我流9 新太郎一周忌追善能を終えて
明生─先回は粟谷新太郎追悼号ということで、私たちが新太郎から受け取ったものについて話をしました。今回は、3月5日に粟谷能の会として催しました「新太郎一周忌追善能」をふまえて話をしていきたいと思います。
能夫─一周忌ということで、チケットが売り切れるくらい、実に多くのお客様にご覧頂くことが出来ました。お客様の新太郎への思いと同時に、残された私たちがどれだけのことをやるのかというきびしい視線も感じました。
明生─伯父が一線を退いてから、父菊生と我々の三人体制でやってきましたが、いざ亡くなるとやはり心が引き締まる思いで、より一層強い覚悟が持てたような気がします。
能夫─僕はこの頃強く思うんだけれど、時間の経過には三つあって、現在の時間は凄いスピードで容赦なく動いていってるんだけど、未来はこちらの様子を窺いながらやって来るという感じがする。自分がきっちりとやっていれば未来もきちんとやって来るけど、いいかげんなことをしていると未来も躊躇しながら来る。そして、過去は厳然として、不動のものとして静かに立っている。だから自分をどこまで厳しく律しているかが常に間われていると思う。
明生─同感です。一周忌追善能では父の『弱法師』を舞入で、能夫さんが『求塚』を、そして私は息子の子方で『望月』をやらせてもらいました。どの曲も伯父が大事にし、思いのあった曲目で、一周忌にはぴったりの番組でした。まず父の『弱法師』ですが、やはり身体が万全ではない状態でしたので、クセを抜いたり色々工夫をしていました。
能夫─僕はやはり菊生叔父の持っている力がただものではないということを見せてくれたいい舞台だと思いました。今の僕の考える『弱法師』とは違うんだけれど。
明生─父の『弱法師』の基盤は技術優先主義というか、盲目の杖の扱いを軸にして、どう演じるかなのです。特に舞入などは、その冴えた技が勝負だと唱えていますから、この間はいつもと違う、身体が自分の思うようにいかないという、焦れがあったと思う。しかしそれで『弱法師』の俊徳丸という役を通して人間菊生が表現されていて、また一段とレベルの高い舞台になったと思いました。
能夫─親父の若いころの『弱法師』の写真を見て驚いたんだけれど、身体をかなり前へ折り曲げているんだ。昔の教えはそうだったんだろうなと思った。晩年の舞台ではそんなではなかったけれど、盲目という意識が強いためかな。僕の思う透明度、純度の高い『弱法師』は観世寿夫さんによって目を開かされた。
明生─次の曲が能夫さんの『求塚』。新太郎伯父が数多く上演し、好きだった曲です。この曲を一周忌追善能で能夫さんが披いたということに大きな意義があったと思います。
能夫─流儀の決まりだと基本が腰巻又は大口に水衣、肩上げなんだけれど、僕はどうしても壷折でやりたかった。壷折はなかなか奇麗に付きづらくて大変なんだけれど…。それと後シテのいわゆる痩女の足「切る足」だけど、これについては自分自身で発見することがあって、自分なりに納得して出来たように思う。それが発見できたのは「三鈷の会」が国立能楽堂の委嘱で上演した、馬場あき子作、佐藤信演出の『晶子乱れ髪』で、僕が与謝野鉄幹の役で登場するのに扮装等演出上の判断で、能のまんまのスリ足では駄目だと思い、それで幽玄の足でないというか、ノリのない連続性のない、いわゆる切る足の感覚で演じた。そのとき痩女の足はこれだなという発見があって、それで今回実際に演じることが出来た。菊生叔父のは独特の工夫で、焦熱地獄の熱さにぎりぎり耐えられなくなって足を上げるという感じだけれど、これは親父なんかでもそうで、少しやり過ぎだと思っていた。運びを含めて、僕はもっと違う、曲へのアプローチがあると思うし、自分なりに曲をつかまえて、次の世代に大きい曲をちゃんと教えて、渡していく必要があると思うな。僕たちは自分たちで場を作ってきたし、まだまだ前座という感じがあって、そういう意味ではハングリーだったよね。今回僕も『求塚』のシテがやれるということで十分手応えがあったけれど、やはりツレや、地謡を含め全体を見通して舞台を創り上げて行くという課題はあると思う。
明生─最後に『望月』ですが、この曲は息子尚生(たかお)とどうしても勤めておきたく、丁度良い機会に恵まれて幸せでした。自分が子方時代、翔鼓を終えた後、獅子乱序になる所からが何とも言えず、身体がぞくぞくするような興奮を覚えて見ていました。シテの獅子舞がとても格好良く、憧れていました。早く大人になってやりたいと思っていた。ですから尚生にも舞台を踏みながら、雰囲気を感じとってもらいたかった、共に呼吸をしたかったわけです。今回尚生の稽古にあたっては、自分の経験を基にすると、いままでの教え方を改良する必要がありました。例えば今の子供たちはチャンバラごっこはしませんから、刀の持ち方にしても、実際に持たせてやらないと分からないのです。また、ただ大きい声をだせだけでは駄目で、具体的に分かり易く説明してあげる必要がある、もっと教える側が的確な教え方を勉強していかなくてはと思いました。
能夫─そうだね、僕らの頃は本当に乱暴だったからね。掲鼓にしても笛の流儀の違いもちゃんと教えてくれなかったしな・・。ともかく『望月』は子方がよく出来たね。
明生─終わって三役の方々と鏡の間で御礼のご挨拶をした後、息子が、格好良かったよ、僕も大きくなったらやりたいよと言ってくれたのは嬉しかった。まだだいぶ先だよとは言っておきましたが…。
能夫─いずれにせよ多くのお客様の思いのなかで、それなりの舞台が出来たのは、やはり父や叔父がこれまで頑張ってやってきてくれたお陰だと痛感した。これを次の世代としてしっかり受け止めなければと思う。