研究公演つれづれ(その二)
第2回 能夫『井筒』 明生『弱法師』(平成4年6月27日)
粟谷 能夫
粟谷 明生
笠井 賢一
明生 2回目の研究公演は能夫さんが『井筒』、私が『弱法師』を勤めました。
能夫 明生君は1回目に『弱法師』をやりたいと言ったんだよね。最初から『弱法師』でもいいんだけれども、それはやっぱり・・・。
明生 うーん、怒られましたね。
能夫 最初から『弱法師』では周りの印象も悪かっただろうし。僕も『野宮』を先にやって、これも勤める順番が違うと言われたけれど・・・。でもそれなりの覚悟が出来ている年齢だし、ある年齢を越えたらいいのではないか、自分の求めているようにやればと、心の底では思っていたんだけれどね。
明生 確かに順番はあるでしょうが、能夫さんの言う通り、ある年齢、30歳ぐらいかなーーを越したら、自分自身の能楽師としての道は自らが拓いていかなくてはだめですね。何をやったら次は何といかにもベルトコンベヤーのような選曲が果たして良いかは疑問です。やる人の意志や挑む曲に対する想いを深くして、誰かが「やりなさい」というのを待っていたり、誰かがやらないと出来ないという情況は、青年喜多会の時代で終わっていなくてはいけないでしょう。
能夫 僕の『井筒』は自分にとって大事にしていた曲であるし、二人でやる研究公演にはふさわしい曲だと思っていたよ。
明生 そうでしょう。能夫さんは小書「段之序」で勤めたかったんですよね。この「段之序」がちょっとした問題になりましたね。父に相談したら、「まずは小書無しでやるほうが無難だよ。能夫はまた次の機会があるから、その時にやればいいじゃないか」と言われて。周りの反対がある中、押し通してもどうだろうかと父は心配してくれたんでしょう。私達も納得して消極的になり、小書は無しにしてしまった。でも後で、能という演劇の可能性みたいなものを研究する自分たちの会なのに、思い通りにやらない、その理由が「初演だから」というのは、私には嫌悪感というか、ひとつの心の傷として残りました。「様々な試みを」のスローガンと違うじゃないか、それを自分がしてしまったという後悔に悩まされました。自分たちの思いをもっと強く理解してもらうまで粘ることをしていたら、この第2回の研究公演に「段之序」があったのにと。でもこの件で、舞台は二度と同じように演じるチャンスがないのだ、その一回その場に最善の取り組みを、という意識を持っていなければいけないと解ったのですがーーー。
笠井 「段之序」はそんなに魅力的ですか?
能夫 僕はそう思う。
笠井 どこが? 僕は「段之序」は一度しか見ていないけれど、あれが決していいとは思わなかった。小書の問題なのか、演じ手の問題かはわからないけれど。
能夫 「段の序」は、とても官能的なんですよ。
笠井 どこが官能的? 「段之序」で決定的に変わるところはどこなの?
能夫 通常は後場で後シテ(井筒の女・霊)が登場したすぐ後、業平の形見の直衣を身に触れて「恥ずかしや、昔男に移り舞」と謡い、それを地謡が受けて「雪を廻らす花の袖」と謡って、序ノ舞に入るところを、「段の序」では、ここを全部シテが謡います。「雪を廻らす花の袖」という言葉を序ノ舞の中に謡い込んでしまうのです。乱拍子の和歌のような世界を作り上げようというものなんです。ただただ囃子と合っているという安易な「段之序」ではなく、シテの意識が反映されるものを出したかった。
囃子が、ただきれいに流れていればよいというのでなく、いろいろな注文によりもっと大事に、何か違う世界を作り出すというような「段の序」のイメージがあったものだから・・・。
笠井 シテがあの部分を全部謡うということは、序ノ舞の質みたいなものを、自分の中に凝縮し、その凝縮力の中に納めやすいという感じですか?
能夫 それはありますね。
笠井 それならわかる気がする。以前見たものは、そういう感じがしなかった。僕はむしろ、シテと地謡が一つの和歌を共有した世界で、より一層透明度が高くなると思うな。和歌の構成からすれば、和歌の前半部分を自分が謡って舞に入り、後半部分も謡うというのは、ある種、正統な理論だと思うよ。でもそれを越えて、個人の生涯を越えて、もちろん井筒という個人の生涯には違いないけれど、もっと普遍性を持った女性の生き方、人待つ女の源泉みたいなものを、地謡がからんで共有していけばいいんじゃないかという気がする。あれを個人で全部謡うことは全然ないと思うな。でも、それを敢えてシテ一人で謡うことにするのは、どういう根拠だろうと思ってしまいますね。
能夫 地謡に委ねるのではなくて、自分に枠をかぶせていくというか、何かそんな感じがするんです。自分の発散もできるし、官能的にもなれる。マイナスは負わないと思うんだけれど。自分で和歌を謡いながら、非常に官能的な高みに引き上げられる、上昇できるという感じです。『道成寺』で、あの和歌を謡い爆発するようなエネルギーで急ノ舞に入っていく、あの感じです。だから、自分のイメージとしては急ノ舞がある。一つの演出として、それに近い序ノ舞があってもいいのではないか。
笠井 それはあってもいいね。それでその後能夫さん、やったの。
能夫 やっていないよ。
明生 その後「段の序」をやるチャンスは10年経っても無いのが現状ですよ。だから出来るときやらなければいけないということ・・・。
能夫 『道成寺』の、あのすごい急ノ舞になるエネルギーのもとで、自由に序ノ舞をやる。そういうことをやりたかったわけ、僕は。
笠井 それは知らなかったですね。でもあの時の『井筒』は能夫さんが永年特別の思いであたためて来た曲であることがひしひしと伝わって来た。それは菊生さんの地謡の中にも感じられました。すごく『井筒』の世界になっていたと思うな。数ある地謡の中で一番印象に残っていますね。
明生 あの井筒の地謡は、能夫さんが「井筒は菊生叔父に是非謡ってもらいたい」と熱望していましたね。
笠井 次は是非、能夫さんの「段之序」を見ないとね。僕自身は、地謡が「雪を廻らす花の袖」と謡っても全然抵抗ないの。その方がむしろ別の意味で、シテ個人だけに凝縮するのではなくふくらみが出ると思うから。でも能夫さんがそこまで熱く語るなら、いつか見てみたいね。
能夫 いつか、本当にやりたいね。でも、それには大小の鼓が謡を充分知っていて。僕の呼吸と合わせて囃してくれないとできない。
明生 ただポンポンと打つのではなくて、「雪を廻らす」で、ある勢い、力がないとね。
能夫 華やかに出てくれないとね。「雪を・・・」で官能的になって、急ノ舞のエネルギー で序ノ舞を舞うわけだから、同じ意識を持ってやってもらいたいよね。それはもう、次の楽しみにとっておくということです。
笠井 楽しみにしておきましょう。能というものはシテだけ良ければいいというものじゃないし、笛も鼓も地謡も良くなければね。地謡だって地頭一人良ければいいというものではない。僕がいつも思うのは、直球一本だけでは表現できないだろうということですから。
能夫 わかる、わかる。
笠井 あのときの『井筒』の地謡はすごく感動したもの。
明生 研究公演は最初、銕仙会でやっていたころは、地謡は前列三人、後列三人でやっていたでしょ。喜多能楽堂になってからは四人、四人になったけれど。三人、三人というのは謡っている方も緊張しますよね。だから良い謡ができたとも言える。
能夫 いいことだよ。最小集団でもやらなければという気持ち。
笠井 四人、四人だと、不協和音を出す人もいるし、逃げ腰になる人も出てくるし・・・。
明生 一人一人が自覚しないとね。
笠井 ところで明生さんの『弱法師』、一回目に止められて、二回目に実現したということね。そういういきさつは知らなかったけれど、思いをためていたということは感じられたよ。観世流は透明度高くやるけれど、明生さんのはちょっと発想が違っていた。ある意味では写実的というか、リアルで生々しい、その鮮度みたいなものを僕は感じました。観世流は透明さとか純真さとかいうけれど、ただきれいごとで終わってしまうこともありがちですからね。
能夫 そらぞらしくなる場合がある‥‥。
笠井 それが彼のはね、「満目青山な心に有り」の場面で、左手を上げ山や月を描く、手の動きのいい型があるじゃない、そこに盲目の人間の「焦れ(じれ)」というかリアリティがあって、すごく鮮烈だった。それが忘れられないですね。観世流も同じ型をするけれど、ちょっと違う。焦れがないんだよ。
能夫 弱法師が自分自身に腹を立てるというか、心が波打っているというか。
笠井 何でこの年で、盲目にならなければならないんだという「焦れ」があって、そのエネルギーで突っ走っていくような感覚。そのところが、明生さんの場合すごく鮮度があった。『弱法師』の本質はあそこにあると思う。
明生 何故、この曲に執着していたか、どうして第1回目にやりたかったのかは、『弱法師』の精神性みたいなものの修得とはまた別に、他方では、技、型の早期修得の意味があったんです。『弱法師』には長年培ってきた、シカケ、ヒラキでは対応出来ない部分が多々あると思います。盲目の杖の扱いから始まり、謡い方、身体の動かし方と今までの意識とはちょっと違う感覚のてんこ盛りなんです。ですからいい大人になって、いざ弱法師を舞うとなったとき、「あれ、変だな、なんだかいつもと違うぞ」となってしまう。失礼だがその失敗例を沢山見ていますから。だから父にも、友枝昭世師にも、早く習っておきたい、悪い言い方ですが、早めに盗んで、自分のものにしておきたいという気持ちがありました。それに私の意識の中には背が丸く、腰が折れ曲がっている弱法師像は似合わないという思いがありましたから。とにかく、早めに仕掛けておきたかったのです。 あのとき石田幸雄さんがアイで出てくださったのですが、あのアイは最初にちょっとふれをしたら、最後の送り込みまで、何もなく、ただアイ座で座っているだけですから、「送り込みしなくていいですから、先に楽屋に入られて狂言のお支度を‥‥」と申し上げたのですが、最後までアイ座で座って見ていてくださった・・・。
能夫 研究公演を二人で始めたというので、見てくれたんだろうな。
明生 そして、後の反省会の席で、石田さんが「『弱法師』、面白かったよ。オレは後ろからずっと見ていたからな」って言ってくださった。そのことが嬉しくてよく覚えているんですよ。やっぱり身内とはちょっと違う、内輪の人にしっかり見てもらうというのは嬉しいですね。
笠井 そういう人に誉められるというのは一番大事だと思いますね。
能夫 嫌だったら、「俺もう帰る」となるわけだからね。面白かったよと言ってくれたというのは嬉しいことですよ。
(平成13年5月 記)
写真
井筒 弱法師 撮影 あびこ
笠井賢一 撮影 粟谷明生