなさい、ということかね。そして、川の淵から這い上がり、自分自身を、己の芸を探すこと。それを納得させるための餌が『天鼓』だったりしてね。この曲は若者にとって憧れの曲でしょ。僕も憧れていたし、戯曲としてもすばらしい作品だよ。
明生 「『天鼓』をやりなさい」と言われたら嬉しいですよね。本当に「露の世に・・・」の一声、サシの「白居易は子を先立て・・・」のあたりの謡が難しいと思います。
能夫 そうだね、まだ結婚もしていない、子ももったことがない、何も分からない二十代の若者にはね。
明生 子をもったことがなくても、自分の親との親子関係は体験しているのだから、それをもとに演じればいい。そこで親の愛情を知る、そのために早くから挑ませる、そのような仕組みなのでは、と仰っる方もおられますが。
能夫 親子の断絶には必要な和解策かもね。反発ばかりしている若造よ、父の深い心を知れ! みたいな。
明生 それなら判るなあ。(笑)
能夫 そういう、教育的指導かもしれないね。こういう能もあるのを知っておきなさい。人情劇風の能も出来ないといけませんよ、という教えね。これを知って、能って面白く楽しいと誘因されちゃう。媚薬の要素があるんじゃないかな。そして十年後、二十年後、歳を経てまた本物を目指せばいいわけで、その資産作りだよ。
明生 最近、媚薬を多量に飲んでいる私ですが…。(笑)
あのとき地頭は父でして。申合せの時、『天鼓』のクセ「地を走る獣、空を翔る翅(つばさ)まで、親子の哀れ知らざるや・・・」をじっくりとすごく思い入れ深く丁寧に謡うのです。倅よ、こうやって謡うのだ! と言わんばかりに…。でも本番はそんなにゆっくりではなかったので、後で真相を聞いてみると「申合せの時は…、最近謡っていなかったから少し慎重になりすぎた」ですって。(笑)
能夫 ハハ、そういうのあるね。この間、長島茂君の『天鼓』を謡って感じたけれど、ほどよいノリというのを目指したいね。難しいが、それが出来るといいよね。ベタベタ謡ってもだめだし、サラリと軽すぎてもだめでしょ。そのさじ加減は、やはり経験で習得するしかないみたいね。
明生 今、五十四歳になり老いの苦しみもほんのちょっと分かる様な気がして。軽快に動けるうちに是非再演したいと思い、来年粟谷能の会では計画したいですが…。
能夫 今こそだよ。若いときには設定に無理があったけれど、今は爺さんにも慣れ、感情移入もできるようになったでしょ。(笑)それにしても『天鼓』は変化があって面白い曲だね。前場と後場では別人格だからね。
明生 前シテの爺さんは現実に生きている人だから現代能、後シテの少年はもう亡霊だから夢幻能。前は人情劇で後はそれを超越して音楽の神・妖精になって舞い戯れる。全然違った二人の人物を演じ分ける、面白くも難しい能です。
能夫 能のすべてのエキスが込められている感じだね。やっぱり『天鼓』は若い能楽師にとって媚薬でしょ。
明生 そうですね。では次に『白是界』の話に移りましょう。能夫さんの選曲理由はなんですか?
能夫 先人達の舞台を観てきて格好いいなと思ってね。十四世宗家喜多六平太先生から始まって、歴代の人たちに憧れたわけ。特に思い出にあるのは友枝喜久夫先生と菊生叔父だね。喜多流らしいスケールの大きさね。
明生 ああいう豪快な感じは流儀に似合っていますね。
能夫 『白是界』は『是界』に白をつけて曲名にする程、位を重く扱う、喜多流独自の曲でしょう。「白頭」の小書は当流にも他流にもあるけれど、曲名の頭に白をつけるものは他にない。それだけ特殊になるよね。観世流は「黒頭」はあるけれど「白頭」はない。しかし銕仙会が新たに「白頭」を作られた。『白是界』の影響からと聞いているよ。
明生 喜多流の先人たちの『白是界』の影響力ですね。
能夫 流儀の相互関係。お互いに優れたものを観て影響を受け合うというのは大事なこと、芸能の根本だね。
明生 小書や『白是界』のように特別演出は、その曲の何をクローズアップするか、シテの曲への取り組み方が重要なポイントになってきますね。
能夫 そうね。実は『白是界』というものの根拠は薄くてね。書付にはあるけれど伝書は途絶えているんだ。それで十四世六平太先生が伊豆の温泉に籠もって、現行の『白是界』を創案された。僕はたまたま家に渋谷流(しぶたにりゆう)の書付があったから、それを元にやってみようと発起したんだ。
明生 渋谷流というのは江戸時代に京都にあった手申楽、素人申楽の流儀のことですね。
能夫 素人申楽といっても、朝廷に仕えた者もいて、そこから養子に来て、家元になっている人もいる。渋谷流の書付は六平太先生が創案なさったものとほとんど変わらないものだけれど。先生も創案されるときにいろいろな資料を検証されたと思うよ。それで僕は、十四世の型と渋谷流の書付、友枝先生や菊生叔父から伝承したものを検証して、自分なりに発想したわけよ。そのときが、ものを起こすことの面白さの初体験でもあったね。
明生 それが許される環境ってありがたいですね。
能夫 そういう思いで演ったけれど、実際の舞台はうまくできなくてね。友枝昭世さんにも菊生叔父にも、何だあれは、と怒られたよ。
明生 何が原因ですか?
能夫 重量感の表現力ということかな。今までの喜多流のどっしり感みたいなものが表現出来なかったみたいで…。自分としては重い感じでやったつもりなんだが…。
明生 大ベシ(天狗の出囃子)は、雲の動きとか、また雲そのものが天狗に見えるように、と言われていますが、その手法として歩幅を広く大股で運びますよね。それを敢えて、小さな歩幅でも大きく見せられればいい、それが能だ!と当時熱っぽく語っていたのを覚えていますが。
能夫 そうなんだよ。でも出来なかった、難しいや。
明生 習うことは、まずは真似することだと思いますが、真似る段階からまた一歩先に進んで自分のスタイルを作ることも必要でしょう。ですから能夫風・白是界を求めようとした訳ですね。
能夫 そうなんだが…。先人達が体感からものを言っている、そういう目というのは、ある意味正しいんだなあ。僕は僕なりに表現しようとしたけれど、空素手でしたよ。
明生 今度、秋の粟谷能の会で私が演りますが、能夫さんもまた再演したらどうですか?
能夫 そうだね。大きな運びと「こみ」を意識してね。足の力。昔の人がやったみたいにもう一度やって、もう一度創ればいいのかな。最近、ベシミ悪尉を手に入れたからね。あれをつけてもう一度やってみるかな。
明生 大ベシの曲といえば天狗物で『鞍馬天狗』とか『是界』『車僧』ですが、『白是界』の面白みは何でしょうか?
能夫 面白み? 『鞍馬天狗』『是界』の白頭や『白是界』だと重々しさが強調されるけれど。でも本来、天狗というのは重量感もありながら、なんかやんちゃなところもあると思うんだよ。雲間を飛ぶスピード感もあって。僕はあの動きはリニアモーターカーの世界だと思う。リニアのプラスとプラスが反発しあって浮いている感じね。天上界と地軸から引っ張られ、前後にも引っ張られ、その中で立つような意識。天狗達は超スピードで飛んでいる、その行く力同士が拮抗して、ものすごいエネルギーを生みその中にいるような、どっしりとした存在感ね。そんな風情だよね。
明生 では、秋の粟谷能の会ではそのように意識して勤めてみます。重くべったりべったりと鈍重過ぎるのも嫌ですから。能夫さんが言う、やんちゃんところを少し出して…。
能夫 それも意識してみてよ。作品自体はそんなに重い曲ではないわけだから。『鞍馬天狗』の方は勝つ天狗、正統な重さやスケール感があるけれど、『白是界』は所詮負け天狗でしょ。やられちゃう訳で、どちらかというと喜劇的な世界でもあるからね。
明生 日本征服と意気込んで飛んで来たが、ありゃ、マイッタ、しまったと降参して帰っていく感じ。でも最後の数珠をポイっと投げ捨て、捨て台詞を吐くような仕草の型がポイントで『白是界』の芯はあれでしょ?
能夫 そう、そこを上手く演ってよ。
明生 十四年前の研究公演では私がツレの太郎坊を勤めました。『天鼓』のすぐ後で、体力的にきつかったのですが。先代の銕之亟先生が片山九郎右衛門さんの会で、能を舞ったあとにすぐに地謡を謡っておられて、ある時「身体きつくないですか?」とお尋ねしたら、「いや、僕好きだし、演った方がいいんだよ。体力があれば演った方がいい」って仰ったのが心に残っています。それで私も出来る限り演るように、と心掛けています。
能夫 昔の人はずいぶんハードにやっても平気だったね。
明生 今度の『白是界』のツレはまだまだ未熟ですが、息子尚生に演らせようと…。出来る限りチャンスを与えた方がいいかな…と。
能夫 若いうちに場を与え、能に興味を持たせる、良いことだと思うよ。あなたのときもそうだったからね。
明生 うまく誘因されちゃいましたからね。(笑)
能夫 仕掛けをして、負荷もかけ、いろいろなことを感
じてもらうといいね。我々がしてきたように。 (つづく)