阿吽35 能と歩む人生の四季 粟谷能夫
人生を四季に例えると、青春、朱夏、白秋、玄冬、ということになります。これは中国古来の自然観に於ける木、火、土、金、水の五要素をもって自然と人事の一切を解釈しようとする五行説という思想によって、春は青、夏は朱、秋は白、冬は玄(黒)を配したものです。
自分をふり返ると、物心がついてお能ごっこをはじめたり、やがて子方や仕舞などで舞台に立つようになり、高校生ぐらいになって自覚して能の修業に入り、三十代ぐらいで独立を迎える頃までが青春でしょうか。四季の中でも一番時間を必要としていました。
そして今還暦を過ぎ自分をみつめると朱夏でないことは確かです。今ふり返り朱夏とは、目を輝かせながら能にとり組んだ日々の事だと思っています。演能の折など、色々の意見やよいところや悪いところなどを指摘して下さる方が、父や叔父をはじめ、多くいらっしゃいました。そうした環境の中で流是というものを根底に持つことを学んだり、人々の生き様に関心を持つようになったりと、朱夏はいわば心を鍛える時期なのだと思いました。将来取り組むべき曲目なども見えてきました。そして、白秋ともいうべき今は、自分より年長の人が少なくなり、さびしさも感じています。今度は自分がいろいろと意見を申さなければならない立場なのだと実感し、先達の思いを後輩たちに指導、伝えていく事の大事さを痛感しています。
私は父新太郎の青春は知りませんが、舞台活動の朱夏の最後の頃や病とたたかうことの多かった白秋を実感しております。そして闘病生活となった玄冬の時代の舞台は遂にみせてもらえませんでした。
今後気になるのは第一に肉体的衰えの事です。能を舞うには足腰の力が重要ですが、思うようにならなくなるのでしょう。ある意味人生を重ねて思いのたけは増えたのに肉体との一体感が持てず思うように舞えないことも起こってくるでしょう。また記憶力の減退もあります。昔の体力が恋しくなるのでしょう。トクホンやサロメチールのにおいがきつくて、老人のにおいとはかくなるものか、と思っておりましたが、今はよい薬がありまして重宝しております。年をとることはカタキだ、という言葉を若い時は理解出来ませんでしたが、今はとても実感しております。
一晩寝れば元気になれた青春、楽しくてしょうがなかった朱夏、時の経つのがこんなにはやいのかと思う、白秋。さて玄冬は…。能は時間という縦糸にその人の四季折々の思いや浪漫を横糸に織りなす作業でもあるのです。
『歌占』 シテ 粟谷能夫(平成24 年10 月14 日 粟谷能の会) 撮影:青木信二