研究公演つれづれ(その三)
した『求塚』の取り組み方、考え方の違いがあったんだ。
明生 徹頭徹尾、強い内向と同時に外へも強くという趣向の昭世さんと、「面は痩女、そこから、何かが自然と生まれるものを計算にいれないと」の父との間に行き違いがありました。エネルギッシュに且つ凝縮した力をコントロールする意識は共通するのに、その通達方法の様々の模様が現場で体験できたのは、良い刺激でしたし、これからの自分の課題にもなるなと思いました。
能夫 強くやるのが昭世さんだけれど、菊生叔父の感覚では、それでは『求塚』ではないということだったんだな。内に秘めていながら、景清よりもっと激しいものがなければいけないということだと思うのだが、その話を聞いて、僕はどちらとも、軍配をあげられなかった・・・。
明生 内面的な力というのはすごく難しいと思いますよ。なければいけないし、ちょっとした方向性が違うだけで、変にとられる面もあるし、かと言って、それを制御し過ぎて何も訴えかけがなければ、それも困るし・・・。でも『求塚 』の後シテは難しい。舞が無いので、謡という訴えかけが充分でないといけないし、型でなくシテの心の読みとりという作業の大切さかな。
能夫 難しいね。あのことで考えさせられた。そういうことが、自分が『求塚』をやるときの指針というか、下地になっているね。
笠井 その人間が、どこまでそれを消化してどう成り立たせるかだろうね。
写真 粟谷能夫 「知章」
粟谷明生 「松風」
撮影 あびこ